上洛
天文16年(1547年) 9月
近江国 滋賀郡 瀬田
「おお、孫四郎よ、よく参った!皆の者大義である!」
「公方様こそ、御壮健なようで何よりで御座います!」
と言い義藤の機嫌を取ろうとするのは毎度お馴染みの細川晴元だが、見事なまでのスルーを決められている上に、ちょっと義藤の顔が不快そうに歪んでる…気持ちはわかるぞ…
「公方様、それに皆々様、一刻(2時間)程の休憩の後、上洛を行うということで宜しいですな?」
そう念を押すのは細川藤孝、なんか前会った時より少し老けてる気がする……そしてその理由が大体察しがつく…
まあ、その言っている内容には特に意見もないので、哀れみの目線を向けながら頷いておいた。
「それと孫四郎殿、少しお頼みしたいことが…」
「ん?拙者にですか?」
「はい…実は………」
天文16年(1547年) 9月
山城国 愛宕郡 粟田口周辺 山科言継
ふむ…まもなく頃合いかの…
「おや、これは内蔵頭(山科言継)はん」
「おお、太閤(近衛稙家)殿。お久しゅう…」
「貴殿も甥殿(義藤)の上洛の見物かえ?」
「ええ…しかし、田舎武士共が狼藉を働かぬか心配ですなぁ…」
「ええ、そないなことがあったら甥殿にも伝えなあきませんな」
「ほんまに……お、おいでになりましたな」
東から馬蹄音が鳴ってきとるから、そう言うて太閤はんと一緒にその方向を向くと、なんや見たことあらへん旗の軍が向かってきとるやないか
「太閤殿、あれはどこの家の軍でっしゃろ?」
「ああ、ありゃ甥殿のお気に入りの波多野の軍やな」
波多野?あの丹波の?全く思ってたのと違うやんか。
そないなことを思うとったらなんや周りにおる女衆が歓声を上げとるやないか…
そうしてたら目に入ってきおったのは、軍の中で一際目立つ錦の直垂を着た美男子やった。
「ああ、あれが噂の波多野の孫四郎か。聞いとった通りの美男子やな」
ほう、あれが公方はんお気に入りの波多野の嫡男か。馬に乗っとるから分からんが、子供にしては上背があるなぁ。確かまだ七歳と聞いとったが…
そんでその孫四郎が麿達の横を通る時、少し立ち止まってから会釈をしてきた。
麿も太閤殿もにこやかな顔で返したが、ほんに良く出来た子やね…
そないなことを思いながら、まだまだ続く軍勢の列を、太閤殿と眺め始めた…
天文16年(1547年) 9月
山城国 葛野郡 妙顕寺
はぁ…疲れた…
にしてもあの打ち合わせの時、まさか俺がこの上洛の先鋒にさせられるなんて…
いや、普通こういうのは譜代の重臣にやらせるものでしょ?なんで陪臣の嫡男っていう立場の俺にやらせるの?
しかもなんで誰もそれに文句を言わないの?
はぁ…さらに明日は別件でとあるやんごとなき御方に会わなきゃいけない……あぁ…憂鬱だ…
静岡人の作者に京都弁は無理でした…
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