ドワーフ少女は宿屋に泊る
▽△▽
わたしが海辺の町に入ると、大通りには人が溢れていて、その活気に思わず気圧された。こんなにたくさんの人を見たのはいつ以来だろうか。
わたしはあんまり人付き合いが得意ではないから、兄さんたちの商会で働いていた時は、工房に籠りっきりで、最低限の人付き合いしかしてこなかった。
鍛冶師としての修行と共に、わたしのそういう人付き合いの下手さなんかも改善するための一人旅だけど、大勢の人の活気というか熱気を浴びると、そんな気持ちもちょっと萎縮してしまう。
「キュゥ~」
わたしの頭の上から、マーリンの声が聞こえる。頭の上でむにゅむにゅと身体を動かしているのを感じる。マーリンはきっと、キャスケット帽の中から、初めて見る人間の街に興味津々なのだろう。
街に入った途端、わたしの帽子の中に隠れたマーリンの臆病さは筋金入りだ。そのくせ好奇心旺盛なのだから、なかなか難儀な性格をしている。
キュゥ~~~~。
唐突に、そんな音が聞こえた。
「む、マーリン。どうしたの?」
「キュ?」
マーリンは「わたしじゃないよ」と首を振った。
キュゥゥゥウウウウ~~~~。
そして、もう一度、同じ音が聞こえた。
「むむ、マーリン。嘘は良くない」
「キュウ!」
マーリンは、「今のはルミナが出した音!」と指摘して、わたしの頭皮をガジガジする。
カーバンクルの顎の力は、鉱物を噛み砕けるほどの強さなので、ちょっと痛い。…………ちょっと痛いだけで済んでいるのは、わたしの身体が錬金術で身体強化されているからなのだけど。
「いたた……! ごめん、ごめんって。マーリンじゃなくてわたしだから、噛まないで」
マーリンに罪をなすりつけたことを謝ると、ようやくマーリンはわたしの頭を噛むのをやめてくれた。
ああ、痛かった……。とんでもない顎の力。
この子、物理方面に鍛えていけば、将来どんな敵の首でも一噛みで引きちぎれる「首刎ね兎」にでも成長するんじゃないかな……?
それにしても、マーリンとは従魔契約をしているので、わたしがマーリンを故意に傷つけようとしない限り、マーリンもわたしに攻撃できないはずなんだけど。
まさか、従魔契約のやり方を間違えた? それか、この程度は攻撃の内に入らないの?
閑話休題。
…………さて、白状すると、さっきから「キュウキュウ」鳴っているのは、わたしのお腹。
わたしは黒竜に乗って海を渡る途中、出発前に親切なお姉さんからもらったホットケーキを一枚食べたっきり、かれこれ六時間くらいなにも口にしていない。
要するに、わたしは今、もーれつにお腹が空いていた。お腹ペコペコで、さっきからお腹の虫がキュウキュウ不満を訴えているというわけだ。
「どこか、屋台でご飯にでもする」
幸い、今はお昼時。門の前の大通りには、出店が沢山出ていて、あちこちから良い匂いが漂ってくる。
わたしはその中でもひときわ香ばしい匂いを放つ屋台にフラフラと惹かれる。
「いらっしゃい。ヨーセフの炭火焼き屋へ!」
そこは、まさに海の男! と言うべき、日に焼けた浅黒い肌のお兄さんが海の幸を焼いていた。
「ヨーセフ? お兄さんの名前?」
「ああ、そうだ。今日から開店したんだ。よろしくな」
そう言うヨーセフの手元では、貝や魚、そして真っ赤な蟹が炭火で焼かれていて、見ているだけで一層お腹が空いてくる。
そして何より。
「醤油ダレ?」
炭火で焼かれる魚介類にはハケで醤油が塗られていて、炭火で炙られた醤油の放つ匂いの、なんて犯罪的な威力だろう。特に、金網の上で、二枚貝の上に垂らされた醤油は、貝の出汁と合わさって、空きっ腹に強すぎる刺激を送り付けてくる。
「お嬢ちゃん。醤油を知ってるのかい?」
ヨーセフが意外そうに尋ねてくる。
「ん。知ってる。前住んでたところではよく使われてた」
「ということは、お嬢ちゃんは大陸東部の出身か?」
「……そんなとこ」
ホントはちょっと違うのだけれど、説明がメンドクサイので、わたしはヨーセフの話に合わせることにした。
「それより。貝と魚が食べたい。いくら?」
「おう。お得な炭火焼き盛り合わせセットは今ならなんと、銅貨7枚、七百アリスのところ、初めてのお客さんってことで無料にしてやろう」
「いいの?」
「ああ。ただし、美味そうに食ってくれよ」
「…………客寄せ?」
「ははは、正解だ。お嬢ちゃんみたいな別嬪さんが美味そうに食えば、醤油料理の良さが伝わるってもんよ」
「そういえば、わたしが初めての客?」
わたしは不思議に思って、首を傾げた。もう、お昼過ぎで、あちこちの屋台には人が並んでいて、門前広場では屋台で料理を買った人たちが舌鼓を打っている。
だけど、ヨーセフの屋台には誰も人が寄りついていなかった。…………いや、遠巻きに見ている視線はいくつも感じるのだけど。
「この醤油は親父の商船が大陸東部から仕入れてきたんだが、見た目は真っ黒で怪しいだろ?
いい匂いだが得体が知れないって、客が買ってくれねーどころか、試しに一口も食ってくれねえんだわ。
店主のオレがいくら美味そうに食っても、そりゃあ焼いてる本人なんだからって、信用されないし」
「だから、わたしに美味しそうに食べてほしい?」
「そうだ。さ、焼けたから食ってみておくれ。腹減ってんだろ?」
「ん。いただきます」
そういう理由なら、と、わたしは遠慮無く魚介類が盛り合わせになったお皿を受け取り、食べ始める。
まずは、注目していた二枚貝から。
「もぐ……はふはふ」
焼きたての貝は噛むごとに貝のエキスが溢れてきて、醤油の香ばしさと相まって、たまらなく美味しい。
続いて、魚、剥き海老、と続けて食べるが、どれも美味しくて、自然と顔がほころぶのを感じる。わたしは猫舌なので、もっと早く食べられないのがもどかしい。
わたしが食べるのに集中していると、「おい、あんちゃん。俺にも一皿くれ!」とヨーセフの屋台に近付く人が現れる。
その人が焼き蟹の足に醤油を付けて食べ……「うめえー!」と叫んだのを皮切りに、ヨーセフの屋台には次々と客が集まり始めた。
無事、サクラの役目を果たせたみたいなので、わたしは座って食べられる場所を探すことにする。
その時だ。
わたしはドン、と誰かにぶつかってしまった。
「あ、ごめん」
「…………」
わたしがぶつかったのは、わたしよりも小さい、目つきの悪い赤髪の少年だった。
ボロの服を纏った少年は何も言わずに人ごみに紛れるようにして去っていった。
「ん? …………あ」
「キュ?」
なんとなく、服が軽くなったような気がしたわたしは、服のポケットを探って、声を漏らす。
マーリンが帽子の中から「どうしたの?」と尋ねた。
「今の子、スリだったみたい」
ポケットを確認したら、硬貨が半分くらい無くなっていた。
「治安が悪い。…………ま、いいけど」
盗まれた硬貨には金貨(一枚十万アリス)も含まれていて、普通なら大損害だ。
なので本来は「まあいいか」で済ませられるものではない。けれどわたしは、自分で言うのも何だけど、たぶん世界で一番の錬金術師だ。その気になれば、石ころを金銀財宝にするどころか、金銀財宝を石ころ同然の価値にだってできてしまう。
つまり、いくらでもお金稼ぎはできるので、金貨程度盗まれても痛くもかゆくもない。ものを盗まれたこと自体は業腹だけれど、今はそれより、空腹を満たすのが優先だった。
わたしは少年を追いかけることもせず、噴水に腰かけて、残りの料理を頬張るのだった。
行列になっているヨーセフの屋台にお皿を返したわたしは、そこでようやく思い出したことがあった。
そういえば、兄さんは新しい街に着いた時、こういう露店なんかで物を買っては、世間話のついでに良い宿屋の場所を聞いていたっけ。
わたしも兄さんに倣おうと、回れ右してヨーセフに声を掛けようとしたが、生憎、ヨーセフは押し寄せる客の対応に忙しそうだった。
「…………仕方ない」
まだ少し、小腹も空いていたので、わたしは別の屋台で白身魚のレモン蒸しを買って、お風呂の付いたおすすめ宿の場所を聞いた。
屋台のおじさんが教えてくれた宿は、大通りを一つ中に入ったところにあった。
レンガ造りのその宿の中に入ると、その内装は下町の宿にしては意外なほど豪華なものだった。
宿屋の受付はちょっと感じの悪い女の人で、ぶっきらぼうにわたしを案内したが、案内された部屋には大きなお風呂があり、ベッドもふかふかだったので、わたしはすぐに忘れてしまった。
「お風呂の水道は魔力式の魔道具になっていますが、魔力を流せない場合、従業員が別料金で魔力を補充します」
「ん。魔力は自分で流せるから必要ない」
「わかりました。ごゆっくり」
心の籠っていない決まり文句と共に、受付の女性はドアを閉める。
一目散にベッドにダイブしたわたしは、気がつかなかった。ドアが閉まる直前、受付の女性が浮かべていた、いやらしい笑みに。
▽△▽
わたしは十分くらいベッドの上をごろごろしてから、お風呂に入ることにする。
水道に魔力を込めると、勢いよくお湯が出て、浴槽を満たす。魔力式の水道は、魔力を扱えない人には使えず、お湯を出すのにも料金がかかるが、わたしは豊富に魔力を抱えているから、無料でお風呂に入り放題だ。
わたしは湯張りが終わるまで、マーリンといっしょに鼻唄をしながら、待つのだった。
△▽△
シャーっと音を立てながら、暖かいシャワーがわたしの身体から石鹸の泡を流す。
「そういえば」
「キュウ?」
「ううん。マーリンのこと、宿屋の人に伝え忘れていたなって」
お風呂で、砂埃まみれの身体を洗いながら、わたしは呟いた。
マーリンは宿屋についてから、個室に入るまで、ずっと帽子の中で静かにしていた。多分、宿屋の人たちは、マーリンの存在に気づいていないだろう。
先にわたしに丸洗いされたマーリンは、気持ちよさそうに洗面桶の湯船に浸かっていた。
だらしなく顔を洗面桶の端に乗っけるマーリンが可愛くて、少し心がほっこりする。
「従魔オーケーかな? 一応、マーリンは宿にいる間、おとなしくしてて」
「キュ~」
マーリンは大人しくさせていけば、問題はないだろう。なにせ、カーバンクルは主食が鉱物であり、食べた鉱物も生物学的に消化するのではなく、魔力として分解しエネルギーとして蓄える。つまるところ、マーリンは排泄をしないし、獣臭さも無い。だから、備品を壊さないように気をつけさせれば、大事にはならない……と思う。
要はバレなきゃいいのだ。バレなきゃ犯罪じゃない!
――――余談だけど、ドワーフもトイレに行かない種族だよ。ホントダヨ。
わたしは身体を洗い終えると、ゆっくりとお風呂に浸かる。
「はぁー、気持ちいい。…………さてと」
わたしは両手をワキワキと動かす。
お風呂の中でリラックスしながら行うのは、長年続けているおっぱいが大きくなる体操。
むにむに、むにむに、むにー!
一日一回。長年の努力の結果、わたしのおっぱいはすでにBカップに達している。万年つるぺったん種族のドワーフ的に、これは快挙だ。わたしはドワーフの中では巨乳……いや、爆乳と言っても過言ではない!
「ん……ふぅ……っ」
わたしはちゃぷちゃぷと水音をさせながら、褐色の丘陵地帯を丹念にマッサージする。愛情を持って揉みしだいてあげれば、きっともっと大きくなってくれるはず。
「っ……んぁ……、〜〜ッ」
近所の農家のおじいちゃんだって、愛情込めて育てた野菜は大きく、美味しく実るのだと言っていた。きっと同じことが人体にだって言えるだろう。
「あっ……ひぅ……っ、っ、〜〜〜〜!」
だから、ね? ちょっと気持ちよくなってるのは不可抗力であって、おっぱいを大きくするには必要なことなの。気持ちよくなるためにおっぱいを揉んでるわけではないんですよ?
それから数時間ほど湯船につかって、ようやくわたしはお風呂から上がる。
長風呂でお肌がツヤツヤぽかぽかになったわたしは、洗面桶でウトウトしていたマーリンを連れて、脱衣室に出た。身体を拭いて、最後に髪の痛んだところを「生体錬金術」で補修する。
髪は女の命。わたしは念入りに魔法をかけて、輝くような艶を取り戻す。知り合いの女の人みんなに「卑怯者!」と羨ましがられる髪ツヤツヤ魔法は、わたしの発明した錬金術でも、特に役立っている魔法だ。
時刻はまもなく、夕飯時だろう。あんまりにもお風呂が気持ちよくて、ついつい長風呂しすぎたらしい。
マーリンに夕飯の宝石を食べさせてから、マーリンを部屋に残して、わたしも宿の食堂にご飯を食べに行った。
食堂は、宿の女将さんが切り盛りしているらしい。豪快な性格の肝っ玉お母さんみたいな人で、「たくさん食べて大きくなるんだよ」とご飯を大盛りにしてくれた。
夕飯の焼き魚定食は本当に美味しくて、ついつい二回もお代わりしてしまった。たくさん食べるわたしは女将さんに気に入られたらしく、オマケの飴玉までもらえた。
わーい、るみな、あめちゃんだーいすき!
…………絶対、女将さんはわたしが子供だと勘違いしているけど、あえて指摘はしなかった。飴ちゃん、とても美味しかったです。
その後、部屋に戻ると、マーリンが見当たらなかった。
どこに行ったのだろうかと、耳を澄ませて探してみると、ベッドの下にマーリンの反応があった。
ベッドの下を覗いてみると、マーリンはすやすやと眠っていた。
どうしてこんなところで眠っているのだろう? ウサギの本能的に、狭くて暗い場所が好きなのかな?
起こすのも忍びないので、マーリンはベッドの下に放置して、ちょっと早いけどわたしも寝ることにする。
わたしはお布団の誘惑に抗うことなく、真っ白なベッドに飛び込んだ。雲の上にいるみたいに、ふかふかで暖かな布団に包まれて、わたしはすぐに微睡みの世界に旅立った。
そして、目を覚ますと……。
「ここどこ?」
わたしは、ふかふかのベッドの上ではなくて、冷たい石畳の、鉄格子の中にいた。
……? …………??? …………どゆこと?
元ネタ
首刎ね兎……ウィザー○リィ等。異世界の兎は大体強い