自覚していないのはフェロモンだけではなかったようです
オレンジピール入りの紅茶を、ポットからカップに注いでヒルデガルトの前に置く。彼女が先ほどまで使っていたセットは、すでに片付け済みだ。
その仕草をずーっと見られていたので、多少緊張する気がしたのだが、一方で優越も感じてしまっていた。
これが美形の体感している日常なのだろうか。
いや、かつて美人の知り合いもいたような気はするが、こんなに常にキラキラした瞳で見つめられたり、それを穏やかに受け流したりはしていなかったような気がする。
女でも、男でも、だ。
「どうぞ、ヒルデガルト様」
ソーサーから手を離して微笑むと、ヒルデガルトはああ、と息を吐いてソファに大きく寄りかかった。
そうなるかもしれないとは思っていたけれど、笑顔のないまま給仕をするというのも味気がないだろう。
むしろ、この体に早く慣れて欲しい気がしている。
「大丈夫ですか?」
部屋に入って来た時も聞いたことだけれど、あの時とは少し状況が変わっている。
ヒルデガルトは何度か大きく息をして呼吸を整えると、背もたれからそっと体を起こした。
「ええ、なんとか。ごめんなさい。わたし、あなたほど綺麗な人って見たことないわ」
「それは……、ありがとうございます」
他に返す言葉も思いつかず、微笑んで返す。ヒルデガルトは心臓が大きく跳ねでもしたかのように体を揺らすと、震える手で誤魔化すようにお茶を口に運んだ。
まだ落ち着ききってはいないけれど、美少年に動揺する可愛い女の子の姿に、私は微笑ましくなってその姿を見ていた。
するとお茶を一口、二口と口にしたヒルデガルトから、唐突にふっと体の力が抜けていった。
「……これ、いつものお茶より、全然美味しいわ」
「気持ちを落ち着かせるのにいいかと思って、オレンジピールを入れました」
まるで独り言のように呟かれた言葉だったが、答えてみると、ヒルデガルトは今まで見た中で一番穏やかな目を私に向けた。
「そういうことじゃない気がする」
自分でも何をどう言っていいのか分からない、という感じに、ヒルデガルトは視線を彷徨わせた。けれど言葉は見つからないようだ。
「あなたも飲んでみて? あなたが淹れてくれたのだし」
そう言われて断る理由もない。
次期領主、なんていう女の子の前に同じように座っていいのだろうか。なんてこともちらりと頭を過ったが、気にしないことにした。
ヒルデガルトの斜め向かいに座って、自分で淹れたお茶を飲む。
一口、二口と飲んでみたところで、様子をうかがっているヒルデガルトと目が合った。
恥ずかしそうに逸らされた目に、ついつい微笑みが浮かぶ。
「ど、どうかしら?」
お茶の味を気にしていたんだから、と言わんばかりの聞きように、やはり笑みが浮かぶ。
が、お茶は確かに美味しいものの、私にとってはただそれだけのような気がする。
「美味しいですよ」
答えると、ヒルデガルトは少し納得がいかないという顔をした。
「美味しいけど、だって、このお茶、飲んだだけで、なんだかすっとするっていうか、落ち着くんだもの」
私ははあ、ともほお、とも言わず、ただ頷く。
ヒルデガルトの言ったことは、彼女の様子を見ていて分かったことでもあるが、私がお茶に対して実感出来たことではない。
ふと、先ほどのフェロモンと同様、私には分からないところで何かが作用しているのかもしれない、なんて考えが頭を過る。
が、思いついただけでは自分ではどうしようもなかった。
「オレンジピールが良かったんでしょうか」
仕方がないので、何か効果があるならこれだろうというものを適当に話題に出してみる。
けれど案の定、ヒルデガルトは首を振った。
「それは美味しいけど、それだけでこんなに気持ちが切り替わったりしないでしょう?」
もっともな話だが他に私に思いつくものはない。
曖昧な表情でいるしかなくなっていると、台所に繋がる扉が開いた。
「もしかしたら、魔力が働いているのかもな」
「魔力って、先生、そんなところまで設計に盛り込んでたの?」
話は聞いた、という感じに扉から出て来た先生に、ヒルデガルトは眉をしかめた。なるほど、魔力なんてあるのかと、私はそれをぼんやりと聞く。それよりも気になることがあるのだ。
先生、いい風に出て来たことを装っているけど、微かに息が上がっているのだ。
未だにフェロモンの影響下にあるのか、別の理由なのか。
先生の息の上がりように想像できることはあるものの、それは触れない方がいいことなのだろう。
未だに成人女性の自覚もある身として、勝手に納得してひっそりうなずいておく。
「だって、折角ホムンクルスを作れる機会だったんだよ? ありったけの技術と知識は総動員するに決まってるだろ」
先生は何故か誇らしげに言い切って、私の隣に座った。
もちろん先生にもお茶を淹れてカップを渡す。
「組み込めるものは全て組み込んださ。君がさっきオレンジピールを自然に選べたのは、半分は、僕がそうやってあらかじめ入れ込んでおいた『知識』のおかげじゃないかな」
ほう、と私はうなずいたが、ヒルデガルトは頭を抱えている。
何か問題があるのかもしれないし、私にも気になるところはあった。
「もう半分の何かがあるということでしょうか?」
「そう。それがまさしく魂の問題ってことになるんだけど」
と言葉をきってお茶を口に運んだ先生が、目を見開いた。
「なんだこれ、本当に魔力が巡ってるんじゃないのか? 魔女の淹れたハーブティー並みのお茶になってるんだけど!」
「先生がそう設計したんでしょ!? どうするの、こんな子、本当に叔父様に渡しちゃうの!?」
何やら大変そうなやり取りをする二人を見ながら、自分に魔力があるなんて、全く実感がないのになあと、自分にとってはただ美味しいお茶を味わうしかなかった。




