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鬼一口  作者: 乙丑
2/9


 警察が来たのは、事件が発覚してから五分後のことであった。

 舞台の周りにはバリゲートが張られ、中に入れないようになっている。

「そちらはどうですか?」

 大宮が鑑識の湖西主任にそう尋ねた。「こりゃぁ毒殺じゃな」

「どうしてそう言い切れるんです?」

「面の中に血が付着してるんじゃよ。つまり、舞台に上がる前、この面を被った事で、毒を舐めてしまっていたというわけじゃな」

 湖西主任がそう云うや、「それは違うと思いますよ」

 うしろの、後見座こうけんざのほうから聞き慣れた声が聞こえ、大宮と湖西主任はそちらへと振り返った。

「皐月ちゃん、それに信乃さんも」

 大宮がそう言うと、皐月と信乃は軽く会釈する。

「ふたりとも、どうしてここに?」

「信乃と一緒に今日の舞台を見に来てたんです」

「本当はお父さんとお母さんが行く予定だったんですけどね」

「そうか。それじゃぁ少し事件が起きる前のことを説明してくれないか?」

 そう訊かれ、皐月と信乃は舞台上でのことを説明した。

「つまり、中将姫の霊が舞を踊っている時、ピタリと動かなくなったということかい?」

「ええ。でもどうも妙なんですよ」

「――妙って?」

「血の臭い以外にもなんか臭いがしてて、なんていうか殺虫剤みたいな、そんな臭いでした」

 大宮は、信乃の言葉に耳を傾けながら、ゆっくりと湖西主任を見やった。

「これのことじゃろうな」

 湖西は、能面を信乃に渡した。「一応証拠品じゃからな、あまり鼻を付けるとお前さんの肌の角質が付着してしまうぞ」

 信乃はわかりましたといい、能面に鼻を近付けた。

「ど、どう?」

「やっぱり殺虫剤みたいな臭いがします」

「それじゃぁ、犯人は殺虫剤を能面に付着させて……、いやそれだとすぐに気付くよね?」

 皐月の言葉に、信乃は頷く。「ええ、それにたぶんだけどこの臭いは殺虫剤っていうより、青酸カリに近いんじゃないかな」

「はっきりとはわからないんだね?」

「さすがに犬と同じ嗅覚でも、同じやつだと区別がつきにくいんだよね」

 信乃の言葉に、皐月は首を傾げた。「同じやつって?」

「殺虫剤と青酸カリは同じシアン化水素じゃからな。似てても可笑しくないじゃろ」

「てか、そんな分子レベルまでにおいがわかるの?」

 皐月は目を点にして言う。

「いや、さすがにそこまではね」

「しかしこれで毒が青酸カリの可能性が出てきたというわけだ。湖西主任、それを鑑識に回してください」

「ほいほい。まぁ老いぼれはここらで退散するとして、後は若い者どうし、仲良くやっててくれ」

 そう云うや、湖西主任は信乃から能面を返してもらい、それを袋に入れると、退散するように去っていった。

「若い者どうしって、どういう意味だろ?」

 皐月が首を傾げる。「……さぁね」

 と、大宮も首を傾げた。

『この二人、鈍感なの? 湖西主任のやってること見え見えじゃないっ!』

 信乃は心の中で、皐月と大宮にツッコんだ。


「あら信乃ちゃん」

 声が聞こえ、信乃がそちらに振り返ると、綺麗な着物を着た年老いた女性が、規律正しい足取りで近付いてきた。

「祥子小母さん」

「今日はごめんなさいね、せっかく舞台を観に来てくれたのに、お友達も」

 祥子は皐月を見やった。

「それにしても、亡くなったのって来未さんですよね?」

 信乃がそう言うと、祥子は頷いた。

「ちょ、ちょっと待ってくれ? 僕はまだ誰が死んだなんて君たちに言ってないぞ?」

「そうだよ。それに能ってお面被ってるんだから、誰がやってるかまではわからないんじゃない?」

 皐月と大宮が、信乃にそう尋ねる。「声でわかったの。たまにお父さんに連れられて、舞台を何度も観てるし、皐月、わたしが渡したプリントにも書いてあるはずよ?」

 そう云われ、皐月はポケットに畳み折って入れていたプリントを広げた。

「えっと……、前ジテ・老尼――鬼塚祥子。後ジテ・中将姫の霊――鬼塚来未……、このジテってなに?」

「シテ方っていうのは、言ってしまえばその物語の中心人物。つまりは主役ってこと。前ジテは前半部分での主役のことを言って、後ジテは後半重要になる人物のことを指すの」

「しかし、この鬼塚来未という女性、死体を拝見させてもらいましたが、能舞台に立っているとは思えないほどお若い方でしたね」

「信乃、その来未さんっていくつなの?」

「たしか、今年で二九になってるはずでしたよね?」

 信乃の問い掛けに、祥子は頷いた。

「ですが刑事さん? 若いからといって舞台に上がれないとは限りません。能の曲目によっては、年端もいかない子供が演じることもあるんです」

 祥子の言葉を聞きながら、少しだけ感じる違和感に、皐月は首を傾げる。

「どうかした?」

「いや、とりあえず舞台に立つと言う意味では、年齢は関係ないんだなと思って」

 信乃は、皐月の表情の微妙な変化に、「本当はどうなの?」

 と尋ねた。

「うん、なんか祥子さんの声が寂しそうだなって」

「耳聞こえないのに、よくそんなことわかるわね」

「耳が聞こえないのは余計。私、聴かなきゃって思う話ほど集中しちゃうクセがあるのよ。だからかもしれない」

 皐月はジッと、祥子を見つめた。

「あの人……、事件とは関係ないとは言い切れないけど、まるでそうだったって言ってる気がする」


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