魔術書に書かれることのない魔術ってどういうことなんでしょう
朝食を食べて昼食を食べれば、審問官がやって来る。
先生は美味しい朝食を食べる最中も、何やら準備に勤しんでいるようだった。朝食後に至っては、なおさらだ。
というわけで先生の相手をする必要のない私はというと、引き続き読書に勤しむことにした。ただし、魔術を身に付けるために本を読んでいくのではなく、魔術というものの全体像、今現在存在しているであろう術を網羅していくことに目的を変更していた。
朝食前のメイド長の言葉が引っかかっていたからだ。
ちなみに今朝はヒルデガルトがやって来ることはなかった。
朝食を運んで来たメイド長によると、今日一日は自室にいるよう領主様に言い含められたとか。
審問官がやって来ることをヒルデガルトが知れば、ありがたくも面倒なことになる気がしたので、ありがたい采配だと思う。
面倒というのはきっと領主様も感じたことなのだろう。
私の味方をしてくれるヒルデガルトは、可愛い存在だ。ただ、一方で私がたぶらかしていると見られてもおかしくない存在でもある。
ヒルデガルトが審問官にどんな態度を取るのか分からないし、実際にはわきまえた態度を見せるかもしれない。それでも、ヒルデガルトの態度によっては、私は即刻淫魔と判断されてもおかしくはないのだろうから、この場合はいないでいてくれた方がいいのだ。
調子に乗るんじゃなかったな、と初日のことを思い出して、私は苦笑いした。
あの場合は仕方がなかった、と自分を自分で慰めながら、思考を魔術書へと戻す。
魔術書は、先生の本棚にたくさんあった。
正直ホムンクルス関連の物より多いかもしれない。といっても、ホムンクルスに的を絞って書かれている本が少ないだけで、ホムンクルスの話題は生物学や医学にも関わるものなので、探そうと思えばもっとホムンクルスについて書かれたものは見つかるのだろう。
一方魔術に関しては、魔術に的を絞っておきながらも、歴史であったり、理論であったり、さらには実践、応用などがさらに多岐に渡ってそれぞれ本にされている。
例えば、四大元素である地水火風について書かれた本も、各元素だけで一冊以上存在しているのだから膨大だ。
先生の本棚にたくさんあるといっても、恐らくは世の中にはこの何倍もの魔術書があるのだろう。
私の目的は、魔術の種類をともかく網羅することだったので、各論には今のところ用がないし、個々人で極めていくことになる応用についても後回しだ。
この世界で魔術とされるものについて、見ていく。
四大元素に関わるもの、動物を操るもの、人を操るもの、植物を操るなんてものもあるようだ。
さらに見ていくと、知識を得るものや、物を強化するもの、治療的なもの、対象に魔術を宿すもの、異界の存在を呼び出すものなんてものもあった。
異界のものが呼び出せるのなら、私みたいな存在をさらに作り出すことも可能なのではないか、なんてふと考える。
ただ、かなり難しい術ではあるようだ。
術が成功して、呼び出したものがホムンクルスの肉体と相性が悪くなければ上手くいくのではと思うのだけれど、どうだろう。
こうして見ていくと、ところどころに『こんな効果を及ぼす術もあるはずなのだが、詳細は伏されている』なんて記述があることに気が付いた。
主に、あるはず、とはこれいかに。
ないことになっているということなのか、魔術として組み上げてはならないものなのか。
やり方について書かれているものであれば、才能がなくても日々修練していくことで身に付けることが可能であるようだ。けれど、書かれていなければ、その方法を自分で見つけ出せる者にしか習得は無理だろう。
しかしこうした記述がなされているということは、自分で術の構成を成し遂げた者であっても、それを後に残していないことになる。
具体的には、運を左右する術、人の心に触れる術、真実を知る術、などについてこうした記述がされている。
といっても、こういったことが可能なのではないかという程度で、例えば人の心に触れることでどういったことが可能なのかは書かれていないし、運をどの程度左右することが出来るのかもよく分からない。
けれども、人の心に触れることが可能なら、出来ることは一つだけではないだろう。
あえてその一つを想像するなら、嘘を見破るなんてことは、比較的簡単そうな気がする。




