2.旦那が消えた!(前編)
事の起こりは、3日前のことだ。
奴が消えた。
イヤ、“消えた”と言っても別になんか忍者みたいに、ドロン、パッ!と消えた訳ではない。
四月三十日、奴は釣り竿と共に出て行ったまま消えてしまったのだ。
海に行ったのか、山に行ったのかもよう知らん。
とにかく消えてもうた。
釣りに行って一日またいで来ることは今までも在った。
しかし、だ。
今回は三日経っても帰ってこないのである。
ゴールデンウィークの予定も立て、娘と都内の夢の国、「ラットランド」に行く約束までしていたのだ。
どうして、こうなった。
いや、そりゃあ『生きてるから、困ってる』なんて冗談噛ました事もあるでぇ、しかしなぁ、ホンマに居なくなると不安でしょうがないやんか。
いや、うちはまだ良いとして、娘は泣きっぱなしや!
『ラットランド、どうなるんやっ!』って、少しは父親の心配もしいやぁ~!
ともあれ、三日目ともなれば警察に行かざるを得ない。
多分ではあるが奴は山にいる。 いや、それしか考えられへん。
ウキウキと浮子を磨けば海、毛針を選べば渓流狙いで山。
消える前日に奴が毛針を“ああでもない、こうでもない”と、触りまくっていたのを確かに見た記憶がよみがえる。
と云う訳で、警察へ捜索願を出す。
まさか死んどらへんよなぁ、段々心配になってくる。
町内会長の村井さんが一緒に付いてきてくれた。
有り難いことです。
旦那は村井さんの畑にもよく行く。
その為か村井さんは、旦那のことを自分の息子ことのように心配している。
村井さんは幾つか山ももっとる大地主さんや、“もしや自分の山で”と責任を感じるような言葉まで出して下さる。
しかし、山があるのは村井さんの責任やありません。
あと、あのアホの遭難も、です。
そうして村井さんの車で本署に辿り着く。
交番で出来る話では無かろう、という村井さんの心配りや。
重ね重ね、有り難い。
だが、その警察署でうちは、実に恐ろしい事を知ったのだ。
日本の法律では海難事故の場合、捜索・救難にかかる費用はロハや。
ああ、ロハってのは「只」いう意味やな、ほら、ロとハが組み合わさっとるやろ。
って、そんな説明し取る場合やあらへん。
あのな、問題は山での遭難や。
そこで捜索に掛かる費用は警察と消防が入れる範囲以外は全て個人持ちなんやと。
「はい?」
それを説明されて思わず妙な声が出る。
それから猛烈な怒りが湧いてきた。
「金! 金って何ですか。 人の命が掛かってるですよ」
「そうや、そうや! 『ラットランド』が掛かっとるんやで!」
娘、黙れ!
私の問いに、担当の警察官は困った顔をする。
「ん~、旦那さんの入山届けが何処にも出て居ないんだそうです。
登山道入り口の無人ポストも確認したんですがね。 これでは警察や消防は動けないんですよ。
となると、民間団体に頼むしかない。 そこで金銭の請求が発生する訳です。
言っときますが、発見・未発見に関わらず、相場は一人あたり五~十万円と考えて下さい」
「一日二十人で探した場合、安く見積もって百万円ですか!?」
愕然とする私の言葉に警察官は首を横に振る。
「ど、どうしてですか!」
「あのですね。 例えば、方角だけ分かったとします。
そこに人を入れて探すとなると闇雲には探せません。
まずは専門家を雇います」
真剣な表情で説明していく警察官。
その話に“こくこく”っと私は頷く。
「彼等はチームで動きますので、計画立案段階で既に半額ほどの金額が発生します。
しかもですね・・・・・・」
ここで警官は言い辛そうに言葉を止めた。
「しかも、何ですか?」
「いや、さっき言った遭難した方角ぐらいしか分からない、と言う事です」
「はい?」
「その場合はヘリをチャーターして、おおよそのルート確認と捜索から開始することが多いんですよ」
「ヘリ!」
聞き慣れぬ言葉にビックリである。
「ヘリって・・・・・・」
「ヘリコプターやで! 母ちゃん知らへんのか?」
「だから、お前、黙っときい~やぁ~!」
私の怒鳴り声に殆どの署員が一瞬、ビクッとしてこちらを見たが、すぐに自分の仕事に戻った。
やや恥ずかしいが、こっちはそれどころではないのだ。
全く、娘は大物過ぎる。
村井さんが娘の手を取ってソファに引っ張っていってくれた。
ヘリのチャーター費用は一時間で約五十万円。
勿論それだけで済むはずもなく、最低でも三~四時間は普通に飛ぶ。
あかん、これだけで百五十万か二百万や。
となると、計画費用五十万円、ヘリチャーター二百万円、捜索の人たちが二十人として、やっぱり百万円。
これが二日、三日ともなれば・・・・・・、
うちの考えを見透かしたかのように、担当のお巡りさん(親切な方、と分かったんで呼び方も柔らこうなる)が、残念そうに口を開く。
「最低でも一千万円は覚悟して下さい。
山の遭難は家族の方々に様々なダメージを与えます。
冬より、この時期の遭難が年間で一番多いんですよ。
良い季節ですから、皆さん油断なさるんでしょうが、夜間の山中は未だ寒いんです」
そう言ったきり、彼も俯いてしまった。
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その後、どうやって家に帰り着いたか覚えていない。
遭難は最初の七十二時間が勝負、とあのお巡りさんは言うてはった。
となると・・・・・・、
「リミットは今日、明日中や! こうしちゃ居られへん」
慌ててタンスを漁る。
今、我が家には幾らあっただろうか?
この家は母親の名義、何とか生前贈与して貰う形で銀行から融資を・・・・・、
色々と考えてしまう。
と、そこへ娘がやって来た。
「おかあちゃん。 大丈夫か?」
ようやく、この子も事の重大さを分かってくれたようだ。
しかし父親が死ぬかも知れない、とは思っても居ないのだろう。
それとも、うちの顔色から判断したのかな?
ふと、娘が難しい顔で何やら呟く。
耳を傾けると・・・・・・
「む~ちゃん、何処まで行けるかなぁ?」
妙なことを呟いているのだ。
当然だが、思わず尋ねる。
「なあ、何でここでむ~ちゃんが出てくるん?」
直後、うちは自分の耳を疑った。
娘はこう言ったのだ。
「だって、むーちゃんは狸やさかい、山奥の道も知っとるんとちゃうん?」
娘の言葉に一瞬息が止まるかと思った。
「あ、あ、」
「アメンボ!」
「尻取りちゃうわ!」
全く持って驚いて声も出ない、とはこの事である。
「あんた、何でむーちゃんが、狸って・・・・・」
その言葉に娘は目を見開き、ハッとした顔をする。
「あ~、そういえば、むーちゃんが『たぬき』ってこと“ないしょ”やったんやぁ!
お母ちゃん、だましたなぁ、ひどいっ!」
って、お前が勝手にべらべら喋っただけやろ!
呆れるうちを尻目に娘は、何やらブツブツと呟いている。
再び耳をそばだてると、
『ああ~、ケンちゃんやミサキちゃんに怒られるぅ~』
まさに半泣きである。
うちに叱られても“べそ”ひとつ掻いた事もない太々しさなのに、友達に嫌われるのは怖いらしい。
因みに、親より友人が怖い子は高い確率でグレるそうだ。
もうグレとるようなもんやから、まあええ。
そう言う時期は早く来れば一番問題の多い時期に取り返しが付かんことは無くなる。
ん~、なんか忘れてる・・・・・・、あ、旦那や!
いかん! うちまでおかしくなっとる。
と言うか、この夫婦だからこの子なのか、と段々自信が無くなってきたが、まずは話を整理しなくてはならない。
実は『むーちゃんはたぬき』というのは、この子達、仲良し五人組の間での秘密だったらしい。
最初にむーちゃんと知り合ったのが、地元の子の健一郎君。
それから、健一郎君の幼なじみの美咲ちゃん。
つまり、これがさっき娘が言っていたケンちゃんとミサキちゃんだ。
それに併せて、それぞれの友達の祐二君と栞ちゃん、それからうちの娘、以上の計五人と一匹が裏山探検隊のメンバーなのだ。
狸と友達って・・・・・・、まあ、あれ以来、うちも知らん振りしてるんやけどな。
それはともかく娘の案は悪くない。
早速、むーちゃんを呼びに行ってもらう。
「って、むーちゃん。 何処に行けば会えるん?」
「お堂の近くで“むーちゃん!”って呼ぶと出て来るで!」
「そ、そうか・・・・・・、やっぱり、あのお堂か・・・・・・」
狸の社なんかね? あのお堂は?
ともかく、善は急げや、と云う訳で急ぎ立ち上がった瞬間、戸を叩く者が居る。
「札に在る通り、しばらく臨時休業です!」
そう怒鳴って準備を進めようとしたところ。
聞き慣れた可愛らしい声がしたのだ。
「むー、ですぅ・・・・・・」
この小説、消える話ばっかりですね。