ドワーフ少女は脱走する
拝啓、故郷の……いや、故郷にはいないか。コホン。拝啓、遠い地にいる兄さんへ。いかがお過ごしでしょうか。義姉さんには迷惑かけていませんか? 妹は、兄さんがどんな変態的行為を義姉さんにしているのではないかと思うと気が気ではありません。
寝ている義姉さんに猫耳カチューシャをつけて隠し撮りしたり、髪の毛の匂いをスーハースーハー嗅いだりして怒らせて、魔法で氷漬けにされてはいませんか? あの人に愛想尽かされたら、兄さんのことを拾ってくれる奇特な女の人なんて、わたしくらいしかいませんからね。
さて、盗んだ黒竜で飛び出したわたしですが、新天地にたどり着き、一日が経ちました。一人旅というのはなかなかどうして、大変なものです。今まで兄さんや商会のみんなに丸投げしていたアレソレを、全部自分でやらなければいけないので。離れてはじめて分かる、兄さんたちの便利さです。
鍛治工房にこもっていても、全自動でご飯を持ってきてくれて、手が離せないわたしに「あーん」して食べさせてくれるメイドさんは、ここにはいません。昨日は自分でお昼ご飯を買って食べて、なんと、宿にだって一人で泊まることもできたのです。褒めてくれてもいいんですよ?
そんなわたしですが、今どこにいるのかと言うと…………牢屋にいます。牢屋です。なぜか、目が覚めたらいきなり……。
兄さん、一体これはどういうことなのでしょうか? 説明プリーズです。
…………ふう。現実逃避はそろそろ終わりにしよう。
わたしが目を覚ますと、そこはふかふかのベッドの上ではなくて、カチカチの石畳の上だった。
空気はジメッと冷えていて、淀んでいる。ピチョン、と何処からか雨漏りの音が聞こえる。
そして、目の前には、鉄格子。ここが牢屋の中だと分かる。おそらくは地下牢だろう。
けど、どうしてわたしがこんなところで寝ているのか、コレガワカラナイ。もっと言えば、後ろ手に手枷を嵌められて鉄の首輪を鎖に繋がれ、牢屋の壁際に拘束されているこの状況は、もっと意味がワカラナイ。
こんな仕打ち、どんな凶悪犯にするものだろうか。
わたし、なんにも悪いことをした覚えは無いのだけど。
それとも、誘拐された?
ああ、こっちの方が正しいかもしれない。なにせ、わたしは(ドワーフの中では)ボンキュッボンの完璧美少女だ。ちょっとわたしが街を歩くだけでも、わたしを誘拐したくなる男の一人や二人は出てくるだろう。
けど、いつ誘拐されたのか、という謎は残る。ちゃんと、宿の扉には鍵を掛けて寝たはずなのだが。
誰かに種明かしをしてほしいところだけど、「誰かいない?」と声を出しても、返事が無い。牢屋っぽい場所なのに、看守すらいないのだろうか。
耳を澄ませても、周囲に人の音は聞こえない。やはりここには、わたし一人しかいないらしい。
仕方ないので、わたしが脱出を試みようとしたその時、階段を慌てて駆け降りるような足音が聞こえてきた。
「チビども、ここか!?」
そう叫びながら地下牢に駆け込んできたのは、わたしよりも小さいくらいの少年だった。
ボロ切れのような服を着た、赤髪の少年だ。
その少年に、わたしは見覚えがあった。
「あ、スリの男の子」
「ん? あ! てめえは昼間の金持ち女!
なんでこんなところにいやがる!?」
「さあ。わたしにもさっぱり」
「…………その様子を見ると、アンタも奴隷狩りに遭ったのか」
少年は、わたしが牢屋の中で後ろ手に縛られて、首輪を鎖で壁に繋がれているのを見て、勝手に納得した。
わたしは、少年の言葉の中で、一つ気になるフレーズを見つけた。
「奴隷狩り?」
「っと、それより、アンタ。俺と同じくらいの女二人と五歳くらいの猫獣人を見てないか?」
少年はわたしの質問には答えず、思い出したように焦った声で尋ねる。質問に質問で返すなと学校で習わなかったのか。
そう言いたかったけれど、少年は相当切羽詰まっている様子だ。
「見てないけど。今起きたところだし」
なので、状況のイマイチ飲み込めないわたしは、素直に答える。
「クソが! ここじゃなかったか!」
そう悪態を吐いて、少年は踵を返し、駆け出そうとする。
…………牢屋に繋がれたわたしを放置して。
「えー……」
おいおい、少年。ちょーぜつ美少女のおねーさんが捕まっているんだから、助けようよ。君の話から察するに、わたしって奴隷狩りに捕まったんでしょ? こんな幼気な女の子を君は見捨てるのか。
今助けたならフラグを建てる大チャンスだよ?
そんなことを思っていると、少年は足を止めて「ああクソ、助けねーのも寝覚めがわりぃ!」と頭を掻き毟る。
「今出してやるからちょっと待ってろ!」
振り返った少年は、地下牢をキョロキョロ見渡して、鍵の束を見つけ、牢屋を開けようとする。
急いでいるはずなのに、少年は意外とお人好しというか、面倒見の良い性格らしい。…………まあ、この子、スリなんだけど。
「ああクソ、どれだ!?」
焦っている所為なのか、少年は鍵を何度も鍵穴にぶつけ、遅々として牢屋は開かない。
「もういい」
わたしは牢屋の中から少年に声をかける。
「あん? よくねーよ。見捨てられっか、胸クソ悪い」
「そうじゃなくて、自分で出られるから」
「はあ?」
何言ってんだコイツ? と訝しむ少年を放っておいて、わたしは錬金術を発動する。
「……? ――――物質変換」
魔力を練ろうとした時一瞬だけ、わたしの魔力が首輪に堰き止められる感覚があった。首輪はもしかしたら魔法妨害の魔道具だったのかもしれない。
しかし、こんなチャチな魔道具で妨害されるほど、わたしの魔力操作は下手ではない。サクッと魔法妨害を無効化して、首輪と手錠に物質変換をかける。すると、首輪と手錠はペカーッと光を放ち…………、
「なあ!?」
光が収まると、砂となって消え去った。
わたしは驚く少年を無視して立ち上がり、鉄格子に向けてもう一度、物質変換を発動する。すると、鉄格子は同じように、砂になった。
「ね、出られたでしょ?」
「お、おう」
少年は顔を引きつらせていた。
「錬金術師を物理的に拘束なんてできないの」
これが、わたしがいつの間にか牢屋に入れられていたにもかかわらず、割と落ち着いていた理由だ。
たかが、普通の鉄くらいで、わたしは捕まえておけない。一般的な錬金術師だって、これくらいはできると思う。
もし、わたしを物理的に拘束したいなら、せめて魔法金属の王様であるオリハルコンに、義姉さんクラスの魔法使いが数十年かけて抗錬金術の魔法陣を組み込んだ枷を用意しなければいけない。
この程度の拘束ではわたしを捕まえておけないし、脱出の途中でわたしを攫った奴らに見つかっても、こんなへっぽこ魔道具の枷しか用意できないような相手なら、わたし一人でどうとでも対処できる。
身の危険なんてほとんど感じないから、不安に思う必要なんてなかったのだ。
というか、危険を感じるまでもなかったからこそ、わたしはこの牢屋で目を覚ますまで、爆睡していたわけで……。
わたしは眠りが深い方だけど、危険を察知すれば目を覚ますくらいはできる。仮に、誘拐犯が、眠っているわたしに触れるだけでは飽き足らず、わたしの純潔を奪おうとしていたなら、今頃誘拐犯は物言わぬ石像になっていたことだろう。
「で、呆けていていいの? 急いでるんじゃない?」
ポカーンと大口を開けている少年の肩をトントンと叩く。
「そうだ……! こうしちゃいられない!」
ようやく我に返った少年は、階段を上がろうとするけれど、それをわたしが呼び止める。
「あ、待って」
「んだよ、まだなにかあんのか!?」
「話から察すると、君、奴隷狩りにあった誰かをさがしてるんでしょ」
「仲間が攫われたんだ! だから急いでるんだよ!」
少年はちょっとイライラしながら足踏みする。
「ふーん。なら、わたしもついていく」
わたしの提案に、少年は目を丸くする。
「あ、なんで?」
「わたしを助けようとしてくれたでしょ。そのお礼」
「は? いらねーよ! 第一、てめーは一人で脱出できたんだろーが」
「けど助けようとしてくれたことに変わりはない。だから今度はわたしの番。わたしの魔法、見たでしょ。仲間を助け出すのに便利だと思うけど」
親切には親切をもって返すべし、とは言うけれど。実のところ、わたしも目の前の少年と同じように、割とお人好しなだけだ。
それに、わたしのことを誘拐してくれやがった奴らには、たっぷり仕返しをしたい。…………むしろこっちが本音かも。ほら、礼には礼を、無礼には無礼を。悪には凄惨な私刑をって言うでしょ? 言わない?
「…………勝手にしろ」
「ん、わかった」
少年は、問答する時間も無駄だと思ったのか、それだけ言うと、今度こそ階段を上っていった。
わたしも少年に遅れないように、急いで階段を駆け上がる。
「そいえば、君、名前は? あ、わたしはルミナ」
階段を駆け上がりながら、わたしは前を行く少年に尋ねる。
「名前? ンな大層なもんは持ってねえよ。こちとら気がついたらスラムに捨てられてたんでな」
「けど、名前が無いと不便じゃない?」
「他の奴らには、親分って呼ばれてるよ。死んだ育てのジジイには赤髪って呼ばれてた。あんたも呼ぶなら好きにしろ」
「じゃあ、親分くんね」
わたしは、少年の仲間思いなところがまさしく「親分」だな、と思い、親分くんと呼ぶことにした。
親分くんとともに外へ出ると、そこは昼にわたしが歩いた大通りとは打って変わって寂れた場所だった。
わたしは周囲から漂う腐臭に鼻をつまむ。
宵闇の月明かりには、布や木片で継ぎ接ぎした、テントのような家が乱雑に建っていて、その中からは人の気配がする。
どうやら、ここはスラムの一角らしい。
地下牢への入り口があった場所も、今にも崩れ落ちそうなボロ屋だ。
耳を澄ませてみると、宿屋から普通に歩いてここまでくるには、相当長い距離を歩かなければならないことが分かる。
わたしのことながら、よく宿屋からこんなところに運ばれるまで目を覚まさなかったな。
それとも、地下牢にはこことは別に、宿屋への近道になる隠し出口でもあったのだろうか?
そんなことを考えていると、ぐにゅっとしたものに爪先が触れる。見ると、武装をした大男が倒れていた。それも、三人もいた。
周囲には武器が散らばっていて、争った形跡があり、男たちが不意打ちでやられたのではないことが分かる。
「これ、親分くんがやったの?」
「それがどうした?」
親分くんは特に誇るでもなく言う。親分くんを改めて見ると、何も装備を持っていない。
「武装した大人を素手で倒せるような腕があるなら、スリなんてしなくても生活できるはず」
尋ねると、親分くんは月明かりでも分かるくらい、露骨に顔をしかめた。
「しかたねーだろ。仲間のチビが病気になって、急に大金が必要になったんだからよ!」
「ふーん。そう」
「は、それだけ?」
わたしが「どんな理由があっても悪いことは駄目」とか言うと思っていたのか、親分くんは訝しい視線を送ってくる。
「わたしがとやかく言うことじゃない。そーゆーのは警察のお仕事。それより、チビって攫われた子でしょ」
たしか親分くんは、地下牢に入ってくるとき「チビども、ここか!」と言っていた。
「てことは、病気になった上に、誘拐された。結構危ない状況。急がないと」
「! ああ、そうだな!」
わたしと親分くんは、攫われた子供達を助けるため、闇夜のスラムを駆ける。
余談だけど、さっき耳を澄ませた時、マーリンの反応は、宿屋のベッドの下にあった。どうやらぐーすかと寝ているらしい。
まったく、ご主人様が攫われたというのに呑気なヤツめ。帰ったら両耳を掴んで玉ねぎみたいな変顔にしてやる!