温泉に入りたい気持ちが募ったばっかりに
先生は私を置いてお風呂に入りに行ってしまった。
しかも大浴場。羨ましい。
思えばこの体に目覚めてからまだ入浴を味わっていないのだ。
何だか無性に、お風呂で温まりたくなってきた。
といっても、この体で過ごして、丸一日も経っていないわけなのだが。
いいなあ、お風呂。
けれど会う人会う人、頬を染め目を潤ませるこの体で大浴場に入るわけにはいかないだろうという先生の言葉は、全くもって否定出来ない。
どんな目に合うか、空想上の美少年のことであれば楽しくもあるが、わが身のこととして考えるのは、遠慮したい。
我ながら複雑な乙女心だ。
自分のために淹れたハーブティーを、落ち着いて飲みなおそうと、トレイにカップとポットを乗せて研究室に移動する。カップを二つ乗せたのは、先生が戻って来てまた飲むかと思ったからだ。一応新しいものを乗せている。
この建物自体が先生の研究用なら、この部屋は書斎と呼んでもいいのだろうかと壁に並ぶ本を見て思い直したが、本以外の物も散乱しているので、やっぱり研究室かなとも思う。
そういえば、大学の教授の研究室には、教授によってはこんな部屋もあった気がする。
ぽっかりとその周辺だけ片付いているソファに座って、改めてハーブティーを飲むと、やはりとてもいい香りと味だった。
我ながらいいブレンドをしたものだ。もしかしたら魔力のおかげかもしれない。
魔力といえば、その気になれば魔術も使えるのだろうな、と考えてみる。
しかしどう使うことを考えているかといえば、大量のお湯が用意できるような術があれば自室でお風呂に入れるな、ということだったりする。
ハーブティーをゆっくりと、カップ半分ほど飲んだところで、ノックの音がした。
誰だろうと思うも、返事をして立ち上がるよりも早く、扉は開けられた。
「先生、起きてる?」
そんな入り方をしてくる使用人はいないだろう。入ってきたのはヒルデガルトだ。
ヒルデガルトは私の姿を見つけると、勢いのよかった態度を改め、もじもじとした乙女に変わる。
「あ、あら、起きていたのね。ごめんなさい、急に入って来てしまって」
ノックはしたものの、応答を待たずに入って来たことをはしたないことをしたと思っているようだ。
とはいえ、先生に対してはいつも勢いがよく行動していることが分かる。
まあ、多少地が出て勝手な態度が取れる相手も必要だろう。特にヒルデガルトは次期領主なのだから、それらしい態度を求められる場面の方が多いだろうが、そればかりでは息苦しいというものだ。
次期領主と考えて、ふと彼女の両親のことが気になった。
確か、叔父である現領主が彼女の父親から家督を預かった形になっているということだが、存命ならそんなことはしないだろう。
かといって、亡くなっているのかどうなのか、聞きづらいことでもある。なので私も、今確かめる、なんてことをする気はない。
「構いませんよ。先生はお風呂に行かれていますけど、お茶を飲みながら待たれますか?」
私は立ち上がってほほ笑むと、ヒルデガルトをソファへとエスコートすることにした。
手を差し出すと、驚いて顔を真っ赤にしながらも、ヒルデガルトの手が乗せられる。この辺りは、確かに次期女領主で、領主の娘らしい。
「仕方ないわね。先生ったらあなたを置いて行っちゃうなんて」
置いて行かれて困るようなことでもないのだけれど、ヒルデガルトはとりあえず何か喋らなくてはという様子だったので、別に彼女の言葉に深い意味はないのだろう。
「ん……、このお茶もすごくいい香り」
彼女の前に新しく淹れたハーブティーを差し出すと、ヒルデガルトは深呼吸をするように香りを吸い込んだ。
ハーブの香りに囲まれて、ヒルデガルトもまた朝の瑞々しさを得たように見える。
先生用にと思っていたけれど、カップを二つ持って来ておいてよかった。
「気に入っていただけたならよかった。そういえば、このお城のお風呂ってどういう仕組み何ですか? ずいぶん大きいお風呂があるらしいですけど」
入りたくて気になっていたということもあるけれど、使用人用に大浴場が男湯と女湯と別にあるなんて、ものすごく贅沢なことではないのだろうかという疑問もあったのだ。
話の流れで、つい聞いてしまった。
「仕組み……、ってどうなのかしら。この辺りは温泉が湧いているから、そのお湯を引いているのよ」
なんと思った以上に贅沢だった。いや、天然温泉なら、同じ量の水をわざわざ沸かすより贅沢ではないのだろうか。いやいや、やっぱり贅沢だ。
「そうですか。やっぱりちょっと入ってみたいですね。残念です」
「あら、もしかして先生がダメって言ったの?」
それは許せないとでもいうように、ヒルデガルトが表情をきつくしたので、私は慌てて手を振った。
「ああ、いえ、」
とはいえ、未成年で十代半ばの彼女にどう説明したらいいものかと、一瞬考えた。
考えたが、言葉には追い付かなかった。
「大勢に姿を見せることになるので、大浴場はやめておくように言われただけなので」
「だ、だったら」
ヒルデガルトは何故だかものすごい勢いで、私に顔を近付けた。
「わたし専用の浴室を使ったらいいわ!」
つい、笑顔のまま固まってしまった。
すごくいい提案だが、すごく困る提案でもある。
その上、下心というよりも、私を自分のテリトリーに引き込めること自体に嬉しさを感じているらしいヒルデガルトの提案は、断りにくい。
いや待て、と考える。一緒に入ろうと言われているわけではないから、ありがたく受け入れてもいいのだろうか。
「ね、わたしが使うお風呂なら、他に誰も使わないもの。自由に使ってくれていいのよ!」
これはやっぱり受け入れてしまおうと思いかけたところで、扉が開いた。
「そんなのダメに決まってるだろう!」
慌てた様子の先生だった。




