16A列車 新しいと並走
横浜を出ると京浜東北線と別れる。しかし、まだ線路は東海道本線の隣を走っている。今度は並走する線路が横須賀線に変わったためだ。横須賀線は途中の大船まで一緒に走る。この先茅ヶ崎から先は海がだんだんと近くなってくる。しかし、僕の目的は海を見ることではない。ここにはもう一つの楽しみがあるのだ。
大船はまだ超えていない。しばらく走ると隣に皿に線路が加わった。東海道新幹線だ。東海道新幹線を走る車両は700機影とN700系のたった2種類になってしまった。・・・だが、開業した当時は0系だけだったから、それと比べればまだまだバリエーションは増えたか・・・。
「・・・。」
今僕の頭の中にはある言葉が再生されている。それは本当にバカバカしいことである。
新幹線と別れ、横須賀線とも別れ、茅ヶ崎へ行く。茅ヶ崎から海の近くを走るようになるが、海水面を見ることはできない。海水面が見られるようになるのはまだ先だ。大船を出てからは途中にある停車駅に律儀に止まっていく。国府津や鴨宮もその一つだ。国府津からは御殿場線が分岐。鴨宮には分岐するJR線があるわけではないが、ここも重要な拠点と言えば拠点だった。新幹線が開業する前ここには新幹線の実験線があった。ここから綾瀬という場所までその実験線は延びていた。そして、開業までの間に各種試験を繰り返し、昭和39年の開業にこぎつけたのである。
「・・・。」
思い出される言葉は同じだ。
新幹線には在来線より広い線路を使っているというのは誰もが知っていることだろう。では、それをこう考えてみてはいかがだろうか。なぜ在来線は新幹線の線路より狭いのか・・・。
理由は皆さん結構思いつくことだろう。在来線は新幹線より速度を出さない。もっともな理由かもしれない。しかし、当時の明治政府はこれについてこう説明したという。それは「日本の国土が狭い」である。理由になっていない理由である。この説明をしたことにより、日本で広い幅の線路を使い始めたのは新幹線の時と大幅に世界から遅れと取ることになったのだ。(私鉄各社はのぞく)
鴨宮の次は最初の終点の小田原。これから列車を乗り換えてさらにこの先へ行く。
しょうもない・・・。しょうもなさすぎる・・・。