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15A列車 最初の線路

 10時12分。列車は定刻の発車。ここから終点小田原(おだわら)までの各駅に止まっていく。各駅停車といっても途中駅を数駅飛ばしていく。これは今乗った線路が東海道本線(とうかいどうほんせん)の主要線路で、並走する線路に駅がある方は主要路線の混雑を緩和するために設けられた緩行線と呼ばれる路線であるためだ。東京(とうきょう)において京浜東北線(けいひんとうほくせん)と称される路線の東京(とうきょう)から横浜(よこはま)までの間の扱いは東海道本線(とうかいどうほんせん)になっている。これもそのためである。

 東京(とうきょう)を発車すると次は新橋(しんばし)に停車。新橋(しんばし)は前述したとおり日本の鉄道の歴史が始まった場所でもある。しかし、今の新橋(しんばし)がある場所は昔の新橋(しんばし)があった場所とは違う。昔の新橋(しんばし)も前述したとおり汐留(しおどめ)という場所にあった。今は高層ビルが立ち並んでいる汐留(しおどめ)も昔は大きな貨物ターミナルが存在したぐらいの主要駅であった。しかし、貨物輸送の減少。さらに、汐留(しおどめ)のように列車をその場で編成する操車場というものを廃止していったため、汐留(しおどめ)は不要となり、現在に至っている。

(ここに汐留(しおどめ)があったのか・・・。)

新橋(しんばし)を発車するとすぐにその場所がある。ここには碑もたっている。帰りに寄ってみるか・・・。

 新橋(しんばし)の次は品川(しながわ)。これは言うまでもない。1872年開業した当時品川(しながわ)駅もその時からの仲間である。他に川崎(かわさき)鶴見(つるみ)などもそうだ。品川(しながわ)を発車すると次は川崎(かわさき)川崎(かわさき)を出ると緩行線のほうに線路のある鶴見(つるみ)を通過して、横浜(よこはま)に入る。

(今じゃ考えられねぇなぁ・・・。)

ここまでの車窓をして思うことはそれだ。開業した当時この先には海が広がっていた。というのは東京(とうきょう)近郊はすでに土地がなく、鉄道を建設するのが不可能だったこと。さらに、当時は言うまでもなく蒸気機関車が台頭していた時代。蒸気機関車から排出される煙により、沿線火災の発生も心配された。それを防ぐために海の上に線路を作ったのだ。それが今は大都会の真ん中を走る線路に変わっている。当時の人が今この風景を見たら、鉄道が街中を走っていることに驚くだろう・・・。

 さて、横浜(よこはま)まで来たら最初に開業した路線を離れて、一路神戸(こうべ)を目指して走って行く。


まだ出発したばかりです。また、今回から完結まで連続投稿に切り替えます。

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