越水評定②
天文16年(1547年) 6月
摂津国 武庫郡 越水城内書院
「それでは、評定を始めるとするか」
俺達が席に着いたことを確認すると、細川晴元は口を開き、そう言った。
その声はかなりの濁声で、しかもめちゃくちゃ酒臭い…よくよく見ると横に瓶子が何個も転がっており、おそらく俺達が来るまでずっと呑んでいたということが察せられる。
「ではまず、敵の陣容か『管領代様、暫し宜しいですか?』ん?どうなさった、孫四郎殿」
六角定頼が評定の司会をし、内容に入ろうとする前に、俺は一つ、コイツらに言うことがあるんだ。
「実は二日ほど前、能勢郡にて遊佐河内守(長教)を含む敵の隊と戦になりまして、その遊佐河内守を討ち取り申した」
その言葉にこの広い大広間内にどよめきが広がる。そう、あまりにもあっさり討ち取れたせいで忘れているかもしれないが、遊佐長教だって河内守護代兼細川氏綱の側近(腰巾着とも言う)としてそれなりに名は売っていた。こっちの陣営で例えるなら筑前殿と同じような立ち位置の武将なのだ。
それを6歳のガキが討ち取ったなんて、驚かない方がおかしい。
「孫四郎殿、それは誠か?」
半信半疑といった様子で六角定頼が聞いてきた。まあ、そんな意見が出ると思って…
「ええ、誠に御座る。山城守!奴の首を持ってこい!」
「承知致しました!」
俺は山城守に指示を出し、予め用意しておいた遊佐長教の首を持ってこさせる。
首桶に入っていたソレを取り出す際、かなりの異臭がしたが、基本的に全員慣れているのかあまりに気していなかった。俺は二回くらい吐いたのに…
そんなことより遊佐長教の首の話だ。コイツ元々畠山家臣のくせに細川晴元に取り入って、更にそこから細川氏綱の側近になるとかいう訳わかんないムーブをしているお陰で、この場のほとんどの人間は顔を知っているため、すんなりと認められた様だな。
細川晴元も長教の首を満足気に見た後、満面の笑みでこっちを向いてきた。
……うん、視線だけで背筋がゾッとするわ…
「うむ、孫四郎よ。誠に見事な手腕じゃ!どうじゃ、儂の小姓にならぬか?」
だがそんな状況の中、コイツは更に爆弾を落としてきやがった…しかもその顔からは下心が滲んで見えた…
しかも筑前殿の顔が少し歪んでる…え?まさか、筑前殿、細川晴元とそういう関係に……うん、考えるのはやめよう…そして断ろう。
「申し訳御座いませんが管領様、某は波多野家の嫡男、いわば父の家臣の様なものでもあるので、父の許可が無ければ…」
そう言って表面上は申し訳なさそうに返しておく。まあ、言っていることと事実は全く異なるんだけど。
「何、お主の父は儂の家臣でもある。よってお主も儂の家臣ということになる。それ故心配は無用じゃ」
うわ、トンデモ理論で返してきやがった…いや、この時代ではまあ普通の考えか…
というかよく舅の前でこんな話できんな。よく見たら定頼もちょっと呆れてるし…
メタボ体型、男色家、ジャイアニスト、空気読めない、傲慢、馬鹿…どこの誰が聞いてもこれに全て当てはまる人間を好きになる奴はいないだろう。
少なくとも俺はお近づきになりたくない…
「婿殿、今は軍議中故、左様な話はまた後日」
呆れ果てて定頼が止めにきてくれた…よし、今度から定頼公と呼ぼう。
そして流石に舅の圧力に負けてバカも大人しくなったな。
「では本題に入ろう。まず、次郎(氏綱)殿だが、どうやら摂津国と和泉国の国境付近におり、どうやら北上しているらしい」
「そして、その進軍速度と我が家の細作からの報告から見て、合戦の地はここになると考えられる」
そう言うと定頼公は一枚の地図を取り出し、一点を指差した。
『舎利寺』…定頼公が指差した地点には、赤字でそう書かれていた。
どうやら、近いうちにもう一戦しなければいけないようだ…
ここら辺の年代は各勢力の動きが複雑すぎるので(主に足利親子)自分の力で書き切れるか不安…




