宿っているのは淫魔ではありません
落ち着いて座って、お茶を飲みながら話すことになった。
この部屋、というより建物は、先生の研究用に領主から与えられたものだそうだ。今いる部屋の隣にはかなりしっかりした台所があって、水がひかれていて火も使えた。
水は流れっぱなしで、火は石炭を使っているようだ。とはいえ調理台の見た目はコンロと同じで、使い勝手はそう悪くなさそうだ。
ヒルデガルトは次期領主らしくというべきなのかどうか、ともかく自分でお茶を淹れることはないらしい。先生がお茶を淹れると言ったので、私は興味を惹かれてその様子を見せてもらうことにした。
フェロモンとやらは収まっているはずだが、念のために戸先生は台所の窓も開ける。
が、不思議なことに部屋と繋がる扉は、これも先生が閉めた。
水場とコンロ、それからオーブンとして使えそうな窯もある。そんな立派な台所には大きな薬缶と小さな鍋、それからたくさんの瓶が並んでいるだけだった。
中央にある台を使えば麺でもパンでも作れそうなのだけれど、どうやらここで料理が作られることはないようだ。
「この瓶は、なんですか?」
棚にずらりと並んでいる瓶は、それぞれ違った色合いのものが詰め込んである。見たところ乾燥した植物だ。一瓶に一種類。遠目だとカラフルなそれらは、近付いてみると葉っぱだったり茎だったり、花びらだったりする。
とりあえず聞いてはみたものの、答えが返る前に何なのかは大体分かった。
「そっちの棚はハーブだよ。そっちも煎じて飲めば美味しいけど、ヒルデガルトは味に癖があるから苦手なんだ。気持ちを落ち着けるにはハーブもいいんだけどね」
そう言って先生が取り出したのは瓶ではなく、缶だった。
中から茶葉をすくい取ってポットに入れているのを見ると、紅茶のようだ。
お湯はまだ沸いていないので、私はざっと棚を見渡してその中の一つを取った。随分と数がそろっているようだが、先生は自分でブレンドしているのかもしれない。
「ハーブが苦手でも、これを混ぜるのは大丈夫かもしれませんよ? リラックスにもいいでしょうし」
選んだのはオレンジピール。これならカモミールやラベンダーが苦手な人でも、紅茶に入れて飲む分には大丈夫ではないだろうか。
先生は数度瞬きして、うなずいてそれを受け取った。
「いいチョイスだね。……でもどうしてこれを選んで僕に?」
その問いに、私は少し考えて肩を竦めた。
言われてみれば確かに、私はハーブに詳しかったわけではない。
「さあ。何となく、その方がいいと思って」
正直に答えると、先生は、考え込むように息を吐き出した。
「知識は正確、一方で曖昧な自立的思考か……」
何のことだと首を傾げると、先生は困ったなと額を押さえた。
「ああ、ごめん。君がそうして首を傾げると、説明しないといけない気になるんだよね。いや、困っているのはそれだけじゃないんだけど、これも困るっていうか」
はあ、とうなずくしかない。
先生が私の挙動にどぎまぎしているらしいというのは分かったが、流石にそれを抑えるのは難しい。ともかく、他に困ることというと何だろうか。
「私がこうあることが本来ではないというのは、お二人の会話から理解していますが。それで困ることというと、どういったことがあるんですか?」
「うーん、まあ、色々。ほんと、色々すぎて、何から説明したらいいのかってとこなんだけど。っていうか、君、僕らの会話を聞いてたって、いつから目覚めてたの?」
その問いに、結構状況をしっかり把握している人なんだなと感心した。
途中おたおたしたり、フェロモンに惑わされたりばかりしていると思っていたが、私が目覚めたのが二人に向けて目を開けた時なら聞いていないはずの会話を、しっかり聞いていることを理解している。
「お二人があの地下室に入って来られた少し前からですよ。それ以前には、この体で目覚めた記憶は一切ありません」
「……その体で?」
私の含ませたものに、しっかり食いついてくれたので、大きくうなずいてみせた。
先生はまじまじと私を見つめ、そして、目元を赤くして目を逸らした。
その横で、薬缶がそろそろ湯が沸くことを知らせようと音を立て始めた。
「まいったな。君、まさか淫魔が宿ってるとか、言わないよね」
私はその言葉に肩をすくめる。
薬缶がすっかりシュンシュンと音を立てているので、動かない先生に代わって薬缶を手に取った。
背が先生の胸ほどまでしかないので、少し持ち上げにくくはあったが、腕力はある体らしく、そちらでカバー出来た。そう筋肉がついているように見えない細さなのに、いい腕である。
目に入った鍋敷きに一度薬缶を置いて、既に茶葉の入ったティーポットにオレンジピールを入れて、湯を注ぐ。
うん、いい香りだ。
これまた見つけたトレイに、カップとポットを並べておく。いつもお茶を淹れているであろう先生が、手順に文句を言わないので間違ったことはしていないだろう。
「本当に淫魔なら、フェロモンを抑えたりしないし、お茶より先生を襲う方を優先すると思いますよ」
そう言ってやると、先生は頭を掻いた。
「やめてくれ。それはそれで、そうされてみたくなるくらい、君、とてつもないから」
その言葉で思い出す。
「ああ、そういえば、まだ自分の姿がどんなものなのか、知らないんですよね。鏡が見たいんですけど」
すると先生は何故かとてつもなく渋い顔をした。
「君が自分の姿を自覚した振る舞いを始めるとなると、ほんと、怖いな」
そんなにか。そんなになのかと聞きたいが、多分そんなにだと返ってくるのだろう。
そんなになのなら、いっそ淫魔のような美少年として生きていくのも楽しいのかもしれないと思えてくる。
けれどまあ、まずは。
「とりあえず、お茶にしましょう?」
そう言って私がトレイを持ち上げて微笑むと、先生は扉を開けてくれた。
が、先に言ってくれと言われて、ヒルデガルトの待つ部屋に戻った私の後ろで、扉が閉められた。
先生が部屋に戻ってくるまでに、少し時間が必要だったが、理由は知らない。




