48 アマーリエの婚約事情
夜の執務室――オレの机の上には、今日も今日とて書類の山が積み重なっている。
「招待状の返事が続々ときていますよ」
本日の秘書であるアマーリエが、手に取った書類に目を落としながら読み上げていく。
「まず参加されるのは、聖女ジュリア様、並びに第二王子レオニス殿下です」
……やっぱり聖女ジュリアは来るのか……
まあ来るだろうな。『大好きなユーリくん』の生誕&復活&ホストクラブオープン記念祭だもんな。シャンパンタワーするぞー!、って勢いで来てくれるだろうな。あの樹利亜なら。
他の招待状ではホストクラブの件は書いていないけれど、ジュリアへのものだけはオレが書き添えた。
そうやっておけば絶対に来るだろうって。
にしても、レオニスくんも来てくれるのか。なんか嬉しいな。
「――それと、レオニス殿下からはちゃんとキャバレークラブ《ミラージュ》での飲食代も振込がありましたので、飲食代で領収書を送っています」
え、あれ、経費で落ちるの?
そっかー。ちゃんと振り込んだかー。でもちょっと残念。レオニスくんと兄弟でホストやって伝説の夜にしたかったのに。
「国王陛下と王妃殿下、神官長は不参加となります。継承候補のひとりに肩入れするわけにはいけないとのことです」
それはむしろほっとする。
顔も知らない両親といきなり会っても何話せばいいかわからん。気まずさマックスになる、絶対。
対面前に、オレが記憶のない再臨ユーリってこと広めておいてほしいな。話がスムーズになるだろうから。
そもそも何て呼べばいいの? パパママでいいの?
変に取り繕ってもなぁ~。
神官長はよくわかんない。
「王女ミレイユ殿下は婚約者エリオット・リデル様を代役として立てるそうです」
「代役?」
「はい。王女殿下ご自身は、公務のため出席が叶わないとのことです。ですが……代役を立てるほどには、この祭りが重要視されているという証左でもあります」
そのとき――
アマーリエの表情に、かすかに影が差した。ほんの一瞬だけ。
お姫様の憂い顔を見逃すようなオレじゃない。
「どしたの?」
「……いえ、何でもありません」
アマーリエは小さく首を振って、また報告書に視線を戻した。
「それでは続いての貴族の顔ぶれですが――」
そうして、顔も名前も知らないやつらの名前が読み上げられていく。
オレはそんなことより、さっきのアマーリエの表情がずっと気になっていた。
「貴族の参加率は半々といったところでしょうか……商人の参加率は高くなっていますよ」
「……ふーん」
オレはひとつ息をついて、椅子の背にもたれた。
報告の内容なんて、もう頭に入ってこない。
「なあ、ちょっと休憩しようぜ。酒とジュース、どっちがいい?」
アマーリエはほんのわずか間を置いてから、微笑んだ。
「……では、お酒を少しだけ」
ソファに移動して、隣り合って座る。
薄めの水割りを作って、アマーリエに渡した。
なんか、あれ思い出すな。アマーリエとの即席ホストクラブ体験版。
あの時は向かい合って座っていたのに、いまは自然と隣に座っている。
「今日もお疲れ様」
「ありがとうございます。まだ仕事が残っていますが」
「今日はもういいじゃん。休むのも仕事」
自分の分の水割りも作って、軽く乾杯する。あー、旨い。生き返る。
「……なんか、軽いノリの祭りのつもりだったのに、すごいことになってきてるな……毎日大変だろ?」
「ええ。――ですが、よい機会だったと思っています。大勢の方にいまのユーリ様を知ってもらえる、絶好の機会かと」
「マジかー……まあ、頑張る」
生まれ持っての王子様としてはふるまえないけど、いまのオレのままでいいなら精いっぱい頑張るよ。
アマーリエは笑う。その笑顔に、ちょっと安心した。
「……なあ、アマーリエ。王女代理のエリオットってどんなやつ?」
そいつのことを話していた時、アマーリエの顔は明らかに暗くなっていた。何かあるのは間違いない。
「……彼は、わたくしの元婚約者なんです」
「……へ?」
「生まれる前からの婚約でした。ですが彼は王女に気に入られて――ある夜会で、わたくしではなく王女をエスコートして現れて……皆の前で、婚約破棄を告げられました」
……オレは、格式高いパーティーとか夜会とかわからない。
けど、その男がどんなひどいことをしたかはわかる。
アマーリエがどんな気持ちになったか、少しはわかる。戸惑いとか、恥とか、怒りとか、未来への不安とか。
そいつはそれを、不意打ちで浴びせたんだ。
皆の前で。
アマーリエが取り乱せない状況で、一方的に手を上げたようなもんだ。
「……そいつ、今度会ったら殴っていい?」
「えっ……?」
「大勢の前で女の子に恥をかかせるやつ、大嫌い」
色恋沙汰なんだから、心変わりは仕方ない。
でも、別れ話の切り出し方に礼儀ってもんがあるだろ。
「いえ、彼はもう殴られたも同然です」
アマーリエが、少しだけ照れたように視線をそらす。
「どういうこと?」
「……立ち尽くしてしまったわたくしに、ユーリ様がその場でプロポーズしてくださったんです」
その瞬間、胸にサクッとナイフが刺さったみたいな衝撃を受けた。
――ああ。
アマーリエが以前言っていた、『ユーリ様に恩返しがしたい』ってやつ……多分これのことか。
皆の前で婚約者に捨てられたアマーリエに、王子様が救いの手を差し伸べた。
貴族としての立場も、女の子としての尊厳も、一瞬で守られたんだ。
そりゃもう絵になるだろうな。
呆然と立ち尽くす姫君に、差し出される王子の手。
少女マンガとかおとぎ話みたいだ。女の子の夢だろうな。
――でも、その王子様はオレじゃない。
「……ごめん。覚えてなくて」
覚えていないんじゃなくて、本当は全然別人だ。
違う世界で、違う人生を生きていた、まったく別の人間だ。
アマーリエは静かに首を振った。小さく、微笑みながら。
「いえ、いいんです。あの時も嬉しかったですが……いま、あなたがわたくしのために怒ってくださったこと、嬉しかったですから」
――それは、昔のユーリ様にじゃなくて、いまのオレに向けられた微笑み。
ふわりと揺れる髪から、ほのかな香りが漂ってくる。
……あー、いま、キスしたい。
……したら怒るかな。驚くかな。
……前のユーリ王子とは、キスしたんだろうか。
「…………」
視線だけが交じる緊張の中、アマーリエの手がふっとオレの膝の上にそっと置かれる。
ああ、全部伝わってくる。この空気、もう近づくしかないやつ。
――でも、ダメだ。
オレはまだ、アマーリエに何も言っていない。
それに、オレは違うんだ。本物じゃない。彼女が憧れた王子様じゃないんだよ。
オレは女に刺されて死んだクズホスト。
こんなきれいな子に手を伸ばす資格なんか、ない。
「なんか腹減ったな」
ごまかすように口にした。
アマーリエは少し目を見開いて、でもすぐに優しく微笑んだ。
「――それでは、夕食にしましょうか」




