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フェロモン漂う美少年ってことらしいですよ

「ああ、こっち。こっちだよ」

 長い回廊を進むことなく示されたのは、今出て来た扉の隣にあるもう一つの扉だった。

 回廊の向こうには、お城、と呼んでも差し支えないだろう石造りの大きな建造物が見えた。対して示された扉は、3LDKの一軒家くらいの大きさの建物だ。

 私の感覚では、ヨーロッパのお城の一角、すみっこ、という感じだ。

 といっても、ヨーロッパになぞ行ったことはないのだけれど。

 先生がコンコン、と扉をノックすると、中からはあの女の子、ヒルデガルトの返事があった。

「もう、遅いわよ先生」

 最後に見たふらついた様子からはかけ離れた、けれど最初に聞いた時に感じたしっかりした口調で私たちを迎え入れたヒルデガルトは、けれど私の姿を見てすぐ後ろのソファに座り込んでしまった。

 すぐ後ろにソファがあってよかったが、多分さっきまで座って待っていたのだろう。

 部屋はあちこちに本と紙とよく分からない機材が積まれているが、ヒルデガルトの座るソファセットの一角だけは綺麗になっている。

 テーブルの上にはティーセット。ティーカップの中身は、無くなっているようだ。


「お待たせしてすみません」

 何も言わない先生に代わって頭を下げると、ヒルデガルトの息を飲む音が聞こえた。

 そのまま息を吐く気配なく震えているので、心配になって近づいてみた。

「……大丈夫ですか?」

 そっと覗き込むと、小刻みにどうにか息をしてはいるらしい。

「だ、大丈夫、大丈夫だけど、お願い、あの、窓を開けてもらってもいいかしら」

 窓を開けるほど部屋が暑いとは到底思えない。というのに彼女の顔は湯だったみたいに真っ赤だ。先生は、唐突に大声で叫んで窓を全開にし始めた。

「そうか! そういうことか!」

 何がか、全く分からなかったけれど、私も一応手伝う。

 この部屋の窓は普段あまり開けられないようで、桟には埃が積もっている。そして、窓が開けられると、そこらの紙が飛んでしまうので、それらを回収するのにひと手間かかった。


 そうこうしている内に、ヒルデガルトの呼吸は、どうにか落ち着いたようだ。顔はまだまだ赤いが。

「落ち着きましたか?」

 さっきは近づきすぎたのがよくなかったのだろうかと、少し離れた場所で声を掛けると、今度はどうにかそれなりに普通の応答をしてもらえた。

「ええ、まあ。……ごめんなさい、あなた、見ているだけでもその、何だかそわそわするんだけど、何ていうか、近付くとすごく、甘い香りがする気がして、息が苦しくて」

「甘い……?」

 自分ではそんなつもりはなかったので、手の甲を鼻に近付けて嗅いでみる。けれど特に何の香りも感じない。

「フェロモンてやつだと思うよ。そうだ、だって、君が水槽から出てからが一層ひどいわけだし!」

 窓の近くで深呼吸をしていた先生が、ようやく息が出来たというように肩を下ろしながら言う。ひどいって、ひどい言い方だがまあ、何がひどいのかは分からないではない。一言で言うと、この体にむらむらさせられているのだろう。欲情なんて言い換えてみてもいい。

「フェロモン」

 何の芸もなく繰り返したが、フェロモンというとあれだ。

 生体が体外に分泌し、他の個体に影響を及ぼすもの。

 他の個体に性的な行動を促す匂い、と認識される場合が多いが、それ以外の効果を及ぼすこともあるはずだ。

 が、先生が口にしたフェロモンに限っては、性的な意味を持つもので間違いないのだろう。そして密閉されていた水槽から出てから酷くなったというのも、うなずける。

 けれど。

「フェロモンですか」

 そんな自覚は全くないのだけれど、と首を捻ると、ヒルデガルトは顔を覆い、先生は窓の外に首を伸ばした。


 これは、自覚がなくとも自覚した方がいいのだろう。

 自覚したらどうにかなるというものでもないのかもしれないが。

「もう、もうもう! 先生ったらどんな設計をしたのよ! こんな子、叔父様に渡したら、どんなことになると思うのよ!」

 ヒルデガルトは、困惑しきったように顔を覆ったまま頭を振った。

 どんなことになるのだろう。それは私も知りたい。

「あー……、領主の仕事は停滞しまくっちゃうかもね」

 それは部屋に引きこもりきるということかな、と軽く想像してうなずく。

 先生は独り言のように言葉を続けた。

「まあほらさあ、目的にある程度沿った設計も入れておくべきだと思ったんだよね。折角腕を振るえる機会だったわけだし。でも一応あれだよ? ほんと、お人形のつもりでもあったから、」

 そこまで言って、先生は私を見た。

「君、そのフェロモンしまえるんじゃない?」

「……そうなんですか?」 

 つい質問に質問で返してしまった。

 だって自覚がないフェロモンがどうこう言われて、しかもしまえるんじゃないかと言われても、普通困るだろう。

 大体、フェロモンって意識でどうにかなるものなのだろうか。

 だが先生はこう言う。

「僕の考えと設計が間違いじゃなければ出来るはずだ。元々、相手を誘惑するもしないも、君には命令一つで可能なはずなんだ。自我があるなら自分で可能なはずだ」

 そんな無茶な、と思った。

 思ったが、私の意識のもう一つ奥、というよりは体の奥で、それは可能だという閃きがあった。


 ふ、と小さく吐いた息を、すぐに大きく吸い込み、留める。

 と、空気が大きく変わった気がした。


「こんな感じでしょうか?」


 私の言葉に、二人は頭一つ分だけ近づいて、そっと息を吸った。

 それから顔を見合わせて、改めて私を見る。


「すごい、これならただのすっごい綺麗な美少年て感じ! よかった! でもそれでもそわそわするんだけど!」

「ああ、よかった。道を踏み外さずにすんだ! 踏み外せって言われたら今でもすぐ踏み外せそうだから、言わないでおいてね!」


 どう受け止めていいのかよく分からない言葉を並べた二人に、私はただ微笑んで返した。

 どうも知らない内に、誘惑モードになっていたらしい。振り返ってみると、水槽を出る辺りからそういう思考を取っていたのも事実だ。それは黙っておいた方がいいだろう。


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