叔父からの手紙
天文16年(1547年) 5月
丹波国 桑田郡 篠村八幡宮
「ふっ!はっ!」
「孫四郎様、腕を上げられましたな」
「左様ですか!卜伝翁!」
俺は今、武芸の稽古をしている。師匠はなんと、『剣聖』塚原卜伝だ。
ことの発端は去年の年末にあった足利義藤との謁見からだ。
あの時俺は義藤から童子切を贈られたが、よくよく考えてみたら『あれ?俺太刀どころか打刀すら扱えなくね?』と思ったのだ。それを義藤に言ったら『自分の師匠を紹介する』と言われて、紹介されたのがまさかの剣聖だったのだ。
もっとも、会ってみたら基本はただの酒癖の悪くて冗談好きな爺さんだったな。基本は…
そう、この爺さん、稽古中だけだがめちゃくちゃ真剣になる。義藤はもしかしてこの稽古が辛くて俺に押し付けたんじゃないかと思うくらい稽古がキツい!
まあ、自分で実感できるほどに腕が伸びているから文句はないんだけど…
ちなみに俺が習っているのは剣術と薙刀だ。
そう、薙刀だ。理由は簡単、槍より刃が長いからダメージを与えやすいし柄もそこまで長くないから取り回しも簡単、それでいてそれなりのリーチもある。うん!採用!
今では猛稽古の末に刃と柄を合わせて四尺の薙刀を操れるようになった!
まあ、一緒に稽古をしていた山城守が刃と柄を合わせて一丈三尺(約390センチ)の大薙刀を操れるようになった時は心が折れかけたけど…
そうして少し休憩をした後、再び稽古をしようとすると
「殿!大殿様がお呼びに御座る!」
と例に漏れず孫平太がこちらに叫んで伝えてきた。
本当に何か起きる時はコイツが報告しに来るな…
「卜伝翁、どうやら火急の用故、暫し御免!」
「おう、承知したぞ!」
俺はその返事を聞き終わる前に馬に乗り込み、西に駆けて行った。
天文16年(1547年) 5月
丹波国 多紀郡 八上城大広間
「父上!孫四郎、参りました!」
俺が家臣に案内され、大広間に入ると既に与兵衛尉殿や美作守殿を始め、多くの重臣たちが揃っていた。
「おう!孫四郎、少し寄れ」
俺はそう言われて家臣達を避けて父の方に寄った。
「孫四郎、これを見よ」
父はそう言うと一通の書状を差し出してきた。
その書状の送り主は筑前守殿、内容をかいつまんで要約すると『細川氏綱の動きが活発化している。近々摂津にて奴らと雌雄を決するつもりなので援軍を要請したい』とのことだった。
うん、なんか先が見えたぞ?
親父は俺が書状を読み終わったことを確認したら
「孫四郎、そちが筑前殿の援軍に行ってくれんか?」
と言ってきた。
ああ、やっぱりね…俺は諦観の笑みを浮かべ、そう思ったのであった…
 




