23 【番外編】アマーリエの秘密
執務を終えたアマーリエは、まっすぐ自室へと戻ってきた。扉を閉めるやいなや、その背にもたれかかるようにして、深い、深い吐息を漏らす。
「……はあ……今日もユーリ様が……罪深すぎました……」
店のプレオープンでの出来事が、まだ頭に鮮やかに残っている。
次から次へと、老若男女を問わず笑顔にし、ときめかせ、魅了していく――それはもはや神業とすら言えた。
静かに目を伏せながら、彼女は心のなかで呟く。
(昔のユーリ様は……どこか近寄りがたいくらい、高潔だった。でも、いまのユーリ様は……)
どこか、人を惑わす。
それでも誰よりも、優しくて、あたたかくて、気づけば惹かれてしまう――
罪深い人。
その姿はまるで神が地上に堕ちてきたかのようで。
誰よりも俗っぽいのに、なのに誰よりも優しくて。
――高貴、というのはあの人のためにあるような言葉のようにすら思えてしまう。
ふらりと、壁際の棚へ向かう。
カーテンを閉め、扉に鍵をかけ、外の気配を確かめて。
そっと、棚の横に手を伸ばす。
カチリ、と隠し仕掛けの音がした。
棚の奥、薄く開いた扉の中から、ほんのりと香が漂う。
そして――
棚が開く。
そこには、小さな祭壇があった。
中央には、額に入れられた半裸のユーリの肖像画。
まるで宗教画のように美しいその姿は、ほとんど神々しささえ纏っていた。
両脇には、色褪せぬドライフラワーと銀の燭台、そして香付きの小瓶が一対ずつ。
整然と、そして慎ましく並んでいるその祭壇は、まさに聖域。
アマーリエは燭台にそっと火を灯した。
「本日も……お美しいです、ユーリ様……」
絵に視線を注ぎながら、アマーリエは思わず胸元に手を置く。
「この角度、やはり完璧……。肩のラインから、肋骨へと流れる影……尊い……」
胸の高鳴りを感じながら、机の引き出しから繊細なレース布を取り出す。白銀の縁飾りが美しく、慎ましい清らかさを感じさせる。
その布を、そっと絵の下端へとかける。まるで、神に祈りを捧げるかのように。
――本日の、供物。
「……いつか……わたくしだけのために……脱いでくださいますように……」
ぽつりと、願いを零す。
すぐに、自分でその言葉に反応して、ぴくりと肩を揺らす。
「……いけませんわ……これは芸術です……欲望では……ありません……っ」
額縁に両手を合わせるようにして、祈る彼女の姿は、まさしく信徒。
それでいて、その頬はほんのりと赤く染まっていた。
「本日も尊き御姿、ありがとうございました……明日も元気でいてくださいね……」
そう呟いてから、そっとレース布を外す。
仕舞うのではなく、大切に胸元に抱きしめたまま、彼女はゆっくりとベッドへ向かう。
ベッドの上、ほんの一枚の布を抱き締めながら、アマーリエはふと微笑んだ。
「……これは、わたくしだけの……ユーリ様……」
――これで明日も、頑張れる。
小さな願いと、ささやかな幸福に包まれて、夜は静かに更けていった。




