06 王都スラムを社会見学
王都まで、馬車で半日。ケツが痛ぇ。
舗装なんて概念がないとしか思えない道は、整ってるようでガッタガタ。石畳ってやつも、ところどころ浮いてたり穴があいてたりで、揺れに揺れる。
座席のクッションがぺらっぺらなんだよな。テンピュール的な何かが欲しい。低反発枕みたいなの。それかウォーターベッド。まあそれは冗談として。
これじゃ眠れたもんじゃねぇぞ。どこかに道中の休憩所でも作れねぇかな。サービスエリアとか、道の駅とかみたいなの。ホテル付の。せめてコーヒーとトイレとお土産屋が欲しい。
……ってか、いっそ鉄道引こうぜ、鉄道。異世界開発するならそれぐらいやってみたくなるだろ。
せめてアスファルトぐらいくれ。でもどうやって作るんだ、アスファルト。土木関係は警備のアルバイトぐらいしかしたことねーよ。
にしても、見える景色も殺風景なもんだ。ただの、どこまでも続く平原。最初はちょっと感動したけど、三十分もすりゃ飽きる。
せめて女の子がいたら会話でも楽しめたのに、馬車の向かいにいるのはクライヴ。護衛騎士。物静かで必要最低限しか喋らない男。
でもなーんかこいつ、昨日と態度変わったよな。たぶん、あの奇跡の光を使ってから。
柔らかくはなってないけど、触れれば切れそうな鋭さはなくなった気がする。オレを見直したか、人間としてバージョンアップしたんだろう。
ま、いきなり剣を突き付けてこないならなんでもいいや。
――てかオレ、働き者だよな。まだ死んで異世界で目覚めて二日目だぞ。
◆
ケツが割れる寸前で、ようやく馬車が王都の城門をくぐる。
長かった。本当に長かった。
さすがに王都まで来ると道の舗装がちゃんとされていて、ケツへのダメージが減った。めちゃくちゃありがたい。
さて、今回はお忍び旅なので城にはいかない。
行って王様とか王妃様に会っても、振る舞い方わっかんねーし。ホストモードで行ったら無礼者!って切り捨てられそう。
護衛たちは貴族のお忍び遊びにも慣れているのか、迷うことなくあまり目立たないところに馬車を止めて、黒いマントを渡してくる。
うん、センスはいいがディティールが足りねえ。こんなきれいな新品、いいとこのお坊ちゃんって言ってるようなもんだぜ。それともわざとか? わざとお偉いさんのバカ息子だから手を出さないようにって警告してんのか?
まあいーや。汚いのより。
「んじゃ、護衛はクライヴに頼むな。ぞろぞろ歩いてても目立つだけだ。お前、オレのこと殿下とか王子とか呼ぶなよ」
「では、なんと?」
「ユーリだ。ここからはオレ、お前の付き人のふりするから、お前は偉そうにしてろよ?」
……一瞬、クライヴの眉がピクリと動いた。
「……無理です」
「やれ」
「…………承知しました」
「じゃあまず、オレに小遣いくれ」
手を伸ばす。先立つものは必要だ。
そしてオレの手の上に、コインが入った袋が置かれる。
準備がいいな、こいつ。
よし、じゃあ――遊びに行くか、地獄の底に。
◆
ランプを持って道を歩いていると、やがて夜の歓楽街が見えてきた。
ちょっと感動する。やっぱり異世界にも歓楽街はあるんだなー。そりゃそうだよな、人間なんだから。
小道に吸い込まれていく酔っ払い、肩を寄せ合って歩く恋人、媚びた笑顔で客を引く女たち。
あー、なんか実家に帰ってきたような気分。
この暗い街。暗い空も、道も、人の目も、最高だ。
でもこの世界――本気で暗いな。王都ですら街灯もねーのか。それともここがスラムだからか。
見上げれば、空にはびっくりするほど明るい月が浮かび、星が無数に瞬いていた。
東京じゃ見られなかったな、こんな星空。
「おねーさん、こんばんはー。月がきれいだね」
薄着の色っぽいお姉さんに、へらっと笑って声をかける。
お姉さんはちらっとこちらを見て、一瞬で品定めしてくれた。
馬鹿そうなお坊ちゃん。隣にいる大柄な男。身に着けているものは上等――ってなぐらいだろう。
「ここらで頼れる人を探してんだけど、教えてくれない?」
「えー、頼れるひとー? やっぱママかなー」
お姉さんもへらっと笑って答えてくれる。いい人だね、お姉さん。
「ママ? どこの」
「あっちの路地入って、左の左。紫のランプが出てる店」
「サンキュ、おねーさん」
「どーいたしまして。それよりあぁ、おにーさん。あたしと遊んでかない? そっちのお兄さんと二人ででもいーよぉ」
「魅力的なお誘いだけど、今日は使いなんだ。また今度なー」
◆
路地裏に足を踏み入れた瞬間、低く荒んだ声が耳に飛び込んできた。
「おい、逃がさねぇぞ……」
壁際に追い詰められている女性と、腕を掴んでしつこく迫る男。
すれ違っただけでわかる――あの女性、客引きじゃない。
佇まい、香り、目線。あれは、選ばれた男しか触れられない女の所作だ。
……なるほどな。この男は客ですらない。相手にされてもいないストーカーだ。しかも、ちょっと身なりがいい。小金持ちかもな。
オレが立ち止まると、男はこちらに睨んでくる。
「……さっさと行け。見せもんじゃねぇぞ」
「うん、見てて面白いものじゃないな。お兄さん、遊び方知らないの?」
オレはランプを軽く揺らしながら笑った。
「無理強いは厳禁。ここはあんたのゲスな欲望を満たす場所じゃなくて、一夜の夢を楽しむ場所だぜ。自分も、相手もな」
この世界の歓楽街の流儀は知らねーけど、オレのルールはこれ。
男がギッと歯を鳴らした、そのときだった。
――風を切る音がして、気がつけばクライヴが男の背後を取っていた。
一瞬で肘を極め、膝を折らせ、静かに地面へ伏せさせる。
声も出せないまま、男はうずくまり、動けなくなった。
「やっぱ頼りになるな〜、旦那。いい仕事するね〜」
口笛でも吹きたい気分を抑えつつ、女性の方へ振り向いた。
「お姉さん、大丈夫? 送っていこうか? あ、安心して。送りオオカミは休業中だから」
冗談めかして言うと、彼女はふっと笑った。
目元に浮かぶ微笑は、大人の余裕がある。だが、どこかほんの少しだけ寂しげだ。
「ありがとう、大丈夫よ。今日はちょっと運が悪かったの。……でも、運がよかったのかも」
その目が、じっとこちらを見つめてくる。
……うわ。すげぇ色気。
黒髪は艶やかに揺れ、白い肌は夜のランプに照らされてほのかに光っている。
身につけているドレスは、他の女たちとは段違いの上物。
香水も、鼻につかない。むしろこの人の仕草や声にぴったりで、全部が計算されてる気がした。
あー、やべぇ。こういうタイプ、一番金持ってるタイプ。
魔性の女って言葉がよく似合う。
オレは少しだけ気を引き締めて、にこりと笑った。
「じゃあ、お姉さん。またどこかで」
◆
紫のランプがネオンみたいに光っている。
ここが目的の店らしい。
重たいカーテンをくぐった瞬間、むわりとした空気に包まれた。
甘く濃い香水の匂いと、煙草の苦み。それに、壁や床に染みついたアルコールの臭気。
店内は薄暗く、奥のカウンターにだけ小さなランプの光が灯っていた。
その明かりの下、脚を優雅に組み、煙草をくゆらせている女がひとり。
「……へぇ。若い子じゃないの。何の用?」
女はオレを一瞥し、口元だけで笑った。
歳は、見た目で三十代後半ってとこか。でも、目が若くない。数えきれないほどの人生を見てきた目だ。
「おねーさんがここのママ?」
「ママはやめなさいな。年寄り扱いされてるみたいで気分悪い」
女は細く笑って、煙を吐いた。
「あたしはニナよ。で? アンタは?」
「名乗るほどのもんじゃないけど……ユーリ。新しく街をつくる予定でさ。ニナさん、話聞いてくんない?」
「……ふぅん」
煙草の火が、赤く揺れる。
ニナさんは酒を二つ作り、カウンターに並べて置いた。
オレは席に座るが、クライヴはオレの背後に立ったまま動かない。
おい、座れよ旦那様……
まあいいか。ニナさんの目は誤魔化せなさそうだ。
気取ったグラスに注がれたそれを一口――
うお、キッツ。度数いくつだこれ。喉が焼ける。
これを飲めない坊やには話すことはないってか? 上等。
ただ、これ、一気すると死ぬやつ。しかもいまは腹が減っている状態。最悪。まあいいや。ヤバくなったら吐こう。
無言でちびちび飲んでいると、ニナさんの煙草の灰の先が灰皿に落とされた。
「――で? 何を作るって?」
「……世界一の歓楽街。なんでもありな楽しい夢みたいな場所。名前は……セブンツリー」
口に出して言うと、ちょっと照れくさいな。酔ってよかったかもな。
「ただいま新規出店歓迎中。場所は北の街道を馬車で半日。いままではさびれた街だったけど、オレが開発中。興味がある奴いたら教えてやって」
その時、背後から甘い気配がする。
「へえ……」
艶のある声が後ろから響く。
振り向くと、そこにいたのは――路地裏で助けた、あの高級感溢れるお姉さんがいた。
「面白そう。街もだけど、あなたが」
お姉さんは緩やかにオレの隣の席に座る。クライヴが手を付けていない酒を一瞥もせず、オレを見つめた。
「ねえ、詳しい話をゆっくり聞きたいわ。ふたりっきりで……」
「ははっ……嬉しいお誘いだけど、いまは手持ちがないんだわ」
「そんなものいいわよ。さっき助けてくれたお礼……」
うーん、状況的にはすごくおいしいんだけどな。
うまい話には裏があるんだよな。
オレが王子じゃなくて、毒殺されてなくて、路地裏で刺殺されてなかったらホイホイついていったかもしれねけどな。
正直もう女はこりごりっていうか――……
「あんたみたいな美人に誘われるなんて、普通なら飛びついてるとこだけど――」
オレは軽く笑って、グラスを傾けた。
「今日は仕事で来てるんだ。プライベートで会ったら、口説かせてくれよな」
「……ふふ、あなたってずるいわね」
それ、死ぬほど言われたことある。
「あたしはヴェリーナ……覚えておいてね」
「――ヴェリーナ。いい名前だな。一生忘れられそうにない」
ヴェリーナは微笑み、艶やかな歩みで去っていく。
その背中を見送っていたニナが、ふっと感心したように言った。
「あのヴェリーナに気に入られるなんてねぇ」
有名人か。
まあ、あの色気と気品だ。どこの店でもナンバーワンだろうな。
「彼女は王都で一番の高級娼婦だよ。貴族の恋人が何人もいるって話さ」
呑み込もうとしていた酒を、思わず噴き出した。