『すまないレオナ……あの子は僕がそばに居てあげないと泣いてしまうんだ』
レオナは婚約者から届いた手紙を見て小さく肩を落とした。
手紙の内容は予想通り『従姉妹のミシェーラのそばに付いていてあげないといけないので、今度のパーティーには出席できない』という断りの旨を伝えるものだ。丁寧に詫びの花も添えられている。
今回もこうなるだろうと覚悟してはいたものの、同じことが続くとやはり寂しさを感じる。
婚約者であるロバートは社交界でも有名な人物だ。
輝くような金髪と金色の瞳を持つ美しい顔立ち。伯爵家の嫡子という将来有望な立場。
そして何より、国内でも希少な植物魔法の持ち主である。
植物という生命を扱う植物魔法は治癒や浄化を行える光魔法と同じくらい重宝されている。
しかし、火や水といった通常の魔法属性は親から遺伝することが多いのに対して、光魔法や植物魔法は完全に突然変異で発生する。
それ故に魔法の有用性に反して使い手が少なく、伯爵家でも植物魔法を使えるのはロバートのみ、国内で見ても使い手は両手の指で数えられる程の人数しかいない。
希少な魔法を有し、地位にも、容姿にも恵まれたロバートは、多くの貴族令嬢達の憧れの的であり結婚相手として引っ張りだこだった。
そんな彼がしがない子爵令嬢であるレオナと婚約したのは家の事業の為……というのは建前で実際はどこかでレオナを見たというロバートが彼女に一目惚れしたかららしい。
婚約を申し込まれた当初は、見た目も中身も平凡な自分が一目惚れされるなど信じらず、何か裏があるのでないかと疑っていたレオナだったが、優しく誠実なロバートにすぐに恋心を抱いた。
婚約してからの三年間、嫉妬にかられた令嬢達からの嫌がらせも乗り越え確実に彼とは絆を育んできたはずだ。
このまま何事もなく幸せに過ごせると信じていたのだが、学校を卒業して本格的に結婚に向けて準備をはじめようとした矢先、ロバートの従姉妹であるミシェーラという少女が現れたことで状況が変わってしまった。
ミシェーラは伯爵家当主——ロバートの父親——の一番下の弟の娘だ。
訳あって一年程前から伯爵家に滞在しているのだが、ミシェーラがやってきて半年程経った頃からロバートは彼女の傍を離れなくなった。
『すまないレオナ……あの子は僕がそばに居てあげないと泣いてしまうんだ』
そう言って、申し訳なさそうにお茶会の約束をキャンセルしたロバートの顔は今でも覚えている。
お詫びにと二人で観劇に出掛けたこともあったが、途中で『ミシェーラが体調を崩しそう』という知らせが届き、後半の舞台が始まる前に中止となってしまった。
その日以降、ロバートはデートどころかエスコートが必要なパーティー等もミシェーラの体調を理由に欠席しており、ここ最近はずっと父親や兄に付き添って貰っている。
最初は快く引き受けてくれていた家族も、同じことが続くにつれて段々と渋い顔をするようになった。
「レオナ、このようなことがこれから先もずっと続くのであれば、婚約は考え直した方が良いんじゃないか?」
そう父親から言われたこともあった。
父の気持ちもわからなくはない。元々心配性の父は格上の相手に嫁ぐことで娘が要らぬ苦労をするのではと気にしていたのだ。
最近はレオナが婚約者から蔑ろにされているのではないかという噂が広まっており、周囲の令嬢達から突っかかられたり、嫌みをいわれることが増えている。親としては娘に余計な苦労はして欲しくないのだろう。
相手の方が爵位が上とは言え政略結婚ではないし、現状の婚約者の放置っぷりを考えれば婚約を解消することは不可能ではない。
ついでに、近年では貴族の婚約年齢も上がってきており、いまだフリーの令息は少なくない。
いまなら新しい相手を探すことは可能なのだ。
しかし、レオナは父の提案をきっぱりと断った。
ロバートのことは今でも愛している。この程度の苦難で彼との未来を手放す気は毛頭ない。
「とは言え、このまま何もせずに時間が解決してくれるのを待つ訳にはいかないわね……」
近頃、ロバートとレオナが一緒に居る姿が見られないことから、勝手な噂話があちこちに広まっているのだ。
曰く『ロバートは平凡な婚約者に飽きたらしい』だの、『従姉妹の件は建前で実は本命の恋人ができたのだ』だの、『すでにその恋人との間に既に隠し子がいる』だの、『その子の母親は実は自分のことだ』だの……
最後の噂に関しては、隠し子の話を真に受けた令嬢が伯爵家に突撃してきて大騒ぎになった。
当然、悪質な噂には伯爵家と子爵家で片っ端から対処しているものの、如何せん肝心のロバートが公の場に出てこない為、潰しても潰しても新しい話が湧いて出てくるのだ。
このままロバートとレオナが従姉妹が原因で不仲になっているという噂が広がってしまうのは、レオナにとっても伯爵家にとってもよくない。
「よし! とりあえずミシェーラ様のお見舞いに行きましょう。私が自分から足繁くミシェーラ様とロバート様の元に通って不仲ではないとアピールできれば、少しは風向きが良くなるかもしれないわ」
婚約者が会いに来れないのならば、自分から会いに行けばよいだけだ。
思い立ったら即行動。
貴族令嬢にしては行動力の溢れるレオナは早速伯爵家に訪問の約束を取り付けたのだった。
***
そうして迎えた約束の日。
伯爵家に向かえばロバートは姿を見せず、代わりに伯爵夫人が出迎えてくれた。
「いらっしゃい、レオナさん。来てくれて嬉しいわ」
ロバートによく似た美しい夫人は、いつも通り朗らかな笑みでレオナのことを歓迎してくれた。
しかし、すぐに顔を曇らせると申し訳なさそうにロバートの出迎えが無いことを詫びた。
「せっかくロバートに会いに来てくれたのに、出迎えも出来なくてごめんなさいね」
「いえ。こちらこそ急に押しかけてしまって申し訳ありません」
「レオナさんならいつ来て貰っても大歓迎よ。それより、我が家の問題でレオナさんには色々と迷惑をかけてしまって本当に申し訳ないわ」
将来義母となる予定の伯爵夫人とレオナの仲はとても良い。
ロバートの両親だけあって伯爵夫婦も人格者であり、子爵家から伯爵家に嫁ぐことになるレオナのことをよく気遣ってくれる。
ミシェーラの件でレオナに迷惑を掛けていることにもかなり心を痛めているようだ。
だが、今日のレオナの目的はロバートの行動に関して苦言を言うことでは無い。
自分とロバートそして、ミシェーラとの不仲説を無くすことだ。
後、単純にここ最近ロバートと会えなくて寂しかったので顔を見に来たという理由もある。
「ミシェーラ様のご事情は存じ上げております。私も婚約者として是非ロバート様のお力になりたくて参りましたの」
「まぁ……ありがとうレオナさん。貴方は本当に優しくて素敵なレディだわ。是非会ってあげてちょうだい。きっと二人とも喜ぶわ」
レオナの健気な姿に伯爵夫人は目に涙を浮かべる。彼女も態度や表情にこそ出さないもののミシェーラの件で苦労していたのだろう。
嫌な思いもしているだろうに文句ひとつ言わず、力になりたいと言ってくれたレオナに感動しつつ、快くミシェーラの部屋へと案内してくれた。
レオナは伯爵家の客間——今はミシェーラの部屋として使われている——までやってくると、小さくノックをして声を掛けた。
「ロバート様、レオナです。お部屋に入ってもよろしいでしょうか」
静かだった部屋の中が慌ただしくなり、扉からロバートが飛び出してきた。
「ああ、レオナ! 本当に来てくれたんだね。会えて嬉しいよ」
小声でそう言って心の底から嬉しそうな笑みを浮かべるロバートの顔はお茶会をキャンセルした時と同じ……いや、あの時よりさらにひどい隈が居座っている。
婚約者が来ると聞いていたからか身だしなみだけは精一杯整えているが、どこかヨロヨロとしていてくたびれた雰囲気が漂っていた。
「お久しぶりです、ロバート様。私もお会い出来て嬉しいですわ……ところで、ミシェーラ様のご様子は……」
「今は昼寝中だ。とてもぐっすり寝ていて……あっ!」
そんな会話をしていた時だ。
部屋の中から小さなうめき声が聞こえた。その声を聞いたロバートは、レオナに会えた嬉しさからついミシェーラを置いて部屋の外に出てしまったことに気づいた。
彼が青ざめた次の瞬間……
「うっ……うえぇぇん」
部屋中に耳をつんざく程の大きな泣き声が響き渡った。
***
「こんにちはミシェーラ様。私のこと、覚えてますか?」
「この人はレオナお姉ちゃんだよ。レ・オ・ナ」
「ナーナ?」
ロバートに抱っこされて、舌足らずな口調で自分の名前を呼ぶミシェーラに思わず笑みがこぼれる。
「ロバート様、ミシェーラ様のお世話は私共が行いますので、どうぞレオナ様とご歓談なさってください」
興味深々にこちらを見つめる幼子を微笑ましく見つめていれば、空気の読める優秀なメイド達がミシェーラをすぐ横に用意された遊び場へと連れて行く。
ロバートから引き離されたミシェーラは多少ぐずるような素振りを見せたものの、彼が近くに居ると分かるとすぐにおもちゃで遊び始めた。
「前にお会いした時よりも大きくなられましたね。もう一歳半でしたっけ?」
「ああ。最近は話せる言葉も増えてきたし、歩くのも上手になってきたよ」
久しぶりの婚約者との会話にレオナとロバートの間には和やかな空気が流れる。
しかし、先ほどのミシェーラの様子を思い出すとどちらともなく顔を曇らせた。
「ただ……先ほど見て貰った通り、泣き癖の方は相変わらずなんだ」
「ミシェーラ様はいまもロバート様が近くに居ないと泣いてしまうのですね……」
きゃあきゃあと笑い声を上げながら積み木を積んでは壊すを繰り返しているミシェーラ。
赤ん坊特有の柔らかな金色の髪に、湖のような青い瞳をした彼女はまるで天使のように可愛い。
可愛いのだが、彼女こそがロバートとレオナ、そして伯爵家を悩ませている原因だった。
ミシェーラの父親である叔父は現伯爵とはかなり歳が離れており、ロバートにとっては幼い頃からよく一緒に遊んでくれた兄のような存在だった。
末弟の為、爵位は継げなかったものの頭がよく、現在は文官としてバリバリ働いている。
仕事先で知り合った女性と結婚して、家庭を持ちひとり立ちしていた叔父が実家の伯爵家に戻ってきたのは、その最愛の妻が病に罹り入院することとなってしまったからだ。
ちょうど、第一子であるミシェーラが産まれて半年程経った頃のことである。
妻のことは心配だが、仕事は待ってくれないし、まだ幼い娘のことも気がかりで……と半ばパニック状態に陥った弟のことを耳にした伯爵夫婦が落ち着くまで伯爵家で過ごしてはどうかと提案したそうだ。
そんな訳で伯爵家にやってきたミシェーラはあまり人見知りしない子どものようで、ロバートをはじめとした伯爵家の面々や数回会っただけのレオナにもすぐに慣れた。子守メイド達からも比較的手間のかからない良い子だと言われていたほどだ。
ところが、半年程過ぎた頃から、ミシェーラはどれだけあやしても泣きやまないことが増えていった。
遅めの人見知りが出てきたのか、或いは定期的にお見舞いに行っているとは言え母親が居ない期間が続いて寂しいのではないか……など色々考えられたが、不思議なことに彼女はロバートが近くに居る時だけはあっさり泣きやんだ。
当初は『ロバートが大好きなんだな』とか『ロバートには子守りの才能があるんじゃないか』などと微笑ましく笑って見守っていたのだが。
ロバートが近くに居る時は機嫌よくしているのに、少しでも距離が出来ると大声で泣きじゃくる。
そして、彼が戻ってくるとまた泣きやむ……ということを繰り返すミシェーラの様子に周囲もだんだん(これはおかしいぞ)と気が付きだした。
母親が恋しいのかと病院に連れて行っても変わらない。
両親に抱っこされればご機嫌になるし、帰るときは泣いて母親から離れることを嫌がるのだが、それはそれとしてロバートが離れると途端に母の腕の中でも号泣しだすのだ。
そんなこんなで優しいロバートは泣いている従姉妹——というか、赤ん坊——を放っておけず、やむを得ずレオナとの約束をキャンセルすることとなってしまった。
「レオナには何度も約束を破ることになってしまって、本当に申し訳ないと思っているんだ」
「そんな、私のことはお気になさらないでください。命に関わることですもの」
あれはお茶会が急遽中止となってしまった後のこと。
若い甥が娘に付きっきりとなり、婚約者との交流もままならないと知った叔父がお詫びに人気の観劇のチケットを手配してくれた。
いくら彼が近くに居ないと泣き出すとは言え、ずっと泣いていればそのうち疲れて泣きやむだろう。
いつまでもロバートや伯爵家に頼る訳にはいかないし、少し可哀そうだが彼が居ない状況に強引にでも慣れさせよう、と考えたそうだ。
そんな訳でロバートが出掛けると同時に泣き出した娘を、叔父は伯爵家が用意した子守りたちとともに全力であやしたのだが……
結論から言えば、ミシェーラは食事も水分もいっさい取らず、息が切れかかっても、顔を真っ赤にしてひたすら泣き続けた。
その結果、念の為と待機していた医師から『このまま泣き続けると本当に命に関わる』とドクターストップがかかり、大急ぎで婚約者とデート中だったロバートが呼び戻されたのだ。
「あの時、ロバート様が抱き上げた途端に、ぴたりと泣きやまれたミシェーラ様を見て本当に驚きましたわ」
レオナも伯爵家からの使いのただならぬ様子に観劇を切り上げロバートとともに伯爵家に向かった為、ミシェーラの尋常でない号泣っぷりを目撃している。
その上でロバートが近づいた途端、嘘のようにあっさりと泣きやんだ姿を見せられれば、彼がミシェーラから離れられないと言われて納得するほかなかった。
あの後、ミシェーラは体力を使い果たしたのか熱を出し寝込んでしまった。
ロバートは、それも含めてトラウマとなったらしい叔父夫婦から、ミシェーラの泣き癖が解決するまであの子のそばにいて欲しい、と涙ながらに懇願されて現在に至るという訳だ。
公にはされていないが、叔父夫婦は結婚してから二度流産で子どもを亡くしていた。
さらに次の子もなかなか授からず、もう子どもは諦めた方が良いと言われた矢先にようやく産まれたのがミシェーラだった。
そんな愛しい我が子が命を落とすかもしれないと言われて気が気ではないだろう。
叔父を慕うロバートはそんな彼らの気持ちを汲んで、それ以来ずっとミシェーラとともに過ごしているのだが……流石に最近は疲れが見え始めていた。
何しろ、朝から晩まで本当に四六時中一緒に居るのだ。
入浴やトイレの時はミシェーラを抱っこしたメイドが扉の前に張り付いて待機しているし、逆にミシェーラの授乳中や入浴時はロバートが扉の前に張り付いていなければならない。
日中は勿論、夜も一緒に寝ている為、夜泣きにも悩まされている。
ロバートが一緒にいるのに泣くのか? と思われるかもしれないが、そこはまだ一歳半の赤ちゃん。居なければ泣くが、居ても泣くときは泣く。
それでも、ロバートが一緒にあやさないといつまでも泣き続ける為、離れる訳にはいかない。
基本的にお世話はすべてメイトたちがしてくれるとは言え、だいぶ精神的にこたえていた。
「兄さ……叔父上は勿論、父上たちも必死に原因を調べているんだけど、まったくわからないんだ。
医者に見せたり、教会で光魔法をかけて貰ってみたけど改善されず、最終的にはどこも『赤ん坊が泣くのは当然ですから』と濁されてしまって」
赤ん坊は泣くものとはいえ、親兄弟ではなく年上の従兄弟が近くに居ないと泣くというのは明らかに変だろうとクレームを入れたくなるが、恐らく向こうにもはっきりとした原因がわからないのだろう。
「気分転換に外に出られればいいんだけど、前みたいに突撃されても困るからね……」
「ミシェーラ様をロバート様の隠し子だと勘違いされた方が迫ってこられた件ですよね。すぐに護衛が取り押さえてくれたとは言え、あれは恐ろしかったですわ。色んな意味で」
「君たちに怪我が無くて本当に良かった。伯爵家と縁のある家の令嬢だったから通してしまったそうだけど、目が合った瞬間『貴方がロバート様の娘ね! 今日から私がお母様ですよ!』と叫ばれたのは流石に怖かったよ」
あの令嬢、近くにいたレオナのことはアウトオブ眼中だったようだが、あの鬼気迫る表情で詰め寄られることに比べれば無視される方が百倍良い。
僻地の修道院だか堅牢な精神病院だかに入れられたとか聞いたが、二度と関わらないことを祈っている。
「ああでも、最近喜ばしい知らせもあったんだ」
すっかり落ち込んでしまった空気を振り払うべく、ロバートは話題を変えた。
「実は先日ミシェーラの魔力分析を行ったんだけど、僕と同じ『植物魔法』が使えると判明したんだ」
「まぁ! 貴重な魔法の使い手が二人も伯爵家から出るなんて素晴らしいことですね」
「ああ、それにミシェーラが希少魔法の持ち主となれば、国からも何か支援して貰える可能性が高い」
先の見えない状況に少しだけ光が差した。
明るい話題にレオナの顔にも笑みが戻ったが、ふと頭の中で何かが引っかかった。
「どうかしたのか、レオナ?」
「その……ミシェーラ様がロバート様のそばを離れたがらないことと、お二人が同じ魔法を持っていることって何か関係があるのでしょうか?」
レオナの言葉にロバートが目を見開く。
「それは……考えたことが無かったな」
「勿論、偶然という可能性もありますけれど、これまでロバート様以外で植物魔法を持つ人間がミシェーラ様に近づいたことは無いでしょう?
一度、他の植物魔法の持ち主が近くに居た場合、どうなるのか試してみてはいかがでしょう?」
「確かに植物魔法は使い手が少なく研究が進んでいない魔法だ。ミシェーラの症状も原因不明の未知のものだし、考慮してみる価値はあるな」
レオナの提案にうなづいたロバートはすぐに両親にこの案を伝えた。
***
あの話し合いから一週間後、伯爵家に一人の客人が訪れた。
白髪混じりの髪によく日焼けをした小柄な老婦人だ。顔や手には深い皴が刻まれているが、腰は曲がっておらず足腰もしっかりしている。
伯爵夫婦と叔父、父親に抱っこされたミシェーラ。そして、ロバートと発案者だからと呼ばれたレオナが総出で彼女を出迎えた。
「ようこそお越しくださいました。この度は急な申し出にも関わらず、元王宮庭園管理者代表であられるマーゴット様にお越しいただき恐悦至極に存じます」
緊張した面持ちで挨拶する伯爵家当主を老婆ことマーゴットはさっと止めた。
「そんな畏まらなくても構いやしませんよ。代表の肩書なんてとっくの昔に人に譲りましたからねえ。今のあたしは可愛いお嬢さんにお会いできると聞いて、飛んできたただのお婆ちゃんですよ」
ころころと笑いながら目を細めて笑う老婦人は、どこにでもいる人の良さそうなお婆さんにしか見えない。
しかし、その気さくな雰囲気とは裏腹に彼女こそ国内でも数少ない植物魔法の権威であり、王家の血を引くやんごとないお方でもある。
自身の能力を活かして、何年か前まで王宮の庭園の管理すべてを取り仕切っていたそうだが、庭園の管理と言ってもただ草木の手入れをするだけではない。
他国から来賓があった際には相手に合わせて景観を整え、王家にのみ伝わる特別な秘薬の材料を栽培し、さらには緊急時の脱出経路も管理しているとかなんとか……
そこまでが真実かは不明だが、兎にも角にも王宮庭園管理者代表という肩書は並みの貴族より余程高い権力を与えられており、既に引退していたとしても無視して良いものでは無い。
ミシェーラの件を国に報告して植物魔法の使い手の派遣を依頼したのはいいが、まさかこれほどの大物を寄こすとは思っていなかった。
「それじゃあね、早速ですけどお嬢様にご挨拶させてもらいましょうか」
マーゴットに促されて叔父が恐る恐るミシェーラを抱いたまま近づけば、彼女は初めて会う相手を興味深々に見つめる。
「あらあら可愛らしいお嬢さんだこと。こんにちはミシェーラちゃん。あたしはマーゴットですよ」
「ちーわぁっ!」
「お喋りも上手だねえ。なにが気になるのかい?」
興味深々でマーゴットをペタペタと触るミシェーラに周囲はひやひやさせられたが、当のマーゴットは怒りもせず寧ろ楽しそうにしている。
そんな平和な風景を見た伯爵夫婦はそっとロバートに退出するよう促した。
ミシェーラを刺激しないよう一歩、また一歩とゆっくり扉に近づくロバート。
そのままあらかじめ開けてあった扉から外に出る。
室内の緊張が最高潮に達した瞬間、ミシェーラからは……
「きゃあ!」
マーゴットに頬をくすぐられて楽しそうな笑い声が響いた。
ロバートの姿はとっくに消えている。
ミシェーラは泣いていない。
その時、室内には静かな歓声が響き渡った。
***
あれから三ヶ月後。
レオナはロバートと二人きりでのお茶会を楽しんでいた。
「最近のミシェーラ様のご様子はいかがですか?」
レオナがそう尋ねれば、ロバートがいつも通りの穏やかな笑みを浮かべて答える。その顔色はすっかり良くなっており、元の色男に戻っていた。
「今日もマーゴット様と一緒に庭で遊んでいたよ。すっかりお転婆になって、僕に構う余裕もないみたいだ」
あの日、レオナの推測通り“植物魔法の持ち主のそばに居ればミシェーラは泣きださない”と判明してからというもの、子ども好きのマーゴットは仕事を引き継いで暇していたこともあってか、毎日のようにミシェーラに会いに来るようになった。
おかげでロバートの負担は大幅に軽減され、ようやく社交界にも復帰することができた。
さらに、長らく入院していたミシェーラの母親もようやく退院することが決まり、伯爵家には久しぶりに平穏が戻っていた。
叔父夫婦は毎日娘に付き添ってくれるマーゴット、長らく娘のそばに居てくれたロバート、そして、解決の糸口を見つけてくれたレオナに心から感謝しているそうだ。
実際レオナも会うたびにお礼の言葉と品を貰っており、かえって恐縮してしまった。
「それにしても『魔力属性過反応症』なんて厄介な病が存在するなんて思いませんでした」
「ああ。『同じ属性の魔法の存在を感じられないと、恐慌状態に陥って泣きやまなくなる』なんて症状は初めて聞いたよ」
あれから『植物魔法』もしくは『同じ魔法の使い手同士』という条件を付けて調べた結果、ようやくミシェーラが泣く原因が判明したのだ。
『魔力属性過反応症』
遠い異国の医学書にわずかに記載があったその病は、魔法属性が安定しはじめる一歳前後の乳幼児が稀に発症する希少疾患だそうだ。
大抵はものごころがつく三歳頃には治まるそうだが、それまでは泣きすぎて命をおとす可能性もある危険な病らしい。
とは言え、通常魔法属性は親から遺伝するものだ。仮に違ったとしても一般的な属性であれば、少し探せば同じ魔法を持つ人間はすぐに見つかる為、ここまで大事にはなることはないはずだった。
「ミシェーラ様の場合、よりにもよって希少な植物魔法を持っていたが為に、あれほど大変な事態に陥ってしまったのですね」
「僕とミシェーラが従姉妹で良かったよ。そうでなければ、原因が分かる前に命を落としてしまっていたかもしれない。その分、君にはかなり迷惑をかけてしまって、どう詫びればよいか……」
そう言って再び頭を下げるロバートとは対照的に、レオナは明るく笑って見せた。
「あら、私はロバート様のそういうところ、大好きなんですよ?」
「ですから謝るのはこれっきりにしてくださいね」と言うレオナの言葉に驚いて顔を赤らめるロバート。
ポカンとしたその表情がなんだかおもしろくて、レオナはさらに機嫌よく微笑んだ。
自身も大変な思いをしたのに愚痴のひとつも言わず、真っ先に考えたことが幼いミシェーラ様を助けられて良かったという気持ちと、レオナへの謝罪と償い。
彼のそういう優しいところにレオナは惹かれたのだ。
「本当にありがとう……君が来てくれて、植物魔法のことに気づいてくれたおかげで解決することができたよ」
「そんな……私、とりあえず仲が良いことをアピールできればと思って押しかけただけですよ?」
「レオナが来てくれたことが切っ掛けで原因が判明したことに変わりはないよ。君のそういう視野の広さや、誰かの為にすぐに動ける行動力に僕も惹かれたんだ」
珍しくそう照れながら話すロバートに、今度はレオナが頬を赤く染める番だった。
何とも甘ったるい雰囲気を漂わせる二人の顔を見た空気の読める優秀なメイド達は、今日のお茶会も長くなりそうだと手早く追加の紅茶と茶菓子を用意するのだった。




