そうだ、近江に行こう(強制)
天文15年(1546年) 11月
丹波国 多紀郡 八上城
「千熊丸、近江に行くぞ」
「え?」
どうも、千熊丸です。いきなり親父に呼び出されて訳分からないことを言ってきたせいで困惑しています…
困惑している俺を見兼ねて家老の酒井が
「実は管領様(細川晴元)から公方様の御嫡男、菊幢丸(義輝)様の元服式に管領様の代わりに名代として殿と筑前守様が御招待されましてな」
ふーん…そうなんだ……行ってらっしゃいとしか言えないんだけど?
「で、実はな…管領様から一つご要望があってな」
ん?なんか雲行きが怪しいぞ?
「実は菊幢丸様がお主に会いたがっておるようでの、すまんがついてきてもらうぞ」
父はそう苦笑しながら言ったがすまないと思ってるなら連れて行くなよって思うんだけど…
そんな俺の希望を他所に父と家臣達は出立の準備を整え、気づけば2日後には近江に向かって発ったのだった…
天文15年(1546年) 11月
摂津国 武庫郡 越水城
「おお、義兄殿!千熊丸殿!会えるのを待っておりましたぞ!」
そう言って俺達を出迎えてくれたのは毎度お馴染みの三好筑前殿。やっぱりこうしてみるとただの人の良い好人物にしか見えないな。
そしてそんな筑前殿の足元には俺と同い年くらいの子供が居た。多分筑前殿の嫡男の三好義興かな?
「紹介させてもらいますぞ。こちらが我が嫡男の千熊丸(義興)に御座る。千熊丸、挨拶せい」
「はい!ちちうえ!みよしせんくままるともうします!」
あ、やっぱり三好義興だったのね。4歳児にしてはしっかりしてるな…にしても戦国武将って幼名が千熊丸の割合が多いな(例、立花宗茂、長宗我部盛親)
「千熊丸、こちらがお主の叔父にあたる波多野上総介(元秀)と子の波多野千熊丸殿じゃ」
「どうも千熊丸殿、波多野千熊丸と申します。以後よしなに」
俺がそう言うと千熊丸君は目を白黒させて驚いた。まあ、自分と同い年くらいの子がこんな流暢に挨拶してきたら驚くか…
「はっはっは!千熊丸殿!我が家の千熊丸と仲良くしてやってくだされ!」
そう言いながら筑前殿は俺と千熊丸君の背中をバンバン叩いてきた。本当にただの良い人にしか見えないんだけどなぁ…この人…
そうして1日越水城に滞在した後、筑前殿とその家臣御一行が加わり再び近江を目指して旅立つのだった…