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23A列車 新垂井と垂井

 大垣(おおがき)に戻ると11時00分。時刻表をぱらぱらとめくってみたが、列車がない。次は大垣(おおがき)から米原(まいばら)まで行くが、列車がないのではしょうがない。11時12分に発車する普通米原(まいばら)行きが何系なのかを確認してから、大垣(おおがき)の外に出た。

 お昼ご飯を近くのマックスで済ませ、駅に戻ってくる。緑の窓口があるので、乗車券を自由席特急券を買い、その列車が来るのを待った。12時21分。その列車が到着。来た車両はいままで見てきたような車両ではない。白い車体が特徴的な車両だ。さっき買った切符はこれのもの。そう。これは言うまでもなく特急列車だ。青春18切符を利用して特急列車に乗ることはできない。これは皆さんもよく理解していることだと思われる。僕がこうするのはこれでしか乗ることができない区間に乗車するためだ。

 大垣(おおがき)を発車して、しばらく進むと、さっき通って美濃赤坂(みのあかさか)行きの線路が分かれる場所にやってくる。先頭から見ることができないため、言葉だけの説明になってしまうが、ここで米原(まいばら)方面に向かう線路は2方向に分かれる。一つは普通列車でしか乗れない線路。もう一つが今から行く特急でしか乗れない線路だ。なぜこのようになっているのかというと関ヶ原(せきがはら)東海道本線(とうかいどうほんせん)において一番急な坂を連続して上る区間なのだ。特急列車や貨物列車は普通列車に比べればヘビー級。重量のある列車のため、連続勾配を上るには大変である。そのためその連続勾配を緩くしたのが、特急が走る線路なのだ。

 この線路を走って関ヶ原(せきがはら)でさっき別れた線路と合流。米原(まいばら)までノンストップでコマを進めてきた。米原(まいばら)からまた逆戻りで、大垣(おおがき)に戻り、今度はさっき通らなかった普通列車が通る線路を通り、戻った。

 ちょっとここでまた興味深い話をしよう。東海道本線(とうかいどうほんせん)名古屋(なごや)から京都(きょうと)まで旧東海道とは全く違うところを走っている。東海道本線(とうかいどうほんせん)というくらいだ。旧東海道に合わせればいいはずである。なぜこうなったのか。

 それの答えはもともと東海道本線(とうかいどうほんせん)は海側を通る線路として計画されなかったことにある。東海道本線(とうかいどうほんせん)は軍隊のほうから非常に難色を示された路線である。もし本土決戦となった場合海側にあっては確実に敵に的にされるからである。そのため、山を貫いて建設されようとしていた。しかし、当時の予算や技術的関係で山を貫いて建設することを断念。しかし、名古屋(なごや)以西はすでに山を貫くという前提で建設されたためにこのように大回りをすることになったのである。


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