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断罪は私がプロデュースします  作者: 月雅


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第2話「企画書は通さない」

ヴィクトリアは宮廷行事管理局の扉を叩いた。


王宮の東棟、三階。廊下には埃っぽい羊皮紙の匂いが漂い、壁際に積まれた書類箱が通路を狭めている。華やかな宮廷とは別の世界だった。ここは段取りと数字で回る場所だ。前世のわたしが長く身を置いた種類の空間に似ている。


「どうぞ」


低く、簡潔な声が扉の向こうから返った。


部屋に入ると、窓際の執務机に一人の男が座っていた。黒髪を後ろに撫でつけ、銀縁の眼鏡の奥から灰色の目がこちらを捉える。立ち上がりもしなかった。書類に目を落としたまま、ペンを置き、視線だけを上げる所作。来客の身分を確かめてから礼を取るか決める——宰相府の人間らしい判断の順序だった。


わたしの顔を認めた瞬間、灰色の目がわずかに細くなった。立ち上がり、浅く一礼。


「エーデルシュタイン嬢。宮廷行事管理局に直接お越しとは珍しい」


クラウス・ヴェルナー。予算書で見た名前の持ち主。遠目に見た記憶と重ねる。社交の場で二、三度すれ違ったはずだが、言葉を交わしたことはない。過去三周のどこにも、この人との会話の記憶はなかった。


「ヴェルナー補佐官、お時間を頂戴できますか。卒業舞踏会の演出改善について、ご提案がございますの」


革の書類挟みから企画書を取り出し、机の上に置いた。


クラウスの視線が企画書に落ちた。表紙をめくる指の動きに迷いがない。一頁目の会場見取図、二頁目の動線設計、三頁目の時間割、四頁目の演出プラン。頁をめくる速度が徐々に落ちていった。


沈黙が長い。


廊下を行き交う書記官の足音と、遠くで鳴る鐘の音だけが部屋を満たした。クラウスの指が四頁目の端で止まっている。演出プランの照明配置図だ。わたしが二年かけて観察した宮廷行事のデータを基に、大広間の燭台と窓の位置をすべて書き込んである。


「——精度が高い」


独り言のように呟いて、クラウスは企画書を閉じた。灰色の目がわたしを真っ直ぐに見る。


「ただし、予算の裏付けが不十分です。第三項の装飾費が宮廷行事予算の枠を超えています。却下します」


声に迷いがなかった。有能な人間は断るのも速い。


「修正案をお持ちしております」


書類挟みから二枚目の企画書を取り出した。クラウスの眉がかすかに動いた。却下を見越していたことが伝わったらしい。


修正案は装飾費を王妃教育の一環として割り当てられた宮廷行事予算の範囲内に収め、不足分をエーデルシュタイン家の自費で補填する構成にしてある。前世で何十件もの予算交渉をこなした経験が、こういう時に効く。


クラウスが修正案に目を通す間、わたしは部屋の中を観察した。棚に並ぶ書類箱は年度ごとに整理され、背表紙の文字はすべて同じ筆跡。机の上には未処理と処理済の書類が左右に分かれ、インク壺の位置まで几帳面に揃っている。この人は自分のやり方に信念を持つ種類の人間だ。


「予算の問題は解消されています」


クラウスが修正案を机に戻した。指先が紙の端を揃える。


「ですが、なぜです」


「なぜ、とは」


「王太子殿下の婚約者であるエーデルシュタイン嬢が、卒業舞踏会の演出を改善したいとおっしゃる。動線設計や照明配置まで自ら手掛ける。——婚約者の務めの範疇を超えています」


わたしは微笑んだ。令嬢の微笑みではなく、クライアントに意図を問われたプランナーの笑みが混じったかもしれない。


「王妃教育の一環として、宮廷儀式の監督補佐は婚約者の職務に含まれますわ」


「形式上はそうです。しかし、これは監督補佐の域を超えた企画書です」


クラウスの声は淡々としていた。責めているのではない。単に事実を述べている。それが結果として、わたしの建前を正確に剥がしていく。


「お忙しいところ恐れ入りますわ。では改めて——」


「再提出は受け付けます」


わたしの言葉を遮って、クラウスが言った。立ち上がり、書類箱から空の受領票を取り出してペンを走らせる。


「ただし、次はもう少し本当の目的を書いていただけると助かります」


ペンが受領票の上で止まった。灰色の目がこちらを見ている。穏やかな声だった。穏やかだからこそ、核心を突く言葉が重い。


指先が冷えた。この人は、書かれていないものを読む。


わたしは受領票を受け取り、軽く一礼して部屋を出た。廊下の冷たい空気が頬に触れて、初めて顔が熱くなっていたことに気づいた。


学園の渡り廊下は午後の陽射しで明るい。


東棟から本館へ戻る途中、中庭に面した回廊を歩いていると、声が聞こえた。


「殿下、わたし——ヴィクトリアさまに、睨まれてしまって」


リゼットの声だった。震えを含んだ、か細い響き。回廊の角を曲がった先、中庭の噴水の傍で、リゼットがアルベルトの胸元に顔を寄せている。


「心配するな。俺がいる」


アルベルトの手がリゼットの肩を包む。声が柔らかい。婚約者のわたしに向けたことのない声色だった。


涙が、リゼットの頬を一筋伝った。


——泣くのが早い。


わたしは柱の影に足を止めたまま、内心で首を振った。あと三秒待てば、アルベルトの手が肩から背中に移る。その瞬間に涙を見せれば、「守りたい」の衝動が最大になる。前世の結婚式で何度も見た感情の導線だ。花嫁が泣くタイミング一つで、会場の空気はまるで変わる。


リゼットには天性の才能がある。人の同情を引く呼吸を、おそらく無意識に身につけている。だが段取りが粗い。感情の頂点を狙わず、不安になった瞬間にすぐ泣いてしまう。


柱の影から離れ、足音を立てずに回廊を戻った。手帳を開き、書き留める。「リゼットの涙——即時型。恐怖→涙の間隔が短い。計算ではなく反射に近い。ただし効果は高い」


夜、寝室の書き物机でマルガレーテの報告を聞いた。


「お嬢様、一つお耳に入れたいことが」


マルガレーテが茶を卓に置き、声をひそめた。


「聖女さまの侍女が、王太子殿下の側近と頻繁に接触しているようです。使用人の間で話題になっております」


「どの側近?」


「殿下の筆頭侍従です。侍女と茶房で落ち合っているところを、厨房の者が目にしたと」


リゼットの侍女とアルベルトの側近が繋がっている。情報の流れは侍女から側近へ、側近からアルベルトへ。リゼットの「被害」がアルベルトに伝わる経路だ。


「予定通りですわ」


マルガレーテが目を伏せた。予定通りという言葉の意味を深く問わない。ただ、茶を注ぐ手がいつもより丁寧だった。


手帳を閉じ、椅子の背にもたれた。天井を見上げる。燭台の炎が揺れて、石壁に影を落としている。


——見抜かれた?


クラウス・ヴェルナーの灰色の目が、まだ視界の端にちらついている。「本当の目的を書いていただけると助かります」。あの言葉は社交辞令ではなかった。企画書の行間に、書かれていないものを読み取った人間の言葉だった。


手強い。だが、手強い人間ほど味方にした時の効果は大きい。


わたしは手帳を開き直し、新しい頁に書いた。


「再提出——目的の開示範囲を検討」


ペンを置いた瞬間、クラウスの最後の一言が耳の奥で繰り返された。本当の目的を書いて。本当の目的を。


爪がペンの軸に食い込んだ。

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