築城と満俺
口丹波とは、現在の京都府亀岡市、南丹市の一帯を指す言葉である。
古くから日本の支配者は、京都周辺に本拠地をおいていた。その時重視される場所は主に二ヶ所。一ヶ所目は近江国の瀬田周辺。そしてもう一ヶ所が丹波、特にこの口丹波周辺なのだ。
実際、鎌倉幕府では北条氏一門、信長は光秀を、秀吉は小早川秀秋や豊臣秀勝、江戸幕府も大体譜代の大名を丹波に配置している。
そしてその明智光秀が築城したのが丹波亀山城。明智光秀時代には三重、小早川秀秋時代以降は五重の天守と二重の小天守を備えた巨城だったのである。
話を戻そう…
天文16年(1547年) 12月
丹波国 桑田郡 亀山盆地
「うん……ここが良いかな…」
俺は今、城を建てる場所の品定めをしている。確か史実の亀山城は大堰川(桂川)の近くだったよな?
ちなみに1547年現在、まだ天守という存在はないし、俺も建てるつもりはない。
ただし石垣は寺の堂塔とかを建てる時の台座として存在しているし、それを施工する石工もいる。
うちにも穴太衆などの大物ではないが、京都にいた時に引き抜いてきた石工はいる。
あとは堀と櫓とかか……いっそのこと、この大堰川から水を引いて水堀にするか?
そんなことを考えていると、何やら周囲が騒がしくなってきたな…
よく見ると近くに10人そこらの農民の団体がおり、一人が、風呂敷に包まれた何かを抱えてこちらに近づいてきていた。
慌てて山城が用件を聞きにいったが、農民がその抱えているものの中身を見せると、何やら驚きの表情を浮かべながら、その農民たちを連れてこちらに近づいてきた。
「殿、この者が殿に見せたいものがあると…」
そう言って、農民に目配せをすると、農民は風呂敷を地面に置き、解いた。
そうして出てきたのは、人の頭よりも大きいレベルの大きさの石だった。
しかし、その石は明らかに普通の石ではなかった。
少し黒味がかった岩の内部に、赤い水晶の様なモノが入っていた。
そして、俺にはそれがなんなのか、心当たりがあった。
「おい、其方。これは何処で見つけた」
「へい…北の山の中で木ィ切っとったら、土の中に光っとるもんがあって掘り出してみたんだや」
「なるほど……おい、其方」
「へ…へえ…なんでしょう」
俺がそう言うと、男はこの石を取り上げられると思ったのか、少し怯えた様子でこちらを見てきた。
「米十五石で、これを譲ってくれんか?」
「……え?」
「ん?足りんか?なら二十石…」
「いえいえ!?十分ですっ!?」
「そうか……それと、近々この近辺に城を建てる。また同じような石を見つけたら、城まで持ってきてくれ。米と替えてやるぞ」
そう言うと現金なことに、他の農民達は一目散に山に向かって駆け出して行った。
慌ててこの農民も駆け出そうとしたが、慌てて引き留めて証文を渡しておいた。
「…しかし殿…良かったのですか?この石にそのような価値があるとは…」
「ああ、あるさ……一回城のことは後回し!八上に向かうぞ!」
「殿!?八上とは、大殿様に御用が?」
「いや、用があるのは鉄師と鍛治師じゃ!そのようなことより疾く発つぞ!」
そう言うと俺は石を包んである風呂敷を鞍に縛りつけ、八上の方に駆け出していき、越中と山城は慌ててそれを追いかけるのであった。
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はたして孫四郎くんが見つけたモノはなんだったのでしょうか…