聖水はなんだかとろみがありました
オレキエッテの取り出した聖水とやらが、瓶の中でトプンと音を立てた。
瓶は透明さもあるが濃い青色で、中の液体の色まではよく分からない。
聖水に反応して立ち上がった先生は、不安と恐れを帯びた顔で青ざめているのだけれど、立ち尽くしたまま何も言おうとはしていない。
いや、出来ないのかな、と私は判断する。
多分、これは本物の聖水なのだろう。
何がどう本物か私が知るわけがないのだけれど、場合によっては先生が恐れる事態が引き起こされるものだというのは分かる。という本物。
先生のことだから、相変わらずこの体に宿っているのが淫魔だとでも思っているのかもしれない。
私自身に全くその気がないことは、淫魔ではないことの証明にはならないし。
個人的には、こんな体に宿ってればそれがだれであっても、例えば本当に幼い子どもの精神の持ち主であっても、淫魔扱いされるんじゃないのかと思ってしまう。
全く、この体の設計についてやり過ぎたと認めたくせに往生際が悪い人だ。先生は体と心の相互作用について今一つ理解が甘いんじゃないだろうか。
例えば、平凡な人生しか歩まなかった私が、この体を得た当日にはこちらから仕掛けるセクハラの楽しさをしってしまうようなことだ。
淫魔に相応しいような体を持っていながら、淫魔と疑われずに過ごすのは正直難しい気がする。
けれど一方、私は証明できずとも淫魔ではない。
所詮自分で自分を振り返るしか出来ないとはいえ、私は私で、その在り方に淫魔というものは存在していない。はずだ。
だから。
私自身にこの聖水を恐れる理由は何もないのだ。
最も、聖水と呼ばれているだけで、疑いのあるもの全てを断罪するような液体である可能性はないことはない。
聖水と呼ばれる液体に焼かれたのだから、この者は悪である、なんてことを仕組むことは常に可能だ。
それはちょっと嫌だが、断ることはどちらにしろ出来ないだろう。
神の意志に背く存在でなければ試練にもならない、なんて言われて断れるのは本当にそうある存在だけではないだろうか。
だから先生も、思わず立ち上がりはしても、止めはしないし、何を言うこともないわけだ。
私もただ、オレキエッテが瓶のふたを開け、瓶を私の頭の上で傾けるのを黙って見ているしか出来ない。
「さて、あなたに神々の祝福を」
オレキエッテは宣言し、何やら複雑な言葉を唱えた。
これまでに聞いたことのない、異国の言葉のような、古の言葉のような文言は、神に捧げるものなのかもしれないし、聖水と関わるものなのかもしれない。
瓶からこぼれた液体は、透明でありながら、どうやら粘性を持っているようだ。
ゆっくりと、静かに、油を注がれているかのように、見上げる私の上に下りて来る。
私はそれが、微かな光を帯びていることに気が付いた。
そして、それが私に触れた時。
光が爆発した。
光は爆発した。
けれど、主観でいえば、ただそれだけだった。
一瞬、あまりの光に驚きはしたけれど、痛みであったり、この体から引きはがされるということであったり、とにかく何の影響も感じなかった。
ただただ光に包まれ、本来先生の研究室である部屋の景色や、そこにいるはずの人の姿も見えなくなるほどではあったけれど。
むしろ、爆発した光が、その後上へと向かって勢いよく立ち上り始めた様など、荘厳な神殿にいるような気がする美しさだった。
最後の光の欠片が消えるまで、私はその光を見続けていた。
光が消え、研究室の景色が戻る。
ぱちりと瞬きをすると、光の中にいたのが幻想だったのではないかというほど、私はただ当たり前に、そして普通に、研究室の景色の中にいた。
オレキエッテは、瓶にふたを閉めているところだった。
瓶を懐に戻したオレキエッテが私に目を向ける。
すでに私が彼を見ていたことは気付いていたのだろう。
眼差しが絡むと、オレキエッテの目の奥に、剣呑な光が潜んでいることが見てとれた。




