第八話:お客さん温めますか?
体育館前広場で待つ茉佑の元に、校舎正面玄関から十数人の来場者が走ってくる。茉佑は両手をしっかり広げて上げ、大きな声で呼びかけた。
「入場待機列はこちらでーす! わたしの前に、二列で並んでくださーいっ!!」
最初にたどり着いた男性から二列で待機列を形成。列はどんどん伸びていき、あっという間に二十~三十人規模にまで達した。
初めて見る光景に茉佑は口をぽっかり。驚きだった。
「すごい……。学校の文化祭でこんなに……!」
これが龍ケ江冴姫の──TeSseRaのMiSaKiの力。そんな冴姫のファンを相手に、茉佑は今日、ユニットメンバーとしてステージに立つ。友達とか家族とか地域の人とか、オーディションの審査員とかとも違う、自分のことを『見てやるか』と考えてもいない人たちの前に。
来場者の期待に満ちた瞳と、そこに映らない自分。茉佑は背筋に流れる冷たい汗と、熱持つ胸とを同時に感じた。
「(みんなの目に、わたしは映らない。……だけど、わたしは──)」
「──野さん、アイドル部の天野さん、交代に来たよ」
知り合いではない女子の声。腕章をつけた生徒会の子で、列整理の交代要員として来てくれたらしい。
「……っは! ごめんなさいっ、ボーっとしてました! ありがとうございますっ」
「いいっていいって。ウチらが想定してなかったのが悪いんだし。それにしても盛況だね。ステージがんばってー」
「はいっ! がんばります……!」
一礼して持ち場を交代。茉佑は体育館へと走った。
「(映らなくてもやる……! やってみたいって思ったから……!!)」
たとえ誰の目にも映らないとしても。茉佑の心の内はいつも『やってみたい』の気持ちで満ちている。使える時間全てで練習し、普段着られない衣装を着て、特別な場所で成果を披露する。そこには宿命も因縁も存在せず、子どもの時からの透明な憧れのみが、溢れるほどにあった。
~~
他に誰もいないアイドル部部室。
崇子は椅子に座り深い息。独り言が口をついた。
「これで急場はしのいだ、かな。さすが本物のアイドル様。凄まじい人気でいらっしゃる」
部室に来た目的は、部や自分達のステージを撮影するカメラ機材の持ち出し。茉佑に来場者誘導を頼んだため、崇子自ら対応することになった。
「……ちょっと歩いただけなのにねぇ」
じんわり痛む脚の付け根を恨めしい思いでさする。ただでさえ移動が多い文化祭に来場者トラブルも重なってしまい、東奔西走。臨時控室、生徒会室、二年C組、部室、服飾デザイン科実習室などなど。あちらこちらと歩き回り、階段を昇り降り。疲労が痛みを誘発した。
しかし休憩せず一息にとどめ、崇子は機材片手に部室を後にする。
「さて、もうひと働きしますか」
次の仕事は、体育館内での着席誘導。座席の最前列を出演者招待席とし、その後ろに冴姫のファンを着席させる。全てが先着順だと、他の出演者・生徒と冴姫の間に不和を生みかねない。
他人に任せずわざわざ出向くのは、自身を観客の無意識に残す狙い。先のトラブル対応や、茉佑に待機列を担当させているのも同様。ここまで多少のイレギュラーはあれど大方予想通り。場をコントロールできている。
「(……冴姫ちゃんだけのユニットじゃないってこと、わからせてあげないとね)」
そう意気込むと、脚の痛みは気にならなくなった。笑みすらこぼれた。
恐れも不安も崇子にはない。あるのは確たる自信。冴姫のファンが相手だろうと、冴姫の隣であろうと、ステージに立つからには必ず、見る者の心に爪痕を残す。それは崇子にとって努力目標ではなく、ミッションだった。
~~
開場しものの五分で、最前列を除く前方六割以上の観客席が冴姫のファンで埋まった。残りの座席も数分で、生徒・卒業生・地域住民などが入りほぼ満席に。天川女子高等学校史上、類を見ない大盛況っぷりである。
そんな喜ばしいはずの状況を、出演を控える生徒達は閉じた幕の舞台袖から、怯えた顔つきで覗いていた。
「無理無理! アタシ出たくない!」
「マジヤバイよね、震え止まらん」
「あの子の出番に入れれば良かったじゃん、ウチらじゃ絶対しらけるって!!!」
出番が最初の吹奏楽部のそこかしこから、不安の声が上がる。他の出演予定者も同じで、合唱部も書道部もチアもブレイクもアイドル部も、司会の放送部までもがプレッシャーに震えていた。唯一、全国大会出場経験のある演劇部だけは『やる気』を維持できているが、いつになく緊張した面持ちになっている。
迫る開演時間。ズシリと重い空気。まるで冬の温度の舞台裏。マイクを握ったまま動けなくなった放送部女子の冷え切った手に、突然、熱い掌が触れた。
えんじ色ジャージでハーフツイン髪の冴姫が、包む仕草でマイクを預かる。
「マイク、ちょっと借りますね」
「へぇっ、あっ、龍ケ江さん?!」
困惑する放送部女子に、冴姫はちょっと勝気な顔で笑った。
「安心してください。ちゃんとするので」
「するって、何を……?」
「部紹介の前で交代しますから、準備しておいてください」
「??」
首を傾げる放送部女子。
そのフォローは崇子に任せ、冴姫はステージ中央で待機する指揮者の女子に声をかける。
「影アナからの開演煽り後、幕が動くのと同時に演奏を始めてください。かぶせて紹介を入れてもらいます」
「開幕と同時?? 紹介の後に始めるんじゃないの???」
困った様子の返答。予定では幕が開ききってから放送部が吹奏楽部を紹介。済んだ後に指揮者女子が観客に一礼、演奏開始の流れ。
冴姫はハッキリ言い切った。
「静まった会場全部の視線を受け止められるなら、それでどうぞ。ワタシは幕が閉まっているうちに演奏を始める方が気楽だと思いますけど」
「それは……」
指揮者女子は目を泳がせ、吹奏楽部部長をチラリ。オーボエ奏者の部長が椅子から立ち上がって代わりに答えた。
「いいよ。龍ケ江さんの案で。煽りに続いて始めるイメージだよね?」
「ええ。間を開けず幕を動かします」
「わかった。皆もいいねー? 弾き始めたらなんとかなるよ、大丈夫。中央の人は……指揮棒だけ見よ(笑)」
部長が笑い、僅かに部の雰囲気が柔らかくなる。その機を逃さず、冴姫はマイクのスイッチをオン。場内に流れるBGMの音量がしぼられた。
~~
『~~本日は文化祭特別ステージにご来場いただき、誠にありがとうございます。二年C組の龍ケ江冴姫です。開演に先立ちまして、皆様にお願いとご案内を申し上げます』
体育館内に響く冴姫の声。すぐさま観客席前方の来場者が歓喜の声を上げた。アナウンスの始まりは一般的な注意事項。許可された人・場所以外の撮影録画を禁ずることや、音のなる機器の電源を切ること、緊急時の対応、非常口の位置などが慣れた調子で伝えられる。
聞き手が興行だと錯覚しそうになった辺りで、冴姫は声のトーンを丁寧なものから、ややフランクなものに変えた。
『~~それでは、開演まで今しばらく──の前に、皆様に一つ質問があります。今日この中に、「東京でアイドルをしていた元MiSaKiを見に来た」って方はいらっしゃいますか? クラップで教えてください』
観客席の半分以上から拍手と歓声。
舞台幕の裏で聞き、冴姫は続ける。
『わぁ! 学友のお知り合いに、こんなにたくさんファンの方が……。……とでもワタシが言うと思った? さすがにわかるっての。顔だって覚えてんだし』
丁寧な口調はここまで。
上から目線の演技がわかりやすい、強めの口調でまくしたてる。
『アンタ達ねぇ、なに迷惑かけてくれちゃってんの?! ここは普通の女子高! 一般の子を困らせるとか最悪だからね???』
怒られているはずが、ファンは喜びはしゃいだ。
「ごめんってー!」「また声が聞けて嬉しーい!」「覚えててくれてありがとー!」
聞こえてくる声はそんなところ。プロアイドル時代からの、冴姫とファンのお決まりのやり取りに近い。冴姫がツンと厳しい(ような)ことを言い、ファンは平伏したりふざけたり、思い思いに返す。ライブのトークパートに見られる客席いじりとレスポンスである。
本当は真面目な注意の気持ちもあったのだが、ルールを破って押しかける人を叱っても意味がないだろうと諦め。冴姫は場の雰囲気を和らげる方向で話を運んだ。
『何度も見かけて覚えちゃったってだけ! 調子にのらないでよね! ったく、アンタ達ホントに反省してんのぉ? ……なんて。お説教はこのくらいにしなくちゃね。ここはワタシのライブ会場じゃなくて、文化祭のステージだから。言いたいことわかる? わかるわよね??』
親しげな中に圧を加え、語気に力を込める。続く言葉は、注意をフリにしてでも伝えなくてはならないのだ。
『アンタ達、少しでもワタシを想うんだったら、ちゃんと文化祭に参加しなさい! 「生徒の知り合い」らしくしっかりノって、場を作りなさい!! いい? わかった?? 返事は???』
真剣さを受け取り、一呼吸遅れで『わっ』と湧き立つファン。
『声が小さい!! 返事は???』
冴姫は間を置かず催促。
ファンは更なる歓声で応えた。
『よろしいっ! それでは今度は後ろの皆さんも、喉と体を温めていきましょう! 拍手または大きな声でお答えくださいっ!』
ここからは会場全体にエンジンをかける時間。突然語りかけられた客席後方の人達は目をパチパチさせたり、きょろきょろしたり。
考える時間を与えず、冴姫は尋ねる。
『天川女子文化祭ステージ、楽しみですかーっ!!??』
ノリの良い女子生徒が『イェー!』と楽しい声援を、一般の人たちがそれぞれに声と拍手を。
問いは続く。
『いいですね、素晴らしい! そろそろ吹奏楽部の演奏、聴きたいですよねー???』
「聴きたーい!」「聴かせてー!」
次は女子生徒が答えてもくれた。
温かいレスポンスに冴姫は優しく、にこやかな表情が想像できる声色で感謝する。
『ありがとうございますっ! 最後は会場全員で息を合わせましょう! 全力の拍手でお迎えくださいっ、本日のトップバッター、吹奏楽部の皆さんです!!!』
勢いのまま開演を宣言。ばっちり合ったタイミングでステージ幕が左右に開き、同時に演奏がスタート。割れんばかりの拍手を受けて、誰もが知る流行ポップスのイントロが流れた。
幕と一緒に袖に控えた冴姫は、放送部女子に『楽しんで』と小声で伝え、マイクをバトンタッチ。ステージは通常プログラムの司会進行へと戻っていく。
『マイク変わりました、放送部三年の~~』
音楽に乗り、放送部女子が曲名や吹奏楽部を紹介。文化祭ステージは無事、天川女子高史上最大の盛り上がりで始まった。
~~
一仕事終えた冴姫を、崇子と茉佑がお出迎え。
おどけた調子で崇子が労う。
「ご苦労様でした。ずいぶん簡単にこなしてくれちゃって」
冴姫は一息もつかず、引き締まった表情。
「大事なのはこれから。膨らませた期待に応えなくちゃいけないもの」
「確かに。じゃあそのおっきな風船、割らないようにしないとね」
崇子はそう言って、茉佑の両肩に手をのせ揺らした。
されるがまま左右に揺蕩い、茉佑が心配する。
「ファンの人たちすごい熱心で、もうドキドキしてきちゃった……」
さっぱり返す冴姫。
「アンタ達は自分のことに集中してなさい。初ステージなんだから。ほら、ボサっとしてないで」
背を向けて、冴姫は準備のため別室へと歩いていく。
崇子も続いた。
「言ってくれるねー。ま、初ステージなのはそうだけどさ。今日はお勉強させてもらいますよーっと」
前を歩く背中が二つ。
後ろを追いかけ、茉佑は考える。
「(ふふ、崇子ちゃんはやっぱり、『そっち』にいないとだよ)」
嬉しくなる光景だった。幼少の頃より『アイドルになる人』だと思っていた崇子が、やっと素直になってくれた気がした。自分と夏コンを目指すだけでは崇子の気持ちを引き出せなかったと思っているので、冴姫への感謝が募る。
「(ありがとう、冴姫ちゃん。崇子ちゃんを引っ張ってくれて。わたしには、たぶん……)」
同時に寂しい気持ちも胸に滲んだ。
「(……ううん、たぶんじゃない。絶対無理だった。『こっち側』からじゃ引き寄せられないもん)」
そっちとこっち。明確な違いがあることを茉佑は理解している。
理解して、その上で。
「(ダメダメ! 『自分のことに集中』しなきゃ! ……あっ、冴姫ちゃんすごい。もしかしてわたしの考え、先読みしてたのかな???)」
自分のできることに全力を懸けるしかない。崇子を横で見てきて、何度もオーディションに落ちて、きっと、今日もまた。
ちなみに冴姫は常識的な感覚で話をしただけで、茉佑の思考を読んではいない。まったくの偶然である。




