表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

アイドルの犬塚くん

作者: 青野錆義


 犬塚いぬつかくんは、昔からとてもかっこよかった。


 昔とはいっても、彼と初めて会ったのは高校生になってからだ。クラスの違った私は、友達から見せてもらった写メで彼の存在を知る。出会いは一方的だった。


 友達が写メを保存するくらいかっこいい犬塚くんは、当然学年単位で人気者だった。そんな彼と、教室のはしっこの地味な私とは、当然接点もない。

 聞くところによれば、男女からよくモテて、大人数で遊ぶことがほとんどらしかった。私にはとてもじゃないけれど、できない。人がたくさんいると、そのぶん影が薄くなるからだ。打ち上げなんかで、一度も話さず解散、なんてこともあった。


 犬塚くんには、その頃から妙に感心し、少し尊敬もしていた。大勢に愛されるなんて、それは人間ができているからだと思ったから。


 そんな犬塚くんと初めて話したのは、体育祭の日。

 うちの学校では、最後にフォークダンスがあった。うちの学年の女子で、フォークダンスがダルいという生徒は一人もいない。犬塚くんと踊れるから。そしてそのチャンスは、全員にあるからだ。

 勿論、私にも。体育祭の種目が終わって、みんな汗だくだった。クラスの女子は一生懸命汗の臭いを消していたけれど、私はしなかった。着替えたあとにするつもりでいた。

 犬塚くんと見知らぬ女子は、音楽に乗って足を踏み出す。犬塚くんとなかなか手を離さなくて、次の男子が可哀想だ。

 犬塚くんがくるくると女子たちを回って、ついに私の番になった。犬塚くんは、感じのいい黒髪に汗を滴らせている。


「お疲れ」


 短い言葉が私にも届いた。犬塚くんはこうやって躍りながら、みんなと話をしていたようだった。私もしたかったけれど、男子とは恥ずかしくてできなかった。普通にねぎらいの言葉をかけられる犬塚くんはすごい。


「お疲れさま」


 くるっと回って、手が離れる時に私も言った。後ろにいたから顔が見れなくて、だからきちんと見えるときに言いたかったのだ。

 次の男子が可哀想だと思っていたので、さっさと犬塚くんの手を離した。


 それから毎年、フォークダンスで犬塚くんと踊ったけれど、交わした会話はいつも「お疲れ」と「お疲れさま」だけだった。ほかに接点はなかったので、犬塚くんとの会話は三回だけ。


 卒業して、大学を出て、私は会社勤めになった。

 ヒールが窮屈だったけれど、高校のローファーも窮屈だった。そう思えば、着なれないスーツも気にならない。大学の制服がなかっただけで、思えばもう十数年間も制服を着ていたのだから。


 仕事に慣れてきたころ、アイドルの犬塚くんをテレビで見るようになった。

 どうやら高校を卒業してから、アイドルになったらしい。高校を出てからなんて、結構な遅咲きだと私は思うのだけど、犬塚くんはとても人気者になった。


 バラエティー番組に出る犬塚くんを眺めながら、私は考えることがあった。

 人気者の犬塚くんは、さぞかし気が利いて、ハキハキしていて、そしてにっこり笑うのだと思っていた。けれども実際テレビで見る犬塚くんは、私のイメージとは違っていた。


『犬塚さんは、先程のお話はいかがでしたか?』

『そうですね。面白かったです』


 犬塚くんが答えると、観客席からキャーッと嬉しそうな声が聞こえた。月並みな言葉に沸くみんなを、犬塚くんはいかにもどうでも良さそうな笑顔で見ていた。


 私は少なからずショックを受けた。

 アイドルの犬塚くんが、あんまり褒められた人間ではなかったから。それと、人を先入観で決めつけていた、私に。

 勝手に人気者の犬塚くんが素晴らしい人だと、想像していただけだったのだ。犬塚くんに失礼なことをしてしまったと思う。


 そう気づいてから、私はできるだけ人のことを見るようになった。先入観で決めつけられるのは、悲しいことだと思う。それを気づけてよかった。


 私のイメージとは違う犬塚くんを、テレビ越しによく眺めるようになった。


「先輩、犬塚さん好きなんですか?」

「うん。ファンってほどでもないけど、よく見ちゃうんだよね」


 後輩の派手な女の子にも、私は臆することがなくなった。

 最初はきらびやかな彼女と話が合う気がしなくて、故意に避けていた。けれど犬塚くんのことに気づいてから、彼女のことも理解してみようという気持ちになったのだ。

 そうして話しかけてみれば、彼女は美羽みゆという名前で、地味な私にも気さくに接してくれるいい人だと分かった。意外にもアイドルより漫画が好きらしく、今度おすすめを貸してもらう約束をしている。


「犬塚さんって、あたしも見ますけど、ちょっと怖くないですか?」

「そうかな?」

「ドラマじゃ爽やか爽やかしてますけど、何て言うか、素が出ませんよね。わざとらしい感じで。驚いたりしないっていうか、アレ絶対性格作ってますよ!」


 力説する美羽ちゃんに相づちをうちながら、お弁当を口へ運ぶ。

 そのあと美羽ちゃんの手によって、黒髪をなびかせる犬塚くんから眼鏡の男の子へ。

 私のスマホの待受は変えられた。




 ヒールを地面に打ち付けてうちへ帰ると、電気がついていた。

 鍵をあけて中へ入れば、美味しそうな匂いが漂ってくる。未だにちょっと窮屈なヒールを脱いで、脇に揃える。


「ただいま」

「おかえり。ご飯はもうすぐできる」

「うん、ありがとう」


 黒いエプロンをつけた犬塚くんは、私を見てからキッチンへ引っ込んだ。漂う夕飯の匂いに、私のお腹が小さく鳴いた。

 今日の夕飯は多分、カレーだと思う。お腹の減った私は、すぐさまスーツを着替えて手を洗った。夕飯の配膳を手伝うことにする。

 今日の夕飯はカツカレーだった。


「いただきます」


 手を合わせて犬塚くんが言ったので、続けて私も言った。サラダを先に食べながら、ふと犬塚くんの茶髪ごしに時計を見た。短い針が九を差そうとしている。

 もうすぐアイドルの犬塚くんの、ドラマが始まるのだ。

 うちには録画できるレコーダーがないので、時間前にテレビをつける。テーブルのリモコンを取ろうと手を伸ばすと、犬塚くんに阻止された。

 睨むと、睨み返される。


「見ちゃだめ」

「いいじゃない。一緒に見よう」

「やだ」


 犬塚くんはそう言うと、私の届かないタンスの上へとリモコンを置いた。あんまりだ。イスを引きずってタンスへ持っていこうとすると、カレーに乗ったカツが掠め取られようとしていた。


「あっ、だめ!」

「じゃあ、座って。冷める前に食べて」


 なにも言えず、進んでいく時計の針を見ながらサクサクのトンカツを食べた。犬塚くんは料理がうまい。油が嫌だから、うちで揚げ物はしたことがなかった。それなのに、こんな出来立ての揚げ物が美味しいと知ってしまったら、自分でも作ってしまいそうだ。


 お腹一杯になるとシャワーを浴びて、ソファへ横になった。

 犬塚くんがお風呂に入ったので、その隙にリモコンを取って、テレビをつける。犬塚くんのドラマは終わってしまったけれど、そのあとに犬塚くんの出るトーク番組があるのだ。

 相変わらずアイドルの犬塚くんはどこかやる気がなく、トーク番組なのに、あんまり話すことがなかった。


「なに見てるの」


 男のシャワーは短い。一時間もある番組を、最後まで見れるわけはなかった。

 しっとりした茶髪の犬塚くんは、テレビを見ると私の手からリモコンを取ろうとしてくる。力で勝てはしないので、さっとソファから飛び退いた。


「犬塚くんの番組」

「消してくれ。どうせいつもみたいに喋らないんだから」


 そう言いながら髪を拭く犬塚くんを無視して、画面に目を向ける。楽しそうに話す芸人の斜め上で、全身黒の犬塚くんは足を組んでいた。


「ほんと、犬塚くんと真人まことくんは似てるよね」

「やめてくれ。弟と一緒にするな」

「高校のときの真人くんを見てるみたい」

「三回きりなくせに」


 同級生の犬塚真人くんは、フォークダンスの時みたいに、髪の毛に雫を滴らせている。


 犬塚くんの名前が真人だと知ったのは、彼と再会した時だった。

 偶然町で――なんてことはなく、同窓会で。影の薄い私が忘れられていなかったことに感動して、わざわざ休みを取って同窓会に参加した。あんなに苦手だと思っていた大人数でも、私が変わったせいか、意外と楽しかった。

 その中でも一際人気だったのは、やっぱり犬塚くんだ。三年の時クラスが同じだったのだけれど、話したのはやっぱり三回きり。


 次第に盛り上がる中、私は壁の近くでお酒を飲んでいた。賑わいの中で一人になってしまったけれど、あんまり騒ぐのは得意じゃなかったから良かった。

 そう思っていた時、隣に誰かの足があるのに気づいた。


「隣いい?」


 そう言って、座ってきたのはなんと犬塚くんで。


 答える前に座られたのでなんとも言えず、黙って頷いた。なんせまともな会話なんかしたことのない人だから、私はどうしたらいいのかと戸惑った。


「俺、犬塚真人って言うんだけど」

「うん、知ってるよ」


 嘘だった。本当は、この時に初めて真人という名前を聞いた。


 昔の私だったら、なにか気の聞いた話をしなくちゃと考えてから回ったと思う。けれどテレビで人気者の犬塚くんが、決してにっこり笑うわけではないと気づいたあの日から、私は少しだけ変わった。隣へ座った犬塚くんの方を見ると、ビールに口をつけてから彼も私を見た。そのうち、犬塚くんが口を開く。


「あのさ、フォークダンス覚えてる?」


 覚えてるもなにも、彼と会話したのはその時が初めてだ。忘れたことはなかった。頷いてお酒を一口飲むと、犬塚くんが少し近づいてきたのが分かった。


「話したことないのに、こんなこと言うのは変だと思うけど、結構憧れてたんだ」


 私を見ながらそう言う犬塚くんに、思わず目を見開いた。あの人気者の犬塚くんが、私のことを覚えていて、あまつさえ憧れていた? 当時の私のどこにそんな要素があるんだろう。


「いつも静かだったけど、お礼とかちゃんと言うし、お前への悪口がなかった。きつめの女子とか、不思議とお前だけは褒めてたよ」


 私は気恥ずかしくなって、お酒を煽った。多分それは、私が地味で無害な生徒だったからだ。彼女たちは自分の敵への風当たりは強いけれど、どちらかというと大人しい生徒たちには友好的だった。

 そんなことであの犬塚くんに憧れられるなんて、おかしい話だと思う。人気者の犬塚くんこそ、悪口とは無縁なのに。


 そう言った私に、犬塚くんはお酒を口に流すと首を振った。


「俺は、影では色々と言われてた。嫌な噂とか。表面上は仲良くしてても、分からないものだな」


 呟くように言った犬塚くんの顔は、赤かった。

 私はあんまり酔わないけれど、犬塚くんはアルコールに弱いようだった。この点については、私も憧れられてもいいかもしれない。

 酔ってしまった犬塚くんに水を持ってくると、彼はにっこり笑った。


 それからどうなったのかと言えば、普通に話をして、メアドを交換して、たびたび一緒に飲む仲になって、恋人になった。

 一緒に住むようになって、私がアイドルの犬塚悠人(ゆうと)くんが好きだと言うと、なぜか彼はやけに犬塚くんを嫌いになってしまった。


 のちに、アイドルの犬塚くんが弟だと聞いたのだけど、それにしたって邪険にしては可哀想だと思う。そう言って、改めてくれたことは一度もないけれど。


 犬塚くんと付き合うまでは眺められていた番組が、だんだんと犬塚くんとの時間に塗り替えられていく。

 それも悪くはないけれど、私が犬塚くんと付き合えたのも、私を少し変えてくれた、アイドルの犬塚くんのお陰なのだ。


 お酒の席でお付き合いを申し込んだのは、実は私だった。


「私と付き合ってください」

「うん。いいよ」


 あの時の犬塚くんはべろんべろんに酔っ払っていて、私の告白ににこにこしながら頷いた。

 ちょっと卑怯だったかな? と思っていたけれど、酔いの覚めた犬塚くんに、もう一度きちんと返事をもらえた。

 あんまり嬉しくて、その日はテレビの犬塚くんに拝んだくらいだ。当然、犬塚くんにはじとりと睨まれた。


 アイドルの犬塚くんは、私の犬塚くんと違って、にっこり笑わないし、ハキハキしてないし、気が利かないけれど。それでも彼は私のアイドルだ。


 リモコンを死守しながら、澄ました顔でテレビに映っている犬塚くんを見つめる。片手で、スマホの待受を眼鏡の男の子から黒髪の犬塚くんへ戻した。

 美羽ちゃんにはファンではないと言ったけれど、やっぱり私は犬塚くんのファンかもしれない。


「犬塚くんは気のないところがいいのよね。人気者っぽくなくて」

「……」



 犬塚くんは、テレビのコンセントを引っこ抜いた。


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 書き方と空気感が素敵でした。 [一言] はじめまして。 すごく、文章の書き方が好きです。 フォークダンス前の制汗スプレーの話だとか、カツカレーのカツを取り上げようとするシーンとか。そこから…
[良い点] 面白かったです。 [一言] この話、犬塚くんサイドだとまったく違う話になるんだろうなと思いました。 主人公は地味と認識してても野郎側からしたら清楚で優しいってことで、クラスで3番目位には(…
[良い点] 終わり方がすごく好みです。 [一言] 初めまして!面白かったです! リモコンの奪い合いの場面や交わされる会話は淡々としているのに、むしろそれが犬塚くんの行動を引き立てて甘々でした。脱帽…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ