第5話「台本の裏側」
——私は、なぜ選ばれなかったのだろう。
深夜の寝室は燭台の灯りだけで薄暗い。机の上に広げた台本——断罪劇の進行表、照明配置図、座席表、演説の想定原稿——がすべて、蝋燭の揺れに合わせて影を落としている。
ペンを置いた。インクが乾いていく匂いが鼻をかすめる。
三度、断罪された。三度とも、わたしは壇上のアルベルトを見上げ、聴衆の視線を浴び、罪を宣告された。一度目は春の午後、学園の大講堂で。二度目は秋の夜、宮廷の晩餐会で。三度目は冬の舞踏会場で。場所も時期も違った。けれど構図は同じだった。壇上に立つ王太子、その隣で泣く聖女、そして見上げるわたし。
三度とも、わたしは「なぜ」を知らなかった。なぜ婚約者に選ばれ、なぜ捨てられるのか。公爵家の娘だから選ばれた——政略だから。聖女が現れたから捨てられた——そういう物語だから。理由はすべて「わたし以外」のどこかにある。
わたし自身が選ばれた理由は、一度もなかった。
指先で台本の端をなぞった。完璧な段取り。完璧な照明。完璧な退場。それさえ仕上げれば、このループも終わるはずだ。退場すれば終わる。そう信じるしかない。
もし完璧に退場しても終わらなかったら。
もし次はないのだとしたら。
指先が紙の角で止まった。蝋燭の炎が揺れ、影がわたしの手の上を横切った。
退場すれば終わる。退場すれば。
扉を叩く音で顔を上げた。控えめな三回。
「お嬢様、まだ起きていらっしゃいますの」
マルガレーテが盆を手に入ってきた。温めた牛乳と、蜂蜜を添えた小皿。彼女はわたしの机の上の書類には触れず、盆を端に置いた。牛乳の湯気がふわりと立ち上る。
「お嬢様、最近お痩せになりました」
マルガレーテの声は静かだった。責めているのでも心配しているのでもない、ただ事実を置くような声だった。十年の付き合いが培った距離感——近すぎず、遠すぎず。
「演出家は裏方ですもの。目立つ必要はありませんわ」
わたしは笑った。令嬢の笑みではない。疲れた女の笑みだったかもしれない。
マルガレーテの唇が一瞬引き結ばれた。目の縁が赤くなりかけて、すぐに瞬きで押し戻した。何も言わなかった。「おやすみなさいませ」と一礼して部屋を出ていった。
扉が閉まった後、牛乳に手を伸ばした。温かかった。一口含むと、蜂蜜の甘さが舌の奥にじんわりと広がった。この味を、あと何度味わえるのだろう。
台本に目を戻した。退場の段取りを確認する。完璧に退場する。それがわたしの仕事だ。
宰相府の執務室は、夜になると別の音を持つ。
昼間は書記官たちの足音とペンの音で満ちているこの廊下も、深夜には自分の呼吸だけが壁に反射する。クラウス・ヴェルナーは執務机の燭台の灯りの下で、一冊の帳簿を開いていた。
ヴィクトリア・エーデルシュタインの行動記録。宰相府への報告義務の一環として提出された工程表、会場設計図、進行台本。そしてクラウス自身が業務上の所見として書き留めた覚書。
帳簿の余白に、日付ごとの所見が並んでいる。
「企画書の精度が初回から異常に高い」「会場の構造を実測値レベルで把握している」「王太子の行動パターンを、まだ起きていない段階から正確に予測している」
ペンを置いた。椅子の背にもたれ、天井を見上げる。
この令嬢は、未来を知っている。
根拠が何であれ——予知か、情報網か、あるいはそれ以外の何かか——ヴィクトリア・エーデルシュタインは卒業舞踏会で起きることを知っている。知った上で、自分が断罪される段取りを自ら組んでいる。
そしてその台本には、断罪の「後」が書かれていない。
クラウスは帳簿を閉じ、別の書類を引き出した。王国法令集の索引。婚約破棄に関する条項を開く。
王族と上位貴族の婚約は王命婚約であり、破棄には国王の裁可が必要。ただし王太子が公式の場で宣言し、宰相府が追認した場合は有効。冤罪による破棄の場合、被害者側は名誉回復訴訟の権利を持つ。
そこまでは彼女の台本にも織り込まれている。
だが、破棄後の身分保全——公爵令嬢が婚約を解消された後、王都に留まるための法的手続き、生活基盤の確保、宮廷との関係維持——それらについて、彼女の提出した工程表には一行も記載がなかった。
断罪を完璧に演出し、退場する。その先がない。
クラウスは法令集の頁を繰った。婚約破棄後の身分保全に関する前例。宰相府付き文官への任用規定。保証人制度の要件。指がペンを取り、余白に走り書きを始めた。
深夜の執務室に、ペンが紙を擦る音だけが続いた。
翌日の午後、宮廷行事管理局の執務室。
わたしは工程表の最新版を提出するために扉を叩いた。「どうぞ」の声に従って入ると、クラウスは机に向かって何かの法令集を読んでいた。わたしの姿を認めて閉じたが、背表紙の文字が一瞬だけ目に入った。王国民法——婚姻及び婚約に関する条項。
何を調べていたのだろう。気にはなったが、聞ける立場ではない。
工程表を机に置いた。クラウスが受け取り、目を通す。今日は頁をめくる速度が一定だった。内容に異議がないということだ。
「ヴェルナー補佐官、一つ確認ですが」
「はい」
「あなたはなぜ、わたくしの計画に協力してくださるの」
クラウスのペンが止まった。灰色の目がわたしを見る。沈黙が三秒ほど続いた。何かを選んでいるような間だった。
答えが返る前に、廊下から声が響いた。
「ヴェルナー、聖女への嫌がらせの報告書を出せ」
アルベルトの声だった。扉越しでも分かる、苛立ちを含んだ高い声。
クラウスの目がわたしから扉に移った。わずかに眉を寄せ、立ち上がる。
「失礼します、エーデルシュタイン嬢」
扉を開けると、廊下にアルベルトが立っていた。軍服の襟元を掴むようにして、書類を一枚持っている。わたしの姿を認めた碧い目が険しくなった。
「お前もいるのか」
「宮廷行事の工程確認でございます、殿下」
「——ヴェルナー、報告書だ。聖女が新たにいやがらせを受けたと申告している」
アルベルトがクラウスに書類を押しつけた。クラウスが受け取り、一瞥する。その目の動きを、わたしは見ていた。文面を読む速度が極端に遅い。内容を精査しているのではない。記載された事実に対する疑義を、表情に出さないようにしているのだと思えた。
「承知いたしました。調査の上、ご報告いたします」
「早くしろ。聖女は怯えている」
アルベルトは踵を返し、廊下を去った。足音が遠ざかるのを待って、クラウスが扉を閉めた。
報告書を机に置く。その手がかすかに力を込めているのが見えた。
「リゼットさんの申告、ですか」
わたしの声に、クラウスは振り返らなかった。机の上の報告書をもう一度見つめ、引き出しを開け、中に収めた。
「調査いたします」
それだけだった。わたしに向けたのではなく、自分自身に言い聞かせるような声だった。
わたしは一礼して執務室を出た。廊下の石壁に背中を預け、息を吐いた。
——また一件、虚偽が積まれた。
リゼットの申告がいくつ重なっても、それが崩れるのは本番の一夜だけだ。それまでは積ませるしかない。積めば積むほど、崩れた時の音は大きくなる。
廊下の窓から秋の風が吹き込んだ。冷たかった。背筋に染みるような冷気に、ふと、クラウスが読んでいた法令集の背表紙を思い出した。婚姻及び婚約に関する条項。
なぜ、あの人はあれを読んでいたのだろう。
答えは出なかった。出す必要もない。わたしの台本に、その問いの答えは載っていないのだから。
執務室の扉の向こうで、引き出しが閉まる音がした。




