27 即席ホストクラブin地下拷問室へようこそ
鉄の輪に吊られたまま、オレは首を傾けて言った。
「お酒ある?」
ガルナード伯は怪訝そうに眉をひそめる。
「……は?」
「百聞は一見に如かずだろ? 体験してみなよ。ホストってのをさ」
にこっと笑ってみせる。手足は縛られたままだし、剣も素人。このあからさまに歴戦の達人って感じのおっさんに勝てるなんて思えない。
「オレ弱いから、何もできないし」
伯爵はしばし沈黙し、それから少しだけ興味を持ったように片眉を上げた。
そして、オレの拘束を外す。
「ありがと」
そして伯爵は棚から一本のワインを取り出し、部屋の隅の机に置いた。そして、グラスも二つ置く。
よく考えなくても怖いな、この状況。なんで地下拷問室にワインがあるんだよ。何を肴にワイン飲む気? いやいや、奥さんがSM系の女王様って線も……
――まあいいや。
オレはコルク抜きを借りて、ワインのコルクを――キィ、とゆっくり音を立てて抜いた。
地下拷問室の中で、ワインの香りが広がる。
ああ、いいワインだな、これ。
――地下拷問室でホスト営業なんて初めてだ。
でもやるからには本気だぜ。
プロだからな。
「では、伯爵。まずはオレと伯爵の出会いに、乾杯――」
立ったまま乾杯する。伯爵の持つグラスに軽くグラスを当てると、高く澄んだ音が地下に響いた。
オレは先に一口飲む。
「それにしても伯爵って、響きがいいよな~。ガルナードって名前、ワインの銘柄にあったら間違いなく高級だわ」
「ふん……わかったようなことを言いおって……」
「伯爵の昔の話とか、聞きたいな。どうせ拷問するなら、まずはオレが伯爵に惚れてからにしてくれよ」
「……本気で拷問などせんわい……この場所は、妻ローザとの思い出の場所だからな……」
どんな思い出を作ってんの? やっぱSM的な何か?
ツッコミたかったが、そこにぶっこむのはまだ早い気がする。
それに、偉い人にはそっちの趣味も多いからな。(※超偏見)
「ローザは弓の名手でな。背中合わせで戦った戦もある。ローザが矢で援護し、私が斬り込む──私らの連携は一部の隙も無かった」
「マジすか、かっけー……」
伯爵はちょっと気をよくしたように、ワインに口をつけた。
「このワインも、彼女の好きな銘柄だった……」
「――ええ。とても、いいワインです」
――で、その奥さんはいまどうしているんだろう。
なんというか、その奥さんがまだ近くにいたら、この人こんなことしそうにないんだよな。
でもそんなことを直接聞くのは素人だ。
「――伯爵は、いま頼れる人いますか?」
「なに……?」
「全部自分で背負ってるみたいで、見てて危なっかしいんだよな」
「何を……わかったようなことを……」
オレはただ微笑み、ワインを飲む。
黙っているのは上級テクだ。でもうまく使えば、相手に想像させることができる。
――こいつは本当にわかっているのかもしれない。
――こいつも同じ痛みを知っているのかもしれない。
そんな、勝手な想像を。
伯爵はグラスを見つめたまま、しばらく口を開かなかった。
地下の冷たい空気に、ワインの香りだけが漂う。
「……頼れる者、か」
しばらくの沈黙のあと、ぽつりとこぼしたその声は、思ったよりも弱かった。
「妻を亡くして、もう十年になる」
「…………」
「私の正しさが、家族を幸せにすると信じていた。だが、結果は……そうではなかったようだ」
「娘は強い。あの子がいてくれるだけで……それで、いいと思っていたのだがな……」
グラスを見つめる伯爵の瞳は、どこか遠い過去を追っているようだった。
「だが、あの子も最近は……私に、何も言わなくなった」
ふ、と自嘲するように笑う。
そして、静かな沈黙が続き……伯爵の肩が震えた。
「……っ、私はただ、正義を信じて……っ……王国の未来のために……」
涙がひとしずく、頬を伝った。
「……うん、頑張ったんだね」
オレはただそう言って、彼の隣に立つ。
ただ受け止めるだけ。それが何よりも、心に寄り添うこともある。
「……ローザ、私はお前を、幸せに、できなかった……!」
それは、どこにでもいる普通の男の涙だった。この場所でしか流せない、愛と悔恨の涙。
「――そんなことない。お嬢様、とてもいい子じゃん。あの子が楽しく生きられる未来、オレも一緒に作りたいよ」
――一緒に。それは協力のようで、共犯の申し出だ。
また一つ、心の壁が壊れた音が聞こえた気がした。
ふいに、伯爵がこちらを見る。
その目は、疑問に揺れていた。
「貴様は、結局誰なのだ……」
「ユーリだよ」
誰かと問われれば、そうとしか言えない。
「ユーリ王子の一面かもしれないし、中身だけまったく別人かもしれない……赤の他人かもしれない……」
ワイングラス越しに、伯爵の顔を見つめる。
「でも、あなたの目の前に、確かにいるよ」
軽く笑って、伯爵のグラスにグラスを当てる。
澄んだ音が静かに響いた。
「……王に、なるつもりなのか?」
「オレ、王様とか向いてないって言ったじゃん」
明るく笑い、そして真っ直ぐに伯爵の目を覗き込む。
「でも、伯爵がいてくれるなら――ちょっとくらい、頑張ってみようかな」
「…………っ」
「なーんて」
「……貴様は……」
――ああ、ぐらぐら揺れている。可愛いな。
「……そんなに心配なら、傍でオレを見ててよ」
「なに……?」
「オレが何者かを知るのは、それが一番だろ? 飾らない姿を、伯爵に見ていてほしいんだ」
「…………」
「そうしてくれたら、オレも嬉しいな……」
目を見たまま距離を詰め、ふわりと微笑む。
「……ね?」
ガルナード伯は、しばしオレの顔を見つめ――そして、ゆっくりと頷いた。
――その時。
地鳴りのような轟音が地下室に響き渡る。ワイングラスがわずかに揺れ、棚にあった器具がカチャカチャと音を立てる。
……え、何の音? まさか――解体工事? 地震?
いやいや、でも音が近づいてきてないか? っていうか――
これ、ヤバくない?!
「――伯爵、逃げよう」
ガルナード伯と逃げようとした、次の瞬間。
重い扉が音もなく跳ね飛ばされた。
「――は?」
鉄と石を粉砕するような一撃と共にぶわっと風が吹き込み、ワインの香りが一瞬でかき消える。
その風の中から、剣を構えた一人の騎士が飛び込んでくる。
「――ユーリ様!!」
クライヴだった。
鋭く辺りを見回し、オレと伯爵の距離、抜かれた剣、テーブルの上のワインまでを一瞬で把握する。
「ご無事ですか、ユーリ様!」
全身から警戒心と殺気を漂わせたまま、オレの前に立ち塞がるようにして仁王立ちするクライヴ。
いやー、かっこいいな。まるでヒーロー。あの轟音、もしかしなくてもお前? どんな勢いでどれだけのもん破壊してきたの?
修繕費請求されないよな……?
「……元気そうだな、お前」
……いや、オレも元気だよ。たぶんね。ワイン飲んでただけだし。
先に倒れたからどうなったかと思ってたけど、安心したわ。
「とにかく――その剣、しまえって。めっちゃ怖いから」




