35 オレはクズだ。だから逃げる
アマーリエが聖女の相手をしてくれる三日間――一日目。
オレは神に祈りを捧げるという名目で、三日間神殿に引きこもることになった。
これはこれで暇だけど、まあ生き返ってからずっと動き回っていたしな。
たまの休日と思って過ごそう。
ベッドの上でゴロゴロしながら、ぼんやりと天井を見つめる。
……オレ、向こうの世界では休みの日何してたっけ?
ああ、そうだ。イベント前後は、常連客にスマホで営業かけてたな。朝から晩まで、指が腱鞘炎になる勢いで。
こっちの世界はiPh〇neもネットもないから楽といえば楽。
通知が鳴ることもないし、返信に追われることもない。営業ノルマもない。
「……楽っちゃ楽だよな、マジで」
そんな風に、ちょっとセンチな気分になっていたときだった。
部屋の扉が控えめにノックされたかと思ったら、すぐに若い神官――ルカくんが人目を避けるようにして飛び込んできた。
「ユーリ様、大変です! 神殿内で……不穏な動きが!」
「んー? 今日オレ、オフなんだけど」
布団に顔を埋めたまま答えると、ルカくんは真剣な顔で身を乗り出してくる。
「ユーリ様を信奉する聖王子派と、聖女様に付き従う聖女派で勢力が分かれておりまして……」
「はぁっ? それってヤバいの?」
「ヤバいなんてものじゃありません! 神殿の空気が、明らかにピリついてます!」
ちょっとやめてくれ。争いとかマジでやめてくれ。
「なんだってそんなことに……」
「ユーリ様の歓楽街構想をよく思われていない神官もまだまだいますので……」
「いまさらじゃねぇ?!」
オレが歓楽街構想始めて何か月たったと思ってんだ。いや三か月も経ってねーけど。もう十分すぎるぐらい浸透してるぞ。
オレは大きくため息をついた。
次から次へと問題が行列をなしてやってきてる気がする。
王子様ってもしかして忙しい?
ホストの時は営業ノルマと姫(客)の機嫌だけ気にしときゃよかったのに、どうしていまオレは宗教戦争に巻き込まれかけてるんだろう。
そうだよ、オレはクズホストなんだよ。
どうしてこんな責任重大な立場になってんだ?
歓楽街作ったのはオレのためだからまだいいとして、派閥争いとか宗教戦争なんて知ったこっちゃないぞ。
オレはもうヒモになりたい。誰か飼ってくれ。あ、なんか奴隷落ちするやつの気持ちがちょっとわかった気がした。
ああもう、本当。
逃げたーい……。
◆◆◆
――逃げた。
そうだ、オレはクズだ。
逃げたって言っても王都にだけどな。
夜の街道をとぼとぼ歩いている。
セブンツリーを出て、最初の道の駅まで歩いて約一時間。そのうちの半分も進んでないってのに、もう足がだるい。明かりのない漆黒の道。頭の上には星しかない。
ちなみに後ろにはクライヴもいる。すげー逃げ切れてない感。
仕方ないじゃん、現代っ子なんだもん。護衛もなしに外うろつけないし、知ってる道以外歩きたくない。というか歩きたくないんだけど。なんでクライヴ馬車持ってきてないの? 馬にでも乗ってきてくれたら乗せてもらったのに。
「なあ、なんでついてきてるの? 普通止めねえ?」
振り返ってボヤく。
まあこいつがいたから門でもスムーズに「あ、お仕事ですね。お気をつけて殿下」ってノリで送り出してもらえたんだけどさ。一人なら多分止められてた。
「私は殿下をお守りし、往く道を切り開くのが使命です。危険なことなら止めますが、その必要はないと判断しました」
「はいはい、お勤めご苦労様」
外の空気は思ってたよりずっと冷たい。
街灯のない田舎道は、本当に真っ暗だ。風が吹くたび、どこかで何かが動いたような気がしてビクッとする。いまにも草むらから何か飛び出してきそうな予感しかしない。
……まずいな。
もう帰りたくなってきた。
これじゃただの夜散歩じゃん……深夜徘徊じゃん……
だってオレ、キャンプ道具とかも持ってきてない。ほぼ手ぶら。
道の駅で「オレ王子だからサービスしてよ」ってタダで世話になるつもりでした、はい。
「……なあクライヴ、お前野営の準備してる?」
「いいえ」
「だよなぁ」
「もう少し歩けば街道宿がありますが」
知ってるよ。それ整備したのオレだよ。お前も知ってるだろ。
「疲れてきた……」
「背負って運びましょうか」
「ヤダ、格好悪い」
ケガもしてないのに男が男におんぶされるとか、誰かに見られたら死ぬ。
「……でも、限界になったら頼むわ」
だからそれまで体力温存しててくれ。
とはいえ足は重くなる一方だし、夜道はますます暗くなってきた。草のざわめきも、風の音も、やけに耳に残る。
東京じゃ本当の暗闇なんてほとんどなかったからな。
街灯もネオンも、ビルの明かりもない夜が、こんなに不安だなんて、この世界に来るまで忘れてたよ。
「なあ、何か話ししてよ」
沈黙に耐えかねて言うと、クライヴは少し考えて。
「では歴史学を――」
「いや、お前の話」
こんな状況でお勉強なんてしたくねーよ。
お前の話を聞かせろよ。
「……クライヴ・ヴァレンシュタイン。聖王国近衛騎士団、第一部隊所属。第一王子ユーリ殿下の護衛をしております」
「うんうん、それで?」
続きを促すと、クライヴは困惑したような表情になる。
「……他の何を話せばいいのでしょうか」
いやさっきのお前の、自己紹介の序の序じゃん。
お前自身のことまだ何も聞けてないんだけど。雑談苦手か?
「……趣味とか、好みとか、人生観とか?」
クライヴはほんのわずかに黙り込み、考え込むように目を伏せる。
そんな様子が妙に真面目すぎて、むしろ面白くなってきた。
「そうだなー、好きな女の子のタイプとかは?」
「……申し訳ありません。そのようなことに興味を持ったことはありません」
「えー! マジで?!」
思わず足を止めて、振り返って二度見する。
いやいやいや、ちょっと待て。
クライヴって、身長も高いし、筋肉バキバキ、顔は彫刻レベルで整ってるし、仕事もエリートっぽいのに?!
女の子に興味がない??!!
「いやモテるだろ、お前。めっちゃくちゃモテてるだろ。ちょっとぐらい陰で手を出してるんだろ?」
「……そのような時間があれば、護衛任務を優先します」
……ああ、そうだよな。
こいつ、四六時中オレのそばにいるわ。
「つまんねぇやつ。人生損してるぞ」
「私の人生は、殿下のためにありますので」
「だから重いっつってんだよ……!」
オレ、他人の人生まで背負う気ないんだけど?
「……はぁ、お前本当に『ユーリ様』が好きなんだな……」
人生全振りするぐらいに。
「…………」
クライヴは何も答えなかった。ただ、風に揺れる外套の音だけが、しんとした夜の中で聞こえた。
「もうちょっと軽く生きたっていいんじゃねーの?」
ぼそっと、そんなことを言ってみる。
でもそれに返事はなかった。代わりに、クライヴの足音が一歩、オレに追いついてきた。
その直後、草むらの奥から、ギシッと枝の折れる音がした。前方の道にはぬるりと複数の影が現れる。
「痛い目見たくなかったら、金目のもん置いてきな」
うわ、出た。
まさかの、追いはぎ系。深夜徘徊中に出くわすイベントNo.1。
「まだいたの? こういうの、すっかり掃除し終わったと思ってたんだけどな」
ここ最近はセブンツリー周辺も警備強化したし、野盗は激減してたはずなんだけどな。
道を塞ぐその男は、皮鎧にボロマント、手には短剣。どう見ても正規の兵士じゃない。
「申し訳ございません。すぐに片づけます」
クライヴが、静かに前へ出た。いつの間にか右手には長剣が握られている。
「ん。殺すなよ」
オレは肩をすくめて後ろへ下がる。
――目にもとまらぬ速さって、ああいうのを言うんだろうな。
黒い稲妻みたいにクライヴが駆け抜け、数秒後には三人いた賊が全員地面に転がってた。呻き声はあるけど、反撃はゼロ。全員、戦意喪失。
「これぞ無双ってやつだな……」
ため息混じりに呟く。
たぶん、あの賊たち、そんなに弱くはない。オレ一人だったらすでに身ぐるみはがされてるし、下手すりゃパンツ一丁で縛られてた。
クライヴ、怖すぎる。
「他から流れてきた傭兵でしょう」
目の前で倒れる三人を見下ろしながら、クライヴが淡々と言う。
その声には一切の乱れがなかった。息すら切れてない。顔色も変わらない。ほんの少し砂埃が肩にかかってるくらいで、まるでこれが日常の訓練みたいに見える。
倒れて呻いている賊たちの体には、戦いの傷跡がいくつも残っていた。
ただ、よく見ると――それらの傷のほとんどはいまついたものじゃない。どれも古く、痛々しい。
「とっとと裁くか」
立ち上がって、手のひらに神聖術を込める。じんわりと光が生まれ、淡く彼らの傷を包み込む。
「目が……?」
一人の男が、潤んだ声で呟いた。
ああ。
片目、見えてなかったんだな、ずっと。
「……まー、余罪とかは後で聞くとして、とりあえず刑期三年な」
立ち上がりながら、オレは軽く首を鳴らす。
「刑期が終わるまでセブンツリーの交番勤務な」
「交番……?」
目を白黒させる賊たちに、オレはニッと笑いかけてやる。
「街中にある警備の詰め所。何かトラブルあったら駆けつけて、場を治める人。正義の味方」
セブンツリーは治安維持のため交番が多い。正直、人が足りない。
だから働いてもらう。
オレだって働いてるんだからな。嫌とは言わせない。
「それが嫌なら農作業の方に回すから。逃げようとしたら怖い騎士たちが追いかけてくるからな」
ちょっと脅すと、元賊たちが勢いよく首を縦に振る。もうすっかり思い知らされてる感じだ。
「あんた……もしかして、聖王子か……」
賊の一人が聞いてくる。多分リーダー格。
「そう。ユーリ様」
「……ど……どうしてここまでしてくれるんだ……?」
「どうしても何も、困ってるんだろ? 体力も気力もあるんだから、悪いことしてないで働け。セブンツリーは万年人手不足なんだよ」
胸を張って言う。
移民希望者はいっぱい来るが、それでも働き手が足りないんだよな。特に働き盛りの男は大歓迎だぜ。
「はー、帰るか」
肩を回しながら、いままで歩いてきた道を振り返る。
――プチ家出終了。
逃避行すらままならないオレ、かわいそう。
増えた同行者を連れて、街道を戻る。
しばらくして、闇の向こうに浮かび上がる明かりが見えてきた。
セブンツリー。
こうして外から見るのは、もしかしたら初めてかもしれない。
「外から見るとこんなに明るいんだな」
「はい。夜を往く者にとっては、希望の光でしょう」
「……何そのカッコいい言い方」
……こいつの言うみたいに、セブンツリーが誰かの希望になってたりするのかな。
思い出したのは、歌舞伎町のギラギラのネオンだった。オレが生きて、遊んで、死んだ場所。
どうしようもない場所だったけど、あの街でしか生きられないやつだっていたんだよ。
セブンツリーも、そういう誰かの希望になってりゃいいなと思った。
そのためには、面倒事も片付けなきゃいけないんだよな〜。
……まあ、やるだけやるか。
また殺されたくないもんな。




