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第十話:空の支配者

 一曲目の主役を崇子に譲って正解だった。高校の文化祭がどんなものか雰囲気を確かめられたし、じっくり観客席を観察する時間にもできたから。

 最前列の関係者席には、おばあちゃんが来てくれてる。急に東京から引っ越すってワガママ言い出したワタシを温かく迎え入れてくれて、脚が悪いのに朝も夕もご飯を用意してくれて。しかもわざわざ自分のと別に、アイドル活動仕様の普通じゃない栄養バランスのやつを。今日はその成果、しっかり見せるね。

 おばあちゃんの隣に座ってる白い服の強面職人さん(?)は、茉佑のお父さんかな。じゃあその隣の、セットアップ着たロン毛サングラスにマスクの人は崇子のパパなのかも。崇子達はワタシのこと、家族にどう話してるんだろ。気になる。

 二列目から真ん中くらいまでは、文化祭に無理くり入場してきたワタシのファン。ルールの穴を突いて来たのは認められないけど、満足に『お別れ』しなかったワタシにも落ち度がある。なんて、今回だけはそういうことにして目を瞑ったげる。中央で推しハッピ着てるオジサンも、二列目でタオル握って泣いてる女の人も、端で歴代ペンラをフル装備してる痩せた人も、みんな覚えてる。

 待ったよね。甘い採点も容赦もしなくていいから、今のワタシをちゃんと見ていて。


 茉佑が次の曲名を告げて、天井照明の強さがちょっと絞られた。始まる。やっと。ほんの少しのトークパートでも待ち遠しい。

 両翼で崇子を向くスタンバイ姿勢で、曲のイントロに耳をすませる。


 強めのベースラインは、抑えられない鬱屈した感情を。メリハリを越えちゃって角のあるメロディは、暴発気味の情熱を。デビューになかなか辿り着けないでいた作曲者の、強い思いが溢れた曲。アイドル時代にお世話になった作曲者(ひと)だから選んだんじゃなく、気持ちがノるから再スタートにこの曲を選んだ。

 録音の演奏は崇子の知り合いの、軽音楽部の子達。アイドルステージ用に崇子が編曲したものを演奏してもらった。技術的には拙いけど、それでいい。今回は気持ちを重視してるから。

 楽曲も衣装手配も段取りも、崇子は本当に良い仕事をする。プロに近いか、ちょっとプロ。ここまでの逸材に出会えたのは正直、奇跡だと思う。


 動き出しを待つ体で崇子に目配せ。……いいのね? 本当にいいのね?? 『翼の大きさを全力で伝えて』って話。

 ワタシの全力は、アイドル(ワタシ)の全力。今日は加減できないよ?


 崇子と目が合い、頷きが返ってきた。


 途端にドカンと心臓が暴れる。肺に喉に頭に手足に、熱々の血液が送り出されていく感覚。脳は炭酸水に浸かってるみたいで、身体はみちみちに爆発寸前。だけどそんなのいつものことで、制御は完璧ほぼ自動。振付に沿って当たり前に体がステージを向いた。

 血圧で弾けそうな目で観客席を見回す。


 まだ一曲目の余韻が残ってる。崇子にも注目してる。そうだよね、わかるよ。崇子は良いパフォーマンスをして、とっても素敵だった。だけど──。


「──全部、もらうね」


 曲に込められたメッセージは、『私を見ろ』。誰に認められていなくとも『自分はできる』と言い放ってる。強がりもしくはホントの自信が、煮えたぎるほど熱もってる。今のワタシも大体そう。

 第一声も一挙手も一投足も自然にできた。観客の瞳にワタシが映る。映るワタシが見える。


 しびれる、楽しい、体が軽い。

 強い視線をぶつけられて、強いワタシをぶつけ返す。


 ワタシは翼。

 ワタシが舞うなら、ワタシの空に。

 見ろ、見上げろ。

 二つどちらもワタシを映せ。


 ワタシ、ワタシじゃない、ワタシ、ワタシじゃない。

 ワタシ、ワタシ、ワタシ、ワタシ……。

 ……ほら、塗り替わった。


 この瞬間が大好き。

 この瞬間のためなら全てを懸けられる。


 光を全身に浴びて、目いっぱい眼差しを集めて。浮かんでるような高揚感に身をゆだねる。どんなに苦しい準備があっても、ステージ(ここ)に立てば胸が晴れる。目障りなモノは何もない、空気はちっとも濁ってない。そうじゃなきゃいけない。


 美しく澄んだ、輝きの聖域。


 ……あ、だから天使なんだ。清らかな(ステージ)は気持ちが良いし、がんばっても届くかわからないくらい遠いもの。崇子、さすがね。


 もう二番の歌詞になっちゃった。

 あと二十曲くらいやりたい!


 感覚はちっとも鈍ってなくて、客席の驚きが手に取るようにわかった。衣装の肩に白布があって、腕を伸ばす振りがあって、アンタ達それで翼だって思ってたんでしょう?

 見くびらないで。動いて止まって靡かせて。羽ばたく時の翼こそが、一番でっかく見えるんだから。わかった? わかったならヨシ。

 というか、見惚れるのはいいけど声出てなくない? まったくもう。


「アンタ達! なんか忘れてるんじゃないの?! 声出しなさい、声!!」


 間奏中に前へ出て、ステージ縁へ。『ハイ、ハイ』と、リズムに合わせた定番フレーズを入れ、レスポンスをもらう。

 ワタシに言われて慌ててコーレス始めたくせ、続きは反射でいつものをやってくれた。低音『うー』からの元気な『はいはいっ!』。なんだか懐かしい。アンタ達もたくさん準備してたのね。……ありがと。


「よくできましたっ! だいたいあと一分だからっ、出し切っちゃってー!!」


 一年も待って、たったの二曲。

 足りない。足りない! こんなものじゃ、ぜんっぜん!!


~~


 二曲目に入った時から、観客席最後方で見ていた服飾デザイン科二年の衣笠(きぬがさ)松里(まつり)は呼吸を忘れた。粗末なライティングや音響をものともしない、冴姫のくっきりとした存在感と煌めき。それと、高さ。

 雷に打たれたかのような衝撃に始まり、『本物のアイドル』への理解が追いつくにつれ、どんどん息は詰まった。

 ユニットの誰が歌っていようと、誰が前に出ていようと、意識が冴姫を追いかける。目に焼きつく鮮やかな華の表情が、胸を貫く確たる歌声が、重力を感じさせないステップが、意識に関わる意思決定の権利をことごとく奪った。

 楽しい。このまま他の観客と同じく冴姫に身を委ね、熱狂をもって拝すれば良いのなら、どれだけ爽快であろうか。


 しかし松里は観客ではない。松里の魂はステージの上にある。


「(……なにが服飾だ、なにがデザインだ! アレのどこが仕事だって言える?!)」

 窒息しそうに苦しかった。本物に纏わせた『自作衣装(アレ)』が、酷く粗末な『偽物』に見える。今すぐステージの幕を閉じたい。頭を下げたい。したり顔でコンセプトなぞ披露した文化祭展示物を、めちゃくちゃに引き裂いてしまいたい。

 一曲目が終わったついさっきまで、『偏翼の天使』衣装担当として『上手くやれた』と考えていた自分がたまらなく恥ずかしい。

「(側面も背面も服のカタチにしただけ! 理由を詰めてない仕上げが浮いてるんだ……! 何もかも手を尽くせてない! 私の服は彼女を飾れていない!!)」

 細部に随所に、使った技能や素材選定の甘えを感じてしまう。あるべき姿を追求せず、既存デザインのパッチワークの域を完成としてしまった感覚。制作時の参考にアイドル衣装を調べ、『あぁ、こんな形ね』と早合点した自分を思い出す。

 背筋が寒い。空気の冷たさは耐え難く、息もまともにできない。


 まるで標高の高い──いや。

 暗さすら滲む遥か遠くの、高い高い空中にいるかのような。


「(だから、天使。天空にまで到達する、大きな翼の……)」


 松里はアイドル衣装の他に、ユニットコンセプトである『天使』や『翼』などの単語についても、いくらか調べものをしている。そうして知ったことの一つに、鳥の翼の大きさに関するものがあった。ざっくり言うと、大型の翼ほど得られる揚力が大きく、気流を受けて長く・高く・遠くへと飛べるものだとか。


 思い出した知識に、松里は冴姫の姿を重ねた。

「(観客の熱で上昇気流を作って、貴女は高く飛び上がるんだね。常人じゃとても届かない、息もできない高さへと。……私でこれなら、一緒に(ステージ)を飛ぶことになった二人は、どれほどの──)」

 間奏に入り、冴姫が観客とコール&レスポンス。満足気に笑顔を弾けさせる。その直後、冴姫に釘付けだった意識がほんの一瞬外れた。

 ラスサビ前のいわゆるCメロ。崇子のソロ歌唱パートだった。

「(──本物だ。崇子さんはあの空に届き得る。冴姫さんのように飛び回れなくとも、気流を起こして揺蕩える。窒息も墜落もしない。今はまだ振り回されているけども……)」

 ソロパートが終わり意識は再び冴姫に独占されたが、松里は崇子が、冴姫の領域に届くポテンシャルを持つと感じた。一瞬とは言え存在を示し、一見する範囲では平静にパフォーマンスを続けていたからだ。


 そして曲が終わり、松里の思考はようやく茉佑を思い出す。何をしていたのか、どんな表情だったのかは、一つたりとも覚えていない。見てもいないかもしれない。


 申し訳なさを覚えながらも、松里は茉佑を『凄い』と評価する。

「(……やっぱり、茉佑さんは良い。冴姫さん達の前じゃ、私も多分『そっち』側。だからと言って諦められないし、する歳でもない。私は茉佑さんになろう)」

 松里は『覚えていないこと』に茉佑を感じ、黙って体育館を後にした。その足で自身の展示物ブースへと向かい、破壊の限りを尽くす……ことはせず。同科の知人に頼み、展示物の隣に立って写真撮影した。


 写真は現像後、額縁に入れて自室に飾ったのだという。

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