いきなりの初陣 前編
天文14年(1545年) 7月
丹波国 多紀郡 八上城
父が堺に向かって一月が経った…
俺はその間、美作守殿から戦の話を聞いている。流石は丹波鬼と呼ばれるだけあって、どの話もとても参考になる。
今日は兵法の講談を聞いていると、突然廊下から慌ただしい足音が聞こえてきた。
思わず俺も美作守殿も身構えたが、入ってきたのは孫平太だった。その顔はいつもと違いとても焦っていた…
「どうした孫平太?変事か?」
美作守殿がそう聞き終わる前に、孫平太が叫ぶように報告した。
「っ!報告します!船井郡世木城にて内藤備前守(国貞)挙兵!数掛山城の与兵衛尉様(波多野秀親)を標的に行軍を始めようとしているとのことです!」
その言葉に俺と美作守殿が凍りつく…
内藤国貞…ぶっちゃけ松永長頼を養子に迎えたことぐらいしか知らなかったが、父から聞いた話によると、内藤氏は丹波の守護代を務めるほどの一族で、古くから細川に仕えていたらしい…
その点、我が波多野家は応仁の頃に細川勝元に仕え始めた、謂わば新参者、当然折り合いが悪い…
さらに我が家と赤井家は細川晴元派だが、内藤家は細川氏綱派、もうそれだけで波多野に向かってくる理由になる…
さらに狙われている数掛山城は波多野氏からしたら桑田郡への橋頭堡、ここを失うのはまずい。さらに城主の波多野秀親殿は一門衆…見捨てるわけにはいかない…
そんな焦りまくっている俺と違い美作守殿は冷静に
「孫平太、内藤めは如何程兵を率いておる」
と問うた。
それに対して孫平太は
「せ…千二百ほどとのことにございます」
と答えた…千二百…農繁期の今、内藤だけではこれだけの兵を出せない…主君から支援されてるな…
「美作守殿、この城にはすぐ動かせる兵が如何程おります?」
「千熊丸殿、残念じゃが百五十ほどしかおらん…」
百五十…それに俺の蓄えておいた常備兵百人と在城の家臣たちを合わせて大体三百…兵力差四倍……やり方によっちゃ勝てるか……とりあえず…
「美作守殿、大広間に家臣と兵を貴賤問わず集めてください。孫平太、お主は我が領地に戻り、兵たちを集めてここに戻ってこい」
「承知した」「承知しました!」
よし、集まってくる間に策を考えよう…
そうして半刻(2時間)ほどで孫平太が連れてきた兵を含めて約三百人が大広間に集まった…正直狭いし暑苦しい…そしてもうほとんどの人間が国貞のことを知っているのか「国貞め…前々から奴が気にいらなかったのよ!」「だがどうする…奴は大軍を率いておる…まともに戦えば負ける…」
等々、様々な意見が飛び交っている。『まともに戦えば負ける』俺もその通りだと思う…そう、『まともに戦えば』の話だが…俺は出来る限り息を吸い…
「皆の者!静まれ!!」
と大音声を上げた。いきなりこんな子供が大音声を出したんだ、皆驚いている。その隙に話を進める!
「聞き及んでいると思うが、内藤彦五郎(国貞)めが兵を挙げ、与兵衛尉のもとに向かっておる!兵は千二百ほど率いておるようじゃ!」
そう言うと家臣たちは「許せん!」「奴らに天誅を!」と声を上げた。
だが、家臣の1人が「しかし、奴らは大軍、それに引き換え我らは寡兵…このままでは到底勝ち目が…」と言い、場が静まり返った…こういう意見が出るのは想定していたので俺は迷わず
「案ずるな皆の者!奴らに勝つ策がある!」
と言った。その言葉を受けて家臣たちは「流石は丹波の神童じゃ!」「頼りになるわい!」等の声が上がった。ん?俺丹波の神童って呼ばれてたの?まあ良いか…
そして、さっきの打ち合わせ通りに美作守殿が
「しかし千熊丸殿、策というのは一体?」
と聞いてきてくれた。それに対し俺も予め準備していた言葉を発する。
「うむ、それを話す前に、孫平太、この城から数掛山城までどれほどの距離がある?」
これも予め打ち合わせした会話であり、孫平太も打ち合わせ通りに
「およそ七里半(30km)にございます」
と答えた。さらに今度は家臣たちに対し
「では、奴らの城から数掛山城まで如何程の距離がある?」
と問うた。家臣たちは戸惑いながらも
「こちらも七里半にございます」
と答えた。ここからは台本無し…家臣たちの戦意による…
「ふむ…なら、その道のりで奴らの城から五里(20km)ほどの場所はどこじゃ」
と家臣たちに聞いた、そうすると氏綱が
「それならば、我が荒木の本貫の地、船井郡の園部の辺りでしょう」
と答えてくれた
「ほう、ならば戦の際は山城守、お主がその地を案内せよ」
「と、言いますと?」
氏綱が俺の言葉の意味がわからなかったらしく、聞き返してきた。さて、ここが勝負所だな…
「知れたことを、その園部という地で、奴らを討ち取ってやるのよ」
俺の言葉で大広間中がざわめく。美作守殿まで驚いている。やがて家臣の1人が
「しかし若!今から出陣しても奴らは既に園部から去っていますぞ!」
そう、『通常なら』間に合わない…だが、園部は奴らの城から20km、20km…この数字はこの時代の平均的な軍勢の一日の行軍距離…つまり
「安心せい、奴らはおそらく園部で立ち止まり野営をする!そこを突くのじゃ!」
その言葉を聞いて「流石は若!」「これなら勝てる!勝てるぞ!」とまたも家臣が騒ぎ始めた。ここからさらに畳み掛ける。
「孫平太、父上と筑前殿に文を書け。『これより不仁不義の悪人、内藤彦五郎を討ち取り、奴の領土を切り取ってみせる。そのために城攻めのための援軍を要請したい』とな!」
この言葉で、場は完全に沸き立ち、今なら全員が俺の言葉に従う、それほどまでに皆が俺の言葉に酔いしれている。よし、最後に家臣たちに一つだけ命令を出す。この命令が通れば勝ち、通らなければ負ける…だが、もう後には引けない!
「最後に皆に一つ下知を下す!良いか!決して…………」
こうして下準備を終えた。後は運次第、天に運を任せるだけだ…