Stage.3 挑戦状
翌日から俺は白戸先輩に金を返す為にバイトを探し、何とかファミレスのバイトに採用してもらうことになった。
バイトは週に三日。主に夕方から夜にかけてなので、毎日部室に顔を出すわけにはいかなくなってしまった。
だが、もちろんギターを買った、いや正確には買ってもらった翌日の放課後の初練習には参加している。
初練習はギターどころか、楽器も初めて触る俺には大変だった。
とりあえず狭い部室に、麻弥姉のドラムセットを持ち込むのを手伝い、それぞれの楽器を持ってみると、様にはなっている。
が、そもそも演奏どころではなかった。
「チューニング……ですか?」
「そうです。まずはそれぞれの楽器の音を合わせないといけないんです。特に、ギターやベースは少し使わないだけでも、すぐに音がズレるんですよー」
「はあ。そんな初歩的なところからか……」
チューニングの意味を白戸先輩に聞いていた俺の隣で、黒田先輩が壮大に呆れていた。
ということで、まずはチューナーで一弦ずつ丁寧にチューニングをかけていくが、俺の隣で黒田先輩は何も使わずに、淡々とベースのチューニングをしていた。
俺は不思議に思い、
「凄いですね、黒田先輩。チューナーもないのにチューニングができるんですか?」
「ああ、私にはチューナー、必要ないからな」
さも当然のように返されてしまった。
「黒田先輩って一体何者なの?」
俺は持ち場を離れ、ドラムセットをいじっていた麻弥姉にそっと聞いてみた。
「知らないの? さおりんのお母さんは黒田沙希っていう有名なピアニストだよ。だからさおりんは小さい頃から音楽の英才教育を受けてて、抜群の音楽センスがあるんだよ」
黒田沙希。思い出した。黒田という名前をどこかで聞いたことがあると思っていたが、ピアニストに確かに黒田という名の女性がいた。しかもかなり有名だ。
なるほど、その有名なピアニストの娘が彼女なら、あのような音楽的センスも納得できる。
しかし、元・ドラマーの娘と、白戸電機の社長令嬢と、有名ピアニストの娘か。
どういう廻り合せで、こんな凄い三人が集まるんだ。
元の位置に戻り、最後にもう一度一弦から六弦まで一通りのチューニングを行う。これは最終確認の意味があるそうだ。
「さて、じゃあみんな揃って楽器を手にしたところで、まずは何をやりたいかを聞いてみようかな。それぞれやりたいアーティストや曲名を教えて」
麻弥姉が同好会会長として、まず切り出したところ。
「はい。『Green Day』の『American Idiot』とかよくないですか? パンクだけど、曲調は単調ですし、初心者でもやりやすいでしょうし」
と、まずは白戸先輩が。
「簡単な曲調なら『Sex Pistols』の『God Save the Queen』とか、『Anarchy In The UK』とかでもいいんじゃないか?」
続いて黒田先輩が。
「あたしは断然『Deep Purple』の『Highway Star』だなあ。あの曲、大好きなんだよね」
と、最後に麻弥姉が。
しかし、こうして聞いていると、とても思春期の女子高生の発言とは思えない。
その年代の子なら、普通はアイドルとかヴィジュアル系バンドを好むものだろう。
なのに、彼女たちのこの洋楽、それもハードロックやパンクに偏った知識と趣向は何だ。
せめてLady GagaとかAvril Lavigneならまだわかるが、みんな揃いも揃って、男のバンドが演奏するバリバリのロックを挙げる。
正直、彼女たちは相当変わっていると思う。
「で、あんたは?」
麻弥姉が面倒臭そうに、俺に振ってくる。
「そうだなあ。やりたいと言えば、やっぱ『Nirvana』の『Smells Like Teen Spirit』とか、『THE BLUE HEARTS』の『リンダリンダ』とかかな」
「見事に四人とも分かれたねえ。どうする、さおりん?」
麻弥姉が黒田先輩に意見を求めた。
ダメな上司と、優秀な参謀役みたいで、この二人は対照的だ。見ていて面白い。
「ああ、そうだな。赤坂は超初心者だから、ド素人でも簡単にできる『THE BLUE HEARTS』の『リンダリンダ』をやればいい」
何か必要以上にバカにされている気がするが、まあ初心者だから仕方がない。渋々頷いた。
「……わかりました」
こうして、狭い部室内で俺たち「ハードロック同好会」のバンド活動がスタートした。
が、正直前途は多難だ。
女子とはいえ、三人とも音楽の経験がそれなりにある。特に、黒田先輩は次元が違う。ピアニストの娘のくせに、ベースまで完璧に弾けるくらいだし。
それに対し、俺はあまりにも無力だった。
まずは初心者用に買ったギター教則本で、コードを覚えようとしたのだが。
何だ、これは。本を開いて絶句した。
GだのDだの、Bmだの訳がわからない。しかも、Fというコードが曲者で、一弦から六弦まで人差し指を寝かせ、その状態でさらに中指も薬指も小指も他の弦を押さえないといけない。
はっきり言って、指が痛いし、あんまりやると指がつる。
その上、このFみたいなコードが他にも一杯あるのだ。
早くも挫折しそうになっていた。
そうして悪戦苦闘しながらも、少しずつギターに慣れていき、俺以外の三人も演奏に慣れてきた5月下旬。
それは起こった。
放課後、いつものように四人で練習していた時だった。
いきなり乱暴に部室の扉が開け放たれた。
何事かと思い、扉の方に目を向けると一人のガラの悪い男子生徒が立っていた。
その男子生徒は、ハリセンボンのような頭を金色に染め、制服をかなり着崩した上に、ズボンのポケットに両手を入れたまま、ずかずかと入ってきた。
「何なの、あんた?」
いつも以上に鋭く、ドスの効いた声を麻弥姉が張り上げた。
「それはこっちのセリフだ、このアマども」
男はいきなりこちらを挑発するような発言をしてくる。
「はあ。何言ってんの、あんた。頭おかしいんじゃないの?」
「最近、毎日毎日お前らのクソ下手な騒音を聴かされてよお。俺らはマジでムカついてんだよ。やるならヨソでやれや」
「そんなのあんたには関係ないでしょ。聴きたくないなら、聴かなきゃいいじゃん。耳栓でもしてれば?」
「関係あるから言ってんだよ、ボケが。いいか、よく聞け。俺は軽音楽部部長の黄瀬光一。俺ら軽音部は半年後の学校祭の音楽コンテストに向けて、忙しいんだよ。てめえらクズどものゴミ演奏を聴かされると、気が散って練習に集中できねえんだよ」
さすが麻弥姉。男相手に一歩も引けを取らないが、逆に火に油を注いでいる。
そのやりとりはまだ続いた。
「へえ。あんたらもあの音楽コンテストに参加すんの。偶然ねえ、あたしたちも参加する予定なんだ。でも、他人の演奏くらいでいちいち気が散ってるようじゃ、大したことないんじゃない?」
「んだと、このアマ!」
挑発を繰り返す麻弥姉。それに噛みつく軽音部部長の黄瀬。
しかし、ここで意外に冷静な声が割り込んだ。
「じゃあ、勝負するっていうのはどうだ?」
黒田先輩だった。
「あん?」
「だから勝負だ。知ってると思うが、音楽コンテストは生徒の投票によって優勝・準優勝を決めている。だからどっちが上かを競えばいいだろう?」
ところが、それを聞いた黄瀬は突然、大声で笑い出した。
「ハハハハハ、バカが。てめえら素人集団と俺らじゃ勝負にもならねえよ。最初から勝ちが見えている勝負に何の意味がある?」
「それはやってみないとわからないだろ。それにもし私たちが負けたら潔く解散する。それでどうだ?」
「えっ」
俺と白戸先輩がほぼ同時に声を上げた。勝手に事を進め、解散も辞さない黒田先輩の行動力に驚いたのだ。
「お前らが解散したところで、俺らには何のメリットもねえよ」
しかし、黄瀬はにべもない。
「じゃあ、どうすりゃ納得してくれるわけ?」
麻弥姉が、不快感を露わにしながら口に出した。
黄瀬は少し考える素振りを見せた後、女性陣の三人を、一人ずつ舐めるように上から下まで見渡した後、下卑た笑みを浮かべた。
「そうだな。お前らがもし負けたら、お前らの女三人、俺ら軽音部の男三人と朝までオールナイトで付き合ってもらう。それでどうだ?」
さすがにその一言には、俺も頭に来た。人を、それも女性を物のように扱う、この最低野郎に一言言ってやりたくて、前に出ようとしたが、その前に、
「いいよ」
麻弥姉があっさり肯定の相槌を打っていた。
「よし。その言葉、忘れるんじゃねえぞ」
黄瀬は勝ち誇ったように言ったが、
「ただし! あんたたちが負けたら、二度とあたしたちの演奏をバカにしないこと。ていうか、もう二度と顔を見せないこと。それでいい?」
麻弥姉はあくまでも強気に相手に条件を突きつける。
「ああ、いいぜ」
黄瀬は満足気に笑みを浮かべ、立ち去って行った。
黄瀬がいなくなると、麻弥姉と黒田先輩は苦虫を噛み潰したような表情で、吐き捨てるように言い放った。
「あんなゲス野郎が、伝統ある音楽校の軽音部を率いているなんて、最低ね」
「全くだ。しかも隣の部室とはな」
やはり軽音部の部室は隣だったようだ。ということは、俺の下手なギターの音も丸聴こえだったわけだ。
「ふう。怖かったー」
二人とは対照的に、白戸先輩は安堵したような表情を浮かべる。
そりゃ、いいところのお嬢様なら当然の反応だろう。
そんな先輩の仕草が可愛らしく思い、
「大丈夫です。俺が必ずコンテストで優勝を取って、白戸先輩を、ついでに黒田先輩も麻弥姉も守ってあげますから」
と言うと、
「わあ。かっこカッコいいですよ、赤坂くん」
と純粋な白戸先輩は目を輝かせたが、反面二人の三年生は。
「何言ってんだか、この男は」
「そんなこと言う前に、さっさとギター覚えろよ」
冷たい眼差しが痛かった。
結局、出番が全然なかったから少しぐらい男らしいところを見せたかっただけなのだが、女はいざとなると頼もしいというのは本当だな。
「でも、練習どうするかなあ。ここでやって、また軽音部に文句言われるのもシャクだよね」
会長たる麻弥姉が独り言のように呟いた。
「そうだな。それに演奏するにしてもここは狭いから、別の場所を確保したいところだな」
「別の場所、ですか? 体育館とか校庭はどうですか?」
「ダメね。両方、運動部が使ってる」
「そうですかー」
俺も考えてみた。
練習をするのに丁度いい広さがあって、それでいて他人の邪魔にならない場所。
そう考えると、一つだけ思い当たる場所があった。
「屋上はどうかな?」
「屋上?」
「ああ。滅多に人が来ないし、うちの学校は屋上がいつでも使えるだろう?」
そう。我が校では、屋上は生徒の為に常に開放されていた。最も自殺防止の為にかなり丈の高い柵に囲まれてはいるが。
「そっか。屋上か。いいかもね」
麻弥姉の表情が明るくなった。
が、黒田先輩は、
「屋上でもいいが、使用許可はどうする?」
と良識的な問いかけをする。確かに一応使用許可は取った方がいいのだろう。
が、
「ああ、そんなのシカトよ、シカト。大体、いちいち許可取るとかメンドいじゃん」
我らが会長はどこまでもロックな人だった。同時に、面倒臭がり屋でいい加減だ。
「でも、雨の日はどうしましょうか?」
白戸先輩がおずおずと発言する。
確かにこれから梅雨に入れば、雨は避けられないし、楽器にとって雨、つまり水は大敵となる。
「そん時はしょうがないから、ここでやればいいじゃん。また黄瀬が来たって、あたしが追い返してやるから」
我らが会長はやはりパンクな人だった。
翌日から俺たちは屋上に楽器やアンプを持ち込んで、練習を始めた。
俺は相変わらず『THE BLUE HEARTS』の『リンダリンダ』を。他の三人は『Sex pistols』の『God Save the Queen』を練習することになった。
そんなこんなで一週間ほど経ち、6月の上旬になった。
俺はようやく『リンダリンダ』を一通り弾けるようになり、メンバーと共に『God Save the Queen』の全体練習に取り組めるようになっていた。
ちなみに、この『God Save the Queen』とは、元々は「神よ、女王を護り賜え」という意味の、言わばありがたい歌であり、イギリス王室の賛歌であると同時に、イギリスの事実上の国歌とされている歌がモチーフだ。
それを地元イギリスのパンクロックバンドの『Sex Pistols』が思いっきりこき下ろし、女王をバカにしている非常にロックで、パンクな歌であり、発売当時、イギリス国内でかなりの反響を呼んだ歌としても知られている。
そんないわくつきの曲を、俺たちは学校側の許可も取らずに、放課後の屋上で、アンプを通して大音量で演奏していたのだ。
しかも、こんな放送禁止コードに引っかかるような、とても健全とは言えないバンド名の曲をである。
まさにパンクを地で行っていた。
そんなことを平然とやっていたものだから、当然来るべき人がやって来た。
「あなたたち、何やってるんですか!」
屋上へ続く階段を駆け上がり、ドアを勢いよく開けた生徒会長、緑山かえでが姿を現した。細いフレームの眼鏡の下の目つきがいつも以上に鋭く光っている。
その瞬間、俺たちはそれぞれの楽器から一斉に手を放す。
「何って? 演奏だけど?」
「それは見ればわかります!」
わざと、とぼけて見せる麻弥姉がちょっと面白い。
「私はどうして許可も取らずに、勝手にここで演奏しているのかと聞いているんです」
「ああ。ごめん、ごめん。でも、部室が使えなくてさあ。しょうがないからここでやってんの」
「部室が使えない、とは?」
何となく麻弥姉が策士に見えてきた。生徒会長をうまく利用しようとしているのがわかったからだ。
「だって、隣の軽音部の奴らがいちいち難癖つけてくるんだもん。うるさいとか、何とかさ。自分たちだってうるさいのにね。ちょっとミドリちゃんから注意してくれない?」
やっぱりか。こういう交渉事にも彼女は昔から妙に長けていたからな。
「また軽音部ですか。しょうがない人たちですね。わかりました。ただし、これから屋上を使う際は必ず生徒会か先生に許可を取って下さい」
そう言うと、生徒会長は校舎に戻ろうと踵を返したが、その背に意外な言葉が投げかけられた。しかし、「また」と言うことはうちの軽音部はやはりあまり評判がよくないらしい。
「ちょっと待って、ミドリちゃん」
麻弥姉だ。
「何ですか?」
「せっかくだから、あたしたちの演奏を聴いていってくれないかな」
「えっ」
驚いて、目を丸くする生徒会長の答えを待つまでもなく、早くも麻弥姉は、まあまあと言って彼女を屋上に持ってきた、余っていたパイプ椅子の一つを勧める。生徒会長は諦めたように渋々椅子に腰かけた。
麻弥姉はドラムセットの前に戻る。
「では、あたしたちハードロック同好会の初めてのお客さんに向けて、演奏します。曲目は、『Sex Pistols』の『God Save the Queen』!」
リーダーの掛け声と共に演奏は始まった。
前奏の「God Save the Queen」から始まり、サビの「No future」の部分まで、俺は今まで学んだギターの技術を惜しみなく使い、精一杯演奏してみた。
俺にとってもメンバー以外の人に自分の演奏を聴かせるのは初めてだったし、ギターはバンドで一番目立つパートだから緊張していた。
ただし、演奏と言っても、まだヴォーカルがいないうちのバンドだから、ギター、ベース、キーボード、ドラムのセッションしかないのだが。しかも、原曲にはキーボードはないからアレンジしている。
演奏が終わると、唯一の観客、生徒会長が意外にも笑顔で手を叩いていた。この人のこんな表情は初めて見る。
「驚きました。まだ一か月も練習していないはずなのに、もうこんなに上達しているんですね」
「ふふ。ありがと、ミドリちゃん」
「青柳さんがバンドを組むと言った時は正直、あまり長続きしないだろうと思っていたんですが、よくがんばってますね」
「えー、長続きしないってヒドいなー」
「だって、青柳さん。飽きっぽいですから」
「そうかなあ」
何だか、聞いていると何だかんだでこの二人は意外と仲がいいらしい。詳しいことは麻弥姉から聞いていないが、元々友達同士なのかもしれない。
「ミドリちゃん。頼みがあるんだけど」
「何ですか?」
「あたしたち、やっぱり軽音部と折り合いが悪くてさ。それに部室も狭いし、雨の時以外はここでいつでも練習できるように取り計らってくれないかな」
生徒会長は少し考えていたが、すぐに、
「わかりました。あなたたちが中途半端な気持ちでバンド活動をしているわけではないことがわかりましたので、私もそのくらいは協力しましょう」
と笑顔を見せた。
最初はクソ真面目で、融通が利かない堅物だと思ったのだが、意外と話がわかる人らしい。いや、これも麻弥姉の人徳なのかもしれない。
この適当を地で行く困った性格の姉さんは、不思議なことに何故か昔から人望だけはあったからな。妙に人を惹きつけるところがある。
生徒会長が去った後、俺は麻弥姉に聞いてみることにした。
「麻弥姉。生徒会長と仲いいの?」
「まあね。一年の時、クラスメイトだったしね。ああ見えて、意外と話がわかる人でしょ」
うーん。意外な人脈だ。校内でも指折りの適当不良娘のこの人と、いかにも真面目そうな生徒会長が友人とは。
「よかったですねー、麻弥先輩。でも、後はヴォーカルですね」
白戸先輩が、そして、
「そうだな。やっぱ声がないとそれはそれで寂しいな」
黒田先輩も同じことを言う。
ヴォーカル不在のバンド。それがこの時点での最大の悩み事、だと俺はその時は思っていた。