悪意を孕む粘液と勇者の産声
今日は空が曇っている、風が強くなってきた雨が降るかもしれない。
「ステラ、泉の近くは危ないから行っちゃだめっていつも言ってるでしょ」
ステラは今日もワガママ、泉の女神様の話を聞いて会いに行きたいと騒いでいる。
「あのね、あのね。女神様ってね、すっごくきれいなんだよ」
「女神様に会える訳ないでしょ。森には怖い魔物が出るから行っちゃだめ」
私はおねいちゃんだからステラを守らなくちゃ。危ないことはさせられない。
「……だめってそればっかり、何かしたいって言ったらだめなの?そんなにだめって言いたいなら一人で壁にでも向かって言ってればいいんだよ。人にいわないでッ!」
「ステラッ!」
何も持たずに走り去ってしまった……。
もう知らない、泉に行って、何も起こらなくてただしょんぼりすればいいんだわ。
私はすぐに追いかけなかった。
それからいくら待てど妹は帰ってこなかった。
日の沈むまでには連れ戻さないと。
泉に向かいながら考える、ステラのことを。
あの子を抑圧しすぎてしまったかもしれない。
反省だ。あの子の傍にいて助けてあげるくらいで良かったのかもしれない。何もかも否定するだなんて最低だ。
これでもしあの子に何かがあったら。
少し不安になるとドンドン気持ちが悪い方向に向かっていく。
泉には走れば15分ほどで着く、曇り空で薄暗いが完全に暗くなるまでには家に帰れるだろう。
■
ステラはすぐに見つかった。同時に目撃もした。
ステラは半透明の液体のようなものに取り込まれていたのだった。
「スライムッ!ステラッ!」
「……………………おねえちゃん」
辛うじて意識はある、まだ取り込まれて時間は経っていない。
今すぐ助け出せたなら。
私はスライムの中に手を突っ込みステラを助け出そうとした。
「なんだか騒がしいすらねぇ、勝手に体の中を弄らないで欲しいすら」
「お願い、妹を、ステラを離して」
魔物と話ができるなんて今まで出会ったことが無かったから知らなかったけど、言葉が通じるならステラを返してくれるかもしれない。
「どだい無理な話すらねぇ、この子?ステラちゃんっていうすらか?ステラちゃんはお食事だからすら」
「…………ッ!」
「まさかお願いしたら何でも聞いてもらえるとか、そんなメルヘンな考えでも持っていたりしたすらか」
ダメだ。話し合いは出来ない。人を食べている、人じゃないんだ。
自分の力でステラを取り返さないと。
ステラの体を掴み力いっぱい引っ張った。
だが、ステラどころか自分の腕すらも動かない。
「なんで?なんでッ?」
「考えも無しに腕を入れるなんて馬鹿にしてるすら。もしかしてスライムだからって。雑魚キャラだからって勝てるなんて思ってたすらか!」
不意の態度が逆鱗に触れてしまった。
「そ、そんなことは。離してください」
スライムの顔は分からないがきっとニタっと笑っていたのだろう。
いやらしい声色でスライムは言った。
「胃袋をかき回されたことってあるすらか?ないすらね。まず喉を通る異物感で嗚咽が来るすら、でも喉は僕が塞いでしまうから嗚咽から解放されることはない。口が切れたら血の催吐性でもっと吐き気が強くなる。胃袋をかき回されると喉に酸っぱい感覚がまとわりつく。そして一番ひどいのが本来味わうことのない体内からの痛み、最早吐き気など気にしなくて良くなるなるすら。いや~楽しみすらねぇ」
「やめて。お願い、そんなひどいことしないで――ぐぇッ」
「な~んで人間のお願いを聞かなきゃいけないすら」
スライムの一部が体を這い上がり、否応なしに口へと侵入する。
喉が裂けちゃう、痛い痛い痛い痛い。
本能的に追い出そうと胃袋から全てが沸き上がって来る。
だが、頭で理解している通りその行為に意味などはない。ただ自分を苦しめるだけ。
もう、ただ耐えるしか方法がない。
■
グジュリ、グジュリ――
力なき者に選択肢などない。
「――――――――」
■
グジュリ、グジュリ――
ひたすらにひたすらに終わってほしいと願いながら従順に蹂躙されるしかない。
「――――――――」
■
グジュリ、グジュリ――
「――――――――」
■
■
■
■
■
悠久の時が流れ意識が朦朧とし思考回路が完全に停止したころ。
「ぐったりして来たすらねぇ、もう意識は落ちたすらかぁ。意識がないなら止めるから返事するすら」
「…………」
「反応がないと面白くないすら……そろそろやめるすらかねぇ」
「…………」
「おもんな」
拘束から解かれゴミでも扱うかのように乱雑に放り投げられた。
意識は辛うじて残っていた、耐えきった。
私がここで折れたらステラはどうなる!
「これすると大概はショックで死ぬすら。死体はおいしくないすら。じっくりじっくり、生きたまま3日かけるのが一番すら」
おぞましいステラの未来を言い放ちスライムは町の反対の方向に去っていった。
なるものか、ステラをあの子を、惨いこと。
今すぐにだって追いかけたい。
だが無策で挑むのは無謀というもの。
ステラには会えるわけないと言ったが今の状況を打開するには会いに行くしかない。
女神メイラ様の元へ。
頭はフラフラするし喉はまだ感覚が蠢いている。
しかし、這ってでも泉に向かわなければステラとはもう会えなくなってしまう。
気力で立ち上がり走り出した、視界がかすみ真っ直ぐは進めない、たまに木にぶつかる。それでも前に進まなくてはいけない。
つまずく、
転がる、
血が出る、
泥だらけになっても、
視界がかすれても、
走ることをやめなかった。
もはや泉に向かっているのかさえ自分では分からない。
■
ただ水の音だけが聞えた。
そして景色が開け泉が現われた。
「――たどり着いた」
人も生き物すらいない神聖な泉、もしかしたら女神さまもいないかもしれない。
だとしたら無駄足だ。そうならないことを願いながら叫ぶ。
「女神様、お願いします!私に戦う力と妹を見つける手段を下さい」
女神様は聞き届けてくれるだろうか。
一方的に願望を伝えるのは敬意がなってないと怒るだろうか。
泉が光りだす。水底から泡が吹き出し始めた、次第に勢いがまし、美しい女性が浮き上がってきた。
「誰を呼びましたー?メイラちゃんです?誰ちゃんです?」
頭に人差し指を当て考えるように顔をしかめている。
「多分メイラちゃんです」
「あっはい、どうもあなた誰ちゃんです?」
「テラスちゃんです」
「幼女よっ!君はまだ若い!今のうちに忠告をしよう。自分の一人称にちゃんをつけるのは痛い子だけだ。早いうちに矯正することをオススメする」
うわぁ。この人テンションが独特だ。
「そんなどうでもいいことより女神様。私に祝福を下さい」
「泥だらけに傷だらけ、何があったかは知りませんが相当苦労したのは分かるわ。でも祝福を受けるということは魔法を使えるようになれるということ、決して平穏な人生ではなくなる」
メイラは金色の瞳を私に向け諭すように言った。
「別にあなたじゃなくてもいいんじゃないの?」
「私が助けたい人がいる。それだけじゃあいけないの?」
ステラが泉へ向かった時すぐに追いかけたらこんなことにはならなかった、だから私が助け出さないといけないんだ。
「幼女、その願い聞き入れましょう。与える加護は出会いの加護。これで妹と再会を果たし魔物どもを倒すことが出来るでしょう。魔法は簡単なものならすぐできるようになります。困ったらノアールを頼りなさい、彼なら力になってくれるはずです」
「ありがとうございます!メイラちゃん様」
早速ステラを探しに走り出した。
「待たれよ。出会いがあるなら別れがある、その加護はあなたに様々な機会を与えるが同時に後悔も与えるものだと理解しておいてくださいね…………あれ、いない……」
■
戦う力は受け取った、ならば力をふるうのみ。
出会いの加護。これがステラの元へ導いてくれるはずだ。
根拠はそれしかないががむしゃらに走る。
スライムには恐らく直接的な攻撃は効かない。
殴ったとしても腕を拘束した時のように沈み込む。
液体のような体が衝撃を無効化するのだろう。
それに体内にはステラも入っている。
ステラを傷つけることなく、覆っているスライムをうまく倒さなくては。
確か簡単な魔法ならすぐ出来ると言っていた。
試しに思いつく言葉をつぶやいてみた。
「ファイアー」
手のひらに収まるぐらいの赤く小さな炎が右手に現れた。
本来なら火傷するだろうがほんのり温かいだけで理からはずれたものだということはそれだけで理解できた。
自分の力で自分は傷つかないのか。
他にも試してみよう、使える手は多ければ多いほどいい。
「ウォーター、サンダー、シャドー、ホーリー」
…………何も起こらない。
現状使えるのは『ファイアー』のみ、それも威力の低いもの。
これだけで戦わねばならないのは不安だがないよりかはましと思えた。
手に収まる大きさの石を拾い走り出す。
これをうまく使えばステラを助け出せるかもしれない。
■
日が落ち辺りが暗くなってきた頃。一人の人間と一匹の魔物は巣に帰らんとしていた。
「暗くなって来たすらねぇ。もう助けは来ないだろうねぇ。おねえちゃんは死んじゃったかな?ステラちゃん」
当然返事はない、返事を期待するものではない。
自らが圧倒的優勢であるということを確認するためにしていることだ。
そこにあるのは慢心であり、隙。
当然のこと、尾行者などが居るなどかけらほどにも思わなかっただろう。
故に先制は私にあった。
「とっておきのを食らわせてやるわ」
握りしめた右腕をスライムの中に突っ込んだ。
突如としてスライムの体は水蒸気を上げ蒸発していく。
「ンヒヒヒヒィィイ、アッアツすら」
意識外からの攻撃によりスライムの体はとっさに形を変え、右腕を避けた。
大きく穴をあける形になったスライムは体内に捕らえたステラを露出させる。
その瞬間を無駄にはしない。
ステラの体を掴み引っ張り上げる。
よかった。抵抗されることなく、ステラを助け出すことができた。全身ヌメヌメでかなりの水を飲んでしまっているみたいだけど……。
小さな炎じゃあスライムに飲み込まれて消されてしまう、継続的に高威力な攻撃方法をとる必要があった。
使ったものは――石。
ただの石ではあるが、『ファイアー』で炙り続けた焼石だ。
焼石は温度こそ上がりにくいが、一度上がれば冷めにくい。
『ファイアー』で直接攻撃をするよりも長く、熱を伝え、100度をゆうに超えるため蒸発せしめた。
ステラを失ったスライムは人1人分小さくなる。
「やってくれたすら。そんな高温の石ころを持てるなんて、魔法を使えること隠していたすらかぁ」
「隠していたわけじゃない!お前にゴミのように捨てられてから手にした力だ」
「ぐぬぬ、女神かぁ。泉の安全圏に隠れ、嘲笑いよって。だがまぁ、学びたてということは練度が低いってことすら、負けるわけが――ないッ!」
スライムが飛びかかる。
いきなり襲いかかってくるかもしれないと警戒していたので避けることができた。
直後――背中に衝撃を受けた。
「単純な突進しかできない雑魚と思っているすらかぁ。舐めてるすらかぁ」
方法は分からないが二撃目があった。
急な方向転換ができるようなスピードじゃなかった。手段がないはずだ。
再度、スライムが飛びかかる。
一撃目を避ける。避けられない攻撃じゃない。
そして振り返る。
スライムは勢いを抑えることなく木にぶつかる、そして跳ね返る。
襲い掛かる二撃目。
倒れるように横に飛びギリギリで回避に成功するも体勢を大きく崩してしまった。
背後から跳ね返ったスライムは正面の木にぶつかり三撃目を繰り出した。
体勢を崩していた私は避ける手段はなく、足にゴムのように硬くなったスライムの体当たりを喰らう。
きっと腕を拘束された時みたいに体を硬直させその弾力で跳ね返っている。まるでスーパーボールみたいに。
幾度となく避けようが必ず攻撃を当ててくる。それも足を重点的に狙い機動力をそぐようにして。
「なぶり殺しすら。ボコボコにして地面に土下座するまで絶対にやめないすら」
「絶対にそんなことはしないから」
虚勢を張るも抵抗するための手段がない。
動きを止めれば『ファイアー』で焼けるかもしれないが拘束しようにも液体状の体がそれを許してはくれなかった。
手はないのかと思考を巡らせる。
――そして出会った。
偶然かそれとも出会いの加護のおかげかは分からないが出会った。
「ん?雨すら。あ!あめぇ!?」
スコールのように激しい土砂降りの雨。
これでもう『ファイアー』は意味をなさない。完全に積みだ。
スライムの様子がおかしい。
雨に怯えている。木の陰に隠れるようにして雨を避けている。
「スラララァアアアアァァァ」
濡れた部分が変色して土色に変わる。
色が変わるだけではなく土に変わり泥になる。
そして醜い泥の塊。もはやスライムでは無く土塊になってしまった。
今なら物理的な攻撃が当たるかもしれない。
形を取り繕う土塊を踏みつける。
べちゃっと音を立てて土塊の体が半分に割れる。
「カラダ、カラダ、スラ」
崩れてしまった体をかき集めながら土塊はまだなお反抗的に言った。
「アワレ、ダト、雑魚ダト、オモッテル、スラ?」
「強いって言う度胸がないから弱くないって言葉しか使わない奴は雑魚としか思えない」
「…………」
躊躇なんてものはない。踏みつぶすだけ。
もう一度踏みつける。土塊の面影がなくなるまで何度も何度も踏みつける。
怒りや恨みは持ち合わせていない。
あるのは単純に妹を自分を守る防衛本能だけだ。
下手に手心を加えて生かせば、こちらが殺される。
もうステラを危険な目には合わさないために。
振り落とした足の先にはもう動くものなど存在していなかった。
綺麗に終わったと思いますがあと一話続きます