2.旦那が消えた!(後編)
山道の藪をかき分けて進んでいく。
村井さんの他に、町内会の男性二名も付いてきて下さった。
金物屋さんとコンビニの若旦那方である。
奴が怪我をして身動きが取れない場合を見込んで、村井さんが呼び掛けて下さったのだ。
一方で警察は、というと。
やはり、情報の根拠がないと動けないのだそうだ。
こちらとしても『狸が情報源です』などとアホな事を言って信じてもらえるとも思えなかったので、そこは諦めた。
もちろん今回の入山届けは直接出したし、沢は消防の管轄範疇なのだそうだから二次遭難の危険性は無いだろう。
それにしても若旦那方二人はアマゴのポイントが知れるとあって、大喜びである。
う~ん、むーちゃん達の餌場なんやけどなぁ・・・・・・
念のため、『狸を見かけても、捕まえたりしないで下さいね』、と言った処、ここは一部の鳥獣保護指定があり、狸もその中に含まれるのだそうだ。
まあ、むーちゃんが狩猟の対象になるとも思えないが、そういえばむーちゃんのお母さんも・・・・・・、いや、今はその話は置いとこ。
不愉快や!
ともかく、“あの話”を聞いて以来、『むーちゃん達ってほんま狸なん?』
などと考えながら、山道を進む。
娘は金物屋の奥さんに預かって貰ったので問題無い。
で、こちらも季節的に昼間の気温も道筋も問題無い。
山道は案外なだらかであり、藪さえ気にしなければ家族でのトレッキングコースに指定されても良いほどだ。
だが、それは土地を知っている村井さんの案内あってこその話である。
万が一、を考えると子供は連れて行けない。
普通なら、その万が一に“父親の死体と御対面”と云う悲劇もあり得るのだ。
もっとも今回はむーちゃんが、旦那は元気に生きている、と保証してくれているのが救いだ。
万が一を考えたむーちゃんは、そっと旦那の後を付いて行ってくれたらしいのだが、問題はその後や。
いつまで経っても旦那に帰る様子が見えない。
崖を見つめては肩をすくめるだけだったと言う。 狸も驚く程の呑気さや。
そこで遂に彼女は心配になって山を下り、我が家までやって来たという訳だ。
確かに、山の中に小さな女の子が一人で現れる訳にもいかないのだから、我が家に飛び込んできたのは正しい判断だ。
しかし、ここまで知恵が働くと、もう狸と言うより何か他の存在に感じてしまう。
それに問題は、やはり、むーちゃんのお母さんや・・・・・・
出発前には村井さんから自分も残って待つ様に言われた。
「おかみさんは、万が一・・・・・」
と、男性三人が言葉を濁して気を使ってくれたのだが、これはあの阿呆に反省させる意味もあるのだ。
何より今、むーちゃんは山に戻って旦那が今の場所から動き回らない様に見張ってくれるという。
今は彼女に望みを掛けている。
連絡のために、あの子が山中で現れるとしたら、私の前以外は無理や。
それをも考えたのだ。
大型のラッセルナイフという鉈を使って若旦那方二人が藪を切り開いていく。
道は確かに有るのだが、五十年近い歳月が細い草木を生い茂らせ、足下の小さな道標石が百メートル毎に見つからなければ、本当に道を進んでいるのか分からない程に細い道だ。
尤も、これだけ切り開いた上にあと3ヶ月は釣りが出来るのだ。
週末ごとに二人の若旦那方はこの道を通ることに決めたらしく、今後も道は大きくしっかりとしたものになっていくだろう。
「まあ、僕らの仲間以外に教える気は無いですけどね」
などと二人は、ご満悦である。
川の音がしてくると、二人とも『うん、これは当たりだわ!』、『良い流れの音だよな』などと、既に来週の話を始めている。
勿論、本音もあるのだろうが言葉が無駄に明るい。
うちに向かって“旦那は無事だ”と言外に伝えたいのだ。
うちは旦那が生きている事を知ってはいるが、今、その事を表に出せないのは申し訳ない気分だ。
それにしても人の情けが身にしみます。
あの阿呆の情け無さはもっと身にしみます。
そう思いつつ、川沿いの細い岩場を上流に向かって進んでいく。
本当に綺麗な川だ。 時々、小さな魚も見える。
「あれがアマゴかなぁ?」
うちの質問に、若旦那方は色々な魚の種類を教えて下さる。
「あれはイワナ」、「あれはよく分からん」、「ホトケドジョウかな?」などと、2人は川に目をやるが、後から聞いた処、実は“漂流物”を探していたのだそうだ。
川上で遭難した人間は自分の持ち物を流して、居場所を知らせることがあるらしい。
うちの旦那にそんな知恵があるのだろうか?
いや、人間必死になればそれくらい考えつくだろう。
しかし、その様なものは一切見えず、いよいよ“むーちゃんのポイント”が近付く。
そして、そこに辿り着いた時、
「おおっ!」
若旦那達のみならず、私もそして村井さんも思わず息を呑んだ。
一メートル程度の僅かな段差の滝だが、これがまた美しい光景を作り出しているのだ。
此の様な少しの段差や中州のある、激しい流れの中では様々なプランクトンが掻き乱される。
要は自然の撒き餌状態だ。
だから、この様な場所が釣りの絶好のポイントになるのだそうだ。
しかも、すぐ上まで広葉樹が広がり、落ち葉にも事欠かない栄養満点の場所だそうである。
あまりの美しさに目を奪われていると、何処からか妙な音が聞こえる。
「何ですか、これ?」
金物屋の若旦那が不思議そうな顔をする。
うちはこの音を知っている。
“すりこぎ”を“すり鉢”の中で掻き回したようにしか聞こえないが、これは奴の鼻歌だ。
「歌っとる場合か! アホー!」
怒鳴ると、岩陰から奴がひょっこり姿を現した。
「おお、お前、何でここに?」
うちは泣きながら旦那の方にすり寄っていく。 岩場を登るのも苦にならない。
旦那は手を出してうちを引き上げる。
手を借りて登り切ったところで、自然な動作で奴を川に蹴り落とした。
「ぎゃ~!なにするんじゃ! 死んでまうわ~!」
「阿呆! 五十センチ程度の水深で死ぬか!」
と言ったのだが、あれ、流されていく・・・・・・、
川って意外と流れ速いんやねぇ・・・・・・
若旦那二人が用意していたロープを使って、途中の岩に引っかかった旦那を回収した。
用意が無駄にならんで結構なことやと思う。
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恐ろしい事に、うちの予想通りであった。
旦那は帰るのを諦めて、助けが来るまでここで生活しようと考えて居たらしい。
ロビンソン・クルーソーじゃあるまいし、本気か!
この季節でも五度以下までになる山中の夜をどうやって凌いだのか、村井さんが不思議に思ったらしく、旦那に尋ねると、
「いやな、ほれ、この前助けた狸。 あの足と尻尾だけ真っ白な奴。
あいつが他の狸を五~六匹引き連れてきて一緒に寝てくれたんや。
メチャクチャ暖かかったぞ! 狸の恩返しやな!」
旦那はそう言って大笑いするだけだが、うちはむーちゃんから聞いて知っている。
むーちゃんのお母さんは旦那に助けて貰って以来、旦那にべた惚れだとか。
夜になると、それはそれは“妖絶な姿”に変わって此奴を暖めていたらしい。
こやつ、下手をすればここで狸と所帯を持ちかねん処やったんや。
うちがこいつを川に蹴り込んだ気持ちも分かってもらえるやろ。
何が悲しゅうて“狸”に旦那を寝取られ掛けな、ならんねん。
まあ、むーちゃんが言うには、旦那はさっさと眠ってしまっていたので、夜の“お母さんの化け姿”は夢うつつでしか見とらんらしいが、後で締め上げな、ならんやろ。
夢の中でも『やましい考え』が無かったとは、絶対に言わさへんで!
旦那のキャンプには焚き火の跡があり、そこには釣ったばかりのアマゴの他に、鳥の骨が幾つか転がっていた。
これも“不思議なことに”狸たちが持ち寄ってくれたという。
それをさばいて塩焼きで食べていたらしい。
これを聞いた村井さんは
「塩を沢山用意していたのは偉い!」
と、妙なほめ方をする。
何でも山の遭難で怖いのは“塩分不足”から来る“カリウム中毒”というものらしい。
大抵の遭難者は、これで体力を失って倒れるのだそうだが、旦那は塩のお陰で元気いっぱいだ。
まあ、それだけは結構な事や。 自力で下山できる。
旦那の狙いのアマゴは今日だけで二十も釣れたらしく、それは皆にお裾分けする事にした。
まあ、せめてものお礼です。 それに後からは別に挨拶廻りも必要やな。
ともかく、こうして旦那は無事に沢から間道に戻ってくることが出来た訳だが、ふと旦那が降りてきた崖を見ると、確かにこれは人が登れる様なものでは無い。
というか、降りることすら難しい崖だ、と皆で口を揃える。
当の本人ですら、どうやって降りたのか全く覚えていないのだそうだ。
釣り人の執念は恐ろしい、と感じ入る事件であった。
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翌々日、旦那は約束通り“娘と娘の友人”を連れて『ラットランド』へ出かけた。
うちは疲れたので、今日一日はゆっくり休ませてもらう事にする。
それにしても、むーちゃん・・・・・・、
あんたも『ラットランド』に行きたかったとはねぇ。
ポイントを教える交換条件を、“それ”にしたのは良かったけど、このままでは旦那が出発に間に合いそうも無い。
それが心配で我が家に飛び込んで来たとは思わんかったわ。
ネズミの遊園地で遊びたがる“狸”って、プライドはどうなっとんねん?
え、結局どうしたかって?
そりゃ、さっき言った通りです。 一緒に行かせてやりましたとも。
何と言っても旦那の“命の恩人”、いや“恩狸”ですからね。
しかしなぁ、いろんな意味でホンマ、疲れたわぁ・・・・・・
あっさりした結末でしたが、童話と言うことでご勘弁を!
次回は長女ちゃんが主人公になります。
八時頃の投稿を予定しています。
写真はフリー素材を使わせて頂きました。