53 アルタイル
店内は、宵闇を閉じ込めたような濃藍の照明に包まれていた。星を模した光が天井を巡り、テーブルには金縁のランタン。全体的に落ち着いたラグジュアリーな空間だ。
もちろん全部オレ好みの内装だ。
その中でもひときわ華やかな一画――特別VIP席。
オレはジュリアの手を取って、その席にエスコートする。
ジュリアは腰を掛けると、艶やかな微笑を浮かべた。
白と金の聖衣は特別仕様。腰まで垂れたヴェールにはきらきらとした刺繍があしらわれており、店内の明かりを浴びて宝石のように輝いている。
ジュリアの好きだった酒を作ってやり、グラスを前に滑らせる。
斜め上から差し込むライトがその頬を照らす。
「覚えていてくれたんだぁ」
「もちろん。忘れるわけないだろ?」
ジュリアの表情に陶酔した優越感が滲み出る。
オレは笑ってグラスを合わせた。
「ほんとうに、すてきなお店だね。ユーリくんの夢がかなったんだね」
――オレ、店持ちたいとか言ったっけ?
酔った勢いで言ったか? いや、ないな。あの頃のオレは責任感とは無縁だった。
まーいまもだけど。
「気に入ってくれたなら、何よりだよ。ジュリアのために用意したんだ」
「ふふっ……そういうこと言うと、ジュリア、本気にしちゃうよ?」
「言ってほしそうだったからさ」
肩をすくめてみせると、ジュリアはいたずらっぽく目を細めた。
……上機嫌だな。
いまジュリアは店内で一番の姫と思い込んでいるに違いない。
――そろそろ頃合いかな。
オレはテーブルからすっと立ち上がる。
「少しだけ席を外すよ。すぐ戻るから、ね?」
「えっ……う、うん。待ってる……!」
期待と名残惜しさが入り混じった声を背に、オレは別の席へと歩き出した。
離れている時間が愛を育てることもある。そういうテクニック。
そしてオレは、アマーリエのいる席に座る。
今夜のアマーリエは、普段よりも肌を出したドレススタイルだ。だがその表情はめちゃくちゃ険しい。ハレの日だってのに。
「そんな顔しないでよ、アマーリエ」
オレは苦笑しながら両手を広げる。
「怒っている顔も可愛いけれど、笑ってる顔が好きだな」
「……どういうおつもりですか?」
アマーリエはじっとこちらを見据えたまま、低い声で問いかけてくる。
「さて、どんなつもりでしょう。想像してみてよ」
「……わかりません。あなたは、いつもわたくしの想像を超えていってしまいますから」
「そりゃ光栄」
オレは笑って身を乗り出し、彼女の顔を覗き込んだ。
「……今夜のキミはいつも以上に綺麗だ」
その一言で、アマーリエの目が見開かれ、すぐに頬が赤く染まっていく。
こういう言葉、言われ慣れてるはずなんだけどな。
なんでそんなに素直に反応するんだよ、可愛すぎるだろ。
だからこそ、もう少しだけ、彼女だけの特別な時間を贈りたくなる。
「アルタイルってどういう意味か知ってる?」
「いえ……」
うん、誰にも教えたことないからね。
「星の名前なんだけど――遠い国の神話では、ベガという女神とアルタイルという男神は夫婦だったんだ。でも、お互いが好きすぎて仕事そっちのけになっちゃったから、神様が怒って、空の大河の両岸に引き離されちゃったんだ」
織姫彦星の七夕伝説だ。
「会えるのは年に一度だけ。それも雨が降ったら会えない」
アマーリエの表情が、すっと曇った。
「それは……さみしいですね」
その声は、まるで自分のことのように寂しそうで――
オレは、ふっと息を吐いた。
「キミがベガなら――オレは、星の大河を泳いで渡ってでも会いに行くよ」
「星の大河って……とても大変そうですが……?」
「うん、それでも。だって年に一度じゃ全然足りない」
本音だよ。
実際はたぶん溺れる。
でも、気持ちは本物だ。
――そんなタイミングで。
「はぁ~い! ジュリア、ユーリくんにシャンパンタワー入れちゃいまーす☆!」
店内に響き渡る、高らかな声。
……はい、きた。ジュリアの対抗意識全開のやつ。
『特別感』を取り戻したい、マウント欲求。
「シャンパンタワー……? なら、わたくしも――」
立ち上がろうとするアマーリエを、オレは慌てて制した。
「いいからいいから、落ち着いて。今夜は聖女様がVIPだから」
少し意地悪くそう言って、ウインクを添える。
「アマーリエはいつもVIPだけどね」
その言葉に、アマーリエはぴたりと動きを止め、真っ赤な顔で座り直した。
シャンパンタワー――それは、祭典だ。
いまこの瞬間だけ、自分が世界の中心にいると錯覚させてくれる、甘くて、泡立つような夢の時間。
天井から吊るされたシャンデリアが、光を滝のように降らせている。透明なグラスの塔に、黄金色の液体が流れ込んでいくたび、店内は歓声と拍手に包まれた。
ジュリアは、スポットライトの真下で、恍惚とした表情を浮かべていた。
白と金のヴェールが揺れて、まるで本当に祝福されている姫みたいに見える。
……まあ、演出は完璧なんだから当然か。
シャンパンが注がれたグラスを掲げ、ジュリアは酔ったような甘い笑みでオレを見上げた。
「ねえ、ユーリくん。いま、しあわせ?」
「ああ、もちろん。幸せだよ」
この手の夜に、この手の女の子に、何百回と吐いてきた言葉だ。
「ジュリアのおかげだよね。やっぱり、ユーリくんにはジュリアが必要なんだ」
「…………」
――必要だと思われていたい、か。
よくある欲求だ。肯定してやりゃ簡単に喜ぶ。そして疑ってくる。そして試してこようとする。挙句の果てに刺してくる。
だから、軽々しく頷いちゃいけない。
「……ジュリアね、この世界で目覚めたときわかったんだ。こっちが本当のジュリアの世界だって」
マジかよ。
こっちの世界で生まれて、日本に転生して、また戻ってきたとでも言う気か、こいつ。
オレはまったく思えねぇけど。
……まあ、思うのは自由だ。
「またユーリくんに出会ったとき、ドキドキした。だってジュリアの理想どおりの王子様になってたんだもの。でもユーリくんは、ジュリアのこと覚えていなかったんだ……」
そりゃ別人だからな。
本名と源氏名が被っただけの、赤の他人。それがオレと前ユーリ様の関係だ。
けど、ジュリアにとってはそうじゃなかった。
「だから、思ったの。ユーリくんも死んだら自分の本当を思い出すって。だから――」
「だから?」
オレは静かにその先の言葉を促す。
ある程度の確信を持って。
ジュリアはグラスを掲げながら、満面の笑みを浮かべた。
「だから、殺しちゃった☆」
――うん、知ってた。




