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断罪は私がプロデュースします  作者: 月雅


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第9話「開演」

「台本は破棄します」とクラウスは言った。


舞踏会前夜の大広間は、蝋燭の仮灯りだけが壁面を照らしていた。設営を終えた会場に残っているのは、わたしとクラウスの二人だけだった。マルガレーテは裏方の最終点検を終えて退室した後だ。石の床が昼間の冷気を溜め込んでいて、足裏から冷えが這い上がってくる。


「——何を」


「あなたが退場する台本は破棄します」


クラウスの声は静かだった。感情が動いた時ほど言葉が減るこの人が、いま最小限の言葉で話している。灰色の目がまっすぐにわたしを見ていた。


「当日は私が隣にいます」


台本にない言葉だった。わたしの計画にも、わたしの想定にも、どこにも書かれていない言葉。


目を伏せた。燭台の灯りが床に落とす影を見つめた。影の輪郭がかすかに揺れている。


「——勝手なことを」


声が震えなかったのは、三周分の経験が喉の筋肉を鍛えたからだ。それでも、呼吸の間隔が一つだけ乱れた。クラウスはそれを聞いていただろう。この人は、書かれていないものを読む。


拒絶の言葉は、出てこなかった。


舞踏会当日。夜。


大広間の扉が開かれた瞬間、楽団の演奏が廊下まで溢れ出した。弦楽の響きが石壁に反射し、厚みのある音の層を作っている。


わたしは扉の前に立ち、会場を見渡した。


完璧だった。


特注燭台が正面照射の位置に並び、壇上を含む広間の中央を白く明るく照らしている。座席は動線に沿って配置され、どの席からも壇上と、壇上の左手——わたしが立つ予定の位置——が見える。装飾は花の量を絞った分、布地の色彩が壁面を品よく縁取っている。マルガレーテが手配した裏方が照明と座席の最終調整を終えたことは、開場前に報告を受けていた。


わたしがプロデュースした会場。断罪の瞬間を、最も印象的に見せるために設計された空間。


招待客が続々と入場している。貴族たちの衣擦れの音、香水の混じり合った匂い、グラスが触れ合う小さな音。卒業舞踏会にふさわしい華やかさが広間を満たしていく。


壇上の奥に、アルベルトの姿が見えた。金髪に軍服。リゼットが半歩後ろに控えている。リハーサルで確認した通りの立ち位置。わたしが設計した構図の中に、二人が収まっている。


広間の隅で、宰相ディートリヒ・グランツが椅子に座っていた。穏やかな笑みを浮かべ、傍らの貴族と言葉を交わしている。だがその目は壇上を見ていた。条件が満たされるのを、待っている目だった。


クラウスの姿は、宰相の二つ隣の席にあった。書類鞄を膝の上に置いている。中身をわたしは知っている。リゼットの虚偽申告の調査記録。一件ずつ照合され、日時と場所と証言が綴じられた報告書の束。


楽団の演奏が静まった。


会場が沈黙に包まれた。咳払いの音さえ響くほどの静けさの中で、アルベルトが壇上の中央に歩み出た。わたしが指定した位置。正面からの光が彼の顔を照らし、碧い目が会場全体を見渡す。


「——本日は卒業の慶事であるが、その前に、一つ申し上げることがある」


アルベルトの声が広間に響いた。天井の高い石造りの空間に声が昇り、壁に当たり、戻ってくる。よく通る声だった。王族のカリスマ性が、こういう瞬間に発揮される。


「ヴィクトリア・エーデルシュタイン」


わたしの名前が呼ばれた。四度目の断罪。三度は聞かされた声。だが今回は違う。わたしはこの瞬間を設計した側だ。


壇上の左手に歩み出た。リハーサルで確認した位置。壇上のアルベルトと視線が交差し、観客からも両者の顔が見える構図。わたしが自分で設計した、完璧な舞台。


「貴様の罪を申し上げる。聖女リゼット・フォンティーヌへの度重なる嫌がらせ、暴言、そして聖女の祈りの妨害。これらの行為は王国の加護たる聖女への冒涜であり——」


アルベルトの演説が続いた。リゼットの助言で追加された「祈りの妨害」の項目も、想定通り組み込まれている。演説は長い。長いほど、観客の注意が壇上に集まる。集まった注意の中で、次に起きることが際立つ。


わたしは黙って聞いていた。視線を壇上に据えたまま、背筋を伸ばして。三度目までは、この瞬間に何かが崩れていた。一度目は涙。二度目は怒り。三度目は無力感。四度目は——静寂。わたしの内側は凪いでいた。


アルベルトの演説が佳境に入った。


「よって、ヴィクトリア・エーデルシュタインとの婚約を本日をもって破棄する。聖女よ、もう怯えなくてよい」


アルベルトがリゼットに手を差し伸べた。


リゼットが壇上に進み出た。亜麻色の髪、伏し目がちの瞳。その目から涙が溢れた。両手で顔を覆い、小さな嗚咽を漏らす。「殿下……ありがとう、ございます……」


正面照射の燭台が、リゼットの顔を照らした。


通常の舞踏会照明なら、頬の曲線に沿って影が落ち、涙は美しく光る。だがこの照明は違う。わたしが設計した照明。正面から、影を消す光。リゼットの顔がすべて、観客の目の前に晒された。


涙は流れていた。だがその目は——泣いている目ではなかった。顔を覆う指の隙間から覗く瞳が、壇上のアルベルトではなく観客席を見回している。同情の視線を確認している目だった。頬の筋肉が涙とは逆方向に引かれている。泣き顔の下に、別の表情が透けていた。


会場にざわめきが走った。最前列の貴婦人が隣の者と目を見交わした。後方の席で誰かが身を乗り出した。リゼットの涙が、この照明の下では「美しい悲嘆」ではなく「はっきりと見える演技」として映っていた。


リゼットの表情がわずかに強張った。ざわめきに気づいたのだろう。だが涙を止められない。止めれば、泣いていたこと自体が嘘だったと認めることになる。


その時、宰相の隣の席でクラウスが立ち上がった。


書類鞄を開き、中から綴じられた報告書を取り出す。二歩歩いて宰相の前に立ち、報告書を差し出した。宰相が受け取り、最初の頁を開いた。目を通す速度は速かった。内容を知っている人間の読み方だ。


宰相ディートリヒ・グランツが、椅子から立ち上がった。


広間が静まり返った。楽団は演奏を止めている。蝋燭の炎が微かに揺れる音さえ聞こえるほどの静寂。


「宰相府として、この断罪の事後追認を保留する」


宰相の声は穏やかだった。穏やかであることが、言葉の重みを増していた。


「聖女リゼット・フォンティーヌの被害申告に、虚偽の疑いがある。宰相府の調査により、申告された五件の被害について、いずれも日時・場所とエーデルシュタイン嬢の所在が一致しないことが確認されている」


会場が騒然とした。貴族たちの声が波のように広がる。アルベルトの顔から血の気が引いていた。碧い目が宰相を見、クラウスを見、そしてわたしを見た。


リゼットが壇上で膝をついた。涙が——今度は本物の涙が、頬を伝っていた。だがそれを見ている者の目は、先ほどとは違っていた。同情ではなく、疑念を含んだ目だった。


アルベルトが混乱の中で叫んだ。


「ヴィクトリア、これは——お前が仕組んだのか!」


わたしの口が開きかけた。答える言葉は用意してあった。台本の中に、この瞬間の台詞は書いてあった。


だがその前に、クラウスが一歩前に出た。

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