神の諸行
スライムに拘束されている間、ステラは最低限の酸素しか与えられていなかった。
足掻き、苦しみ、諦めそうになると解放され、繰り返すことによってもてあそばれる。それを見て自分とは違うのだと嘲笑うのだ。
スライムの性根は悪しきもので矮小だ。
「ゲホッゲホッお姉ちゃん」
「大丈夫だからね」
ステラは苦しそうにせき込んでいる。量を飲んでしまっているようだ。
雨が体温を奪っている。なるべく早く家に帰らないといけないけれど私にはもうそんな体力は残っていない。
雨が髪を流れ、背中に、肩へと伝っていく。
二人して肌を濡らすことしかできない。
ステラが森に来てしまったのは私が縛り付けてしまったから、だから覚悟を決めなければいけない。
『ファイアー』を使いステラを暖める。
雨にさらされた心もとない炎だけれど傷つけてはいけない者をちゃんと分かっている。
予想があっているならば戦いは終わっていない。
これから意識を失うかもしれない。
その前に少しだけでもステラのためになることをする。それが姉ってものだ。
「暗くなって大人たちが探しているはず、だから安心して」
握った手は冷たく、生きるための力が弱っていると知らせる。
「もう女神様に会いに行きたいなんて言わないから、お姉ちゃんはいつも正しいから、いい子にするから。女神様よりお姉ちゃんが大切だから」
「…………」
そうじゃない。私が間違っていたんだよ。ステラは自由にやりたいことをして欲しいのに。
私が変わったんだ、ステラが変わる必要はない。
そう否定することが出来なかった。同時に肯定も出来なかった。
弱り切ったステラを否定の言葉がズタズタに切り裂いて、今度こそ取り返しのつかない事になると想像してしまったから。
体内をかき混ぜられることよりも、傷だらけになることよりも、なぶられることよりも、何よりも怖かった。
だからこそ、恐怖はそれしか存在しえない!!
ステラの頭を撫で、ゆっくりと唇を近づける。
やわらかく触れた感触には儚い命を感じる。それだけで嬉しい。
――さあ、奴が来た。
「雑魚だと見れば、見違える。気づけばよかったすらねぇ。――それすらできぬ隙だらけ!」
ステラの体内から私の中にスライムが移動する。
きっとスライムなら。雑魚なら雑魚なりに生き残っていると思っていた。
スライムに囚われて飲み込んだものもまたスライムなのだから、そこに意思があってもおかしくない。
喉を通る異物感が思いださせる。
人生で一番の痛みを、なされるがままで抵抗すら許されなかった時間を、ゴミのように捨てられた屈辱を。
「分かってる。苦しむ姿を見ると楽しいよな、自分より下だって思うよなぁ」喉を抑えてステラから距離を取る。「だからと知って誘い込んだ」
「なにぃ!ショック死するかもしれない痛みすら、体内を侵されるという痛みを既に味わったのにも関わらず、知って受けるというのかお前」
心から熱が溢れてくる。出会った力が新しい選択肢をくれる。
もう、ただ耐えるだけじゃない。
自分の力によって自分は傷つかない、それはすでに知れたこと。
「お別れだぁぁぁぁぁぁ」
最大威力の炎で自らを包み込む。感情のまま放たれた力は小さな炎なぞではない、業火の火柱となり、跡形もなくスライムを消滅させた。
疲弊し地を這う戦いだったがここに勝利した。
すでに精神だけで動いていた体はここで限界を迎えた。
■
数時間の記憶が一瞬で再生された。
もはや懐かしいあの日の記憶のことだ。
私はまだギルドの応接室で座っている。
違う違う私じゃない俺だ。記憶を自分の物として認識するな。
最初の時はテラスの心情までは見れなかった。
傍観者としてその場にいるだけだった。
だが今回は思いや痛みまで新鮮に感じて自分が男だってことも恐ろしいことに分からなかった。
もしこんな感覚を何度も味わったりなんかしたら俺が消えてしまう。
記憶を引き出すことが途端に怖くなった。
自分が上書きされるかもしれないことも怖かったがもう一つだけ、確かにあった違和感も怖かった。
テラスは疑問に思ってなかったが俺ならわかる。
もしかしたら冒涜的な考えかもしれない、抱いてしまうだけでも罪深いこと。
かつて人は土から作り出された。アダムとは大地という意味を持つ。
そう土から生き物を作るだなんてまるで神の諸行じゃないか!
水属性のイメージのあるスライムが水に弱いなんてちゃんちゃらおかしなことだし、正体は土人形だった。土から生命が作り出されていた。
神話とゲーム風ファンタジーが十把一絡げにされているこの世界で魔物なんて存在を追加したのは神かもしれない。
だとしたら何の意味を持って自らの造像物同士を争わせるようなことをするのだろう?人を試しているのか。
神が理不尽な天罰で信仰を試した『ヨブ記』のように。
メイラは知っているのか?嘘をつけるような頭があるとは思えないが、完全に信用できるとはいえない。
気づかないことにして探りを入れてみるべきか。
「姉様?どうかしたのですか?」
「大丈夫だ、何の話をしていたっけ」
「私が襲われたあの日のことですよ。姉様ったらおてんばです」
おてんばでは絶対にないと思うがうっかりしていた。
襲われた時のことを知らないのはテラスが話さなかったからだろう。
俺と同じだ、かかわり方を忘れてしまった。
ステラは少し姉に狂信的なところがある、それがテラスも怖いのだ。
わざわざテラスが話さなかったことを俺の口から告げてもいいのだろうか、うぬぼれが過ぎるのではないか。
■
考えを断ち切るようにドアを叩く音がして男が顔を出してきた。
「ステラ君ちょっといいかな」
髭を生やした初老の男はステラを部屋の外に呼びつけ、部屋には俺一人取り残されてしまった。
なんだか嫌な予感がする。
ステラを呼びつけた初老の男は裕福そうな服装だったしステラとも面識があるようだ。
多分上司に当たるギルドのお偉いさんだろう。
話は終わったようで初老の男と不満げなステラが中に入ってきた。
「全くマスターはぶしつけです。プンプン」
ぶしつけではないと思う。プンプンだってかわいい。
「野暮で申し訳ないと思っているよ、せっかくの再開に水を差してしまったのだから。でも彼女にしか頼めないことなのだよ」初老の男はシュッとした目でこちらを見つめると名乗り上げた「私はシネマ・チェペリン。ここでギルドマスターをさせてもらっている」
「夜に運営しているバーのマスターでもあります」
マスター称号二つ持ちだと!
「テラス君、君に依頼したいことがある!君にとっては辛い事実かもしれないが魔王が復活した!倒した実績のある君にもう一度倒してほしい」
マスターは机に額をこすり付け続けて言った。
「魔物が活性化している、私も外に出て戦いたいがこのギルドにはステラのような守られねば生きていけない子供が多くいる、その子達を守らねばならん。こんなことは勇者である君にしか頼めんのだ。この通りだ断らないでくれ」
こんなの断れないじゃないか? 自分より二回りも年齢が上の人に頭を下げさせている。
――でもこの人は世界を救った勇者に依頼をしているつもりだ、中身が違うとも知らずに――
マスターとは出会って一時間も経っていない、けれど俺はもうこの人の力になりたいと思っている。出来る事なら引き受けたい。
「うれしいがマスター、魔王を倒した時ほどの力が今はない。しばらく待ってはもらえないか?」
だが俺から出たのは否定も肯定もない卑怯者の答えだった。