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天文14年(1545年)動き出す神童

天文14年(1545年) 六月

丹波国 多紀郡 八上城



俺がこの時代に転生して4年が経った…


今なら自由に動き回れるし会話もできる


そんな俺は今日も今日とて考え事をしている…


「若様、どうなさったのです?そのような顔をして」


そう俺に話しかけたのは俺の側付きの家臣の籾井越中守もみいえっちゅうのかみ教業(のりなり)荒木山城守(あらきやましろのかみ)氏綱(うじつな)の2人だ。2人とも勇将として将来名を馳せるが、今はただの10代前半の一家臣に過ぎない…


「なに…考え事をしておったのよ」


そう、考え事だ…我が家を大きくする為の…


丹波国は複雑だ…波多野、赤井、足立、芦田、余田、吉見、荻野、久下、和田、中澤、酒井、細見、畑、荒木、波々伯部(ほほかべ)、籾井、内藤、小畠、夜久、桐村、塩見、上原、大槻、志賀、上林、片山、須知、蜷川(にながわ)、川勝、宇津の31の家が(ひしめ)いている…


ちなみにこれらを分類すると


波多野家派 波多野、酒井、籾井、久下、荒木、細身、波々伯部、小畠


赤井家派 赤井、萩野、足立、芦田、余田、吉見、中澤


細川家(氏綱)派 内藤、夜久、塩見、上原


細川家(晴元)派 志賀、片山、桐村、上林、須知、和田、大槻、畑


幕臣 蜷川 川勝 宇津(川勝と宇津はほぼ細川派)


でそれぞれの領地の石高は丹波国の石高が約280000石で郡ごとの石高が


桑田郡 約45000石

船井郡 約40000石

何鹿(いかるが)郡 約40000石

天田郡 約44000石

氷上郡 約63000石

多喜郡 約45000石


で勢力ごとの石高が


波多野派 多紀郡 約45000石

     氷上郡の一部 約19000石

     天田郡の一部 約11000石

     桑田郡の一部 約5000石

     合計 約80000石 

   最大動員兵力 約2000人


赤井派  氷上郡の一部 約44000石

     天田郡の一部 約33000石

     合計約77000石

   最大動員兵力 約1800人


細川晴元、幕臣派 何鹿郡 約40000石

       船井郡の半分ほど 約15000石

       桑田郡の一部 約15000石

       合計約70000石

   最大動員兵力 約1800人


細川氏綱派  船井郡の半分ほど 約25000石

       桑田郡の一部 約25000石

     合計約50000石

   最大動員兵力 約1300人


という感じ…もっとも、細川氏綱派と晴元派は他の国にも味方がいるから、実数値はもっと上だが…


そして波多野を大きくする方法だが…それは簡単に言うと、三好家との同盟一択だ…史実だと3年後、波多野と三好の関係が悪化したことで叔母上が範長殿と離縁している…その後はお察しの通り、松永長頼(松永久秀の弟)あたりが毎年の如く攻めてくるようになる…それだけは避けたい!!


なのでまずは俺の発言権を高める!というわけで始めたのが清酒作り。転生系の歴史小説とかだとお決まりの展開だが、これが売れる売れる♪丹波は酒飲みが多いからな…


あとは松茸と丹波焼の輸出かな。松茸は昔から日本人に親しまれてきた食材で、特に京都付近のは今でも有名だから公家あたりにかなり高価で売れたわ♪もっとも、偶然見つけた椎茸の方が高く売れたが…丹波焼も堺の方では評判になっている



こうして俺はかなり懐が温かくなり、父からも認められて、今までは勝手にやっていたのが、これからは家を挙げて活動できるようになったのと、多紀郡に5000石ほど代官(籾井と荒木等)付きで領地をもらえた。まあ、この時代の人間からしたら何やってんのかサッパリ分からなかったらしく、ちょっと最初の頃は引かれてたが…


まあ、今は皆協力してくれているから言うことなしか…


そんな感傷に浸っていると


「若様!殿がお呼びです!」


と小姓で俺の家臣の酒井孫平太(後の酒井信政)が俺を呼んだ


「おう!今参る!」


何だろう?そう思いながら俺は屋敷の中に入っていった








「え!?堺に行くのですか!?」


俺は大広間で素っ頓狂な声をあげた。それに対して父の元秀は


「うむ、筑前殿から堺を見物せぬかと誘われてな」


そう、父が家を留守にして堺に行くと言うのだ……ぶっちゃけ俺も行きたい…


「なに、心配せんでも氷上城の美作守(波多野宗高)に留守を任せる。もっとも、この城を攻める者などおらんと思うがな!」


ハッハッハと父が豪快に笑うが、俺からしたらフラグとしか思えない…だが三好家からの誘いなら断れない…それに父の言うように、この時期に攻めてくる奴なんて限られるだろう


こうして、父は手勢を500人ほど連れて、堺に向かい、入れ替わりに美作守殿が城に入ってきた


…まさか父の外出がきっかけで、俺が初陣を迎えることになるとは、この時の俺は思ってもいなかった…

酒井信政の幼名と波多野宗高の僭称官位はそれぞれ親戚(波多野宗高の子の僭称官位は美作守)から取っています

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― 新着の感想 ―
>この時期に攻めてくる奴なんて限られるだろう 年号が天文14年(1545年)ということしか分からないので、この時期というのがなんでそう思ったのかがよく分かりませんでした。 田植えの時期なのか、収穫の…
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