ダブル元服式
天文15年(1546年) 12月
近江国 滋賀郡 日吉大社
「菊幢丸!そちはこれより足利義藤と名乗り、我が足利将軍家の名に恥じぬ様精進せよ!」
「はっ!」
たった今、足利義輝…いや義藤の元服が完了した。
元服式は豪華なもので出席者は勅使兼義兄の近衛稙家と久我晴通、大名家からは烏帽子親の六角定頼はもちろん若狭武田の武田信豊、紀伊畠山の畠山政国と守護代の遊佐長教、それと筑前殿と父、俺が主な出席者だな。あとはそこいらの大小名からの使者だな。
にしてもこの将軍親子全く似てないな…痩せてやつれてる父の義晴に対して義輝はがっしりしてて11歳とは思えないほど背が高い。もう155センチはあるんじゃないのか?
そんなことを考えているうちに幕府内での役職任命式が始まる………はぁ…正直これが憂鬱なんだよなぁ…
だがそう思ったところで何も変わるわけではないので俺はもう諦めた…
二刻(4時間)後…
「三好筑前守、そちを奉公衆に任ずる!」
「はっ!有り難き幸せに存じまする!」
さて、筑前殿の任官が終わった。次は順番通りなら父上と俺の番の筈なんだが……はぁ…ここにいる大名どもの視線が俺に刺さるんだろうな……にしても筑前殿史実で奉公衆になってたっけ?
「波多野上総介、及びその嫡男千熊丸、昨年の戦、その武名はこの近江にも届いておったぞ!」
「ははっ!恐悦至極にて…」
「よって、波多野上総介、そちを奉公衆に任じ、我が偏諱を与える!これからは『晴通』と名乗れ!」
「はっ!有り難き幸せに御座る!」
ああ、親父感極まって泣いてるよ……俺もこの後泣くことになりそうだけど…
にしてもこの公方空気読まないな。ここにはその俺らに負けた細川氏綱派の人間もいるのに。
「なお、そちの嫡男、千熊丸は我が嫡子、左馬之助(義藤)たっての願いにより、我が偏諱を与え、元服し、これより『波多野孫四郎晴秀』と名乗れ!」
その言葉に周りがざわつき始める。特に細川氏綱派の遊佐長教辺りは目をひん剥いてこっちを見てる…対象的に親父と筑前殿は誇らしそうにこっちを見てるな…
はぁ…だからしたくなかったんだよな…元服…
そう、実は二日前、観音寺城に来た幕臣は俺に対する使者だったのだ。内容は『菊幢丸が俺を元服させようとしており、義晴も乗り気になっている』
とのことだった。しかも若干命令口調だったんだよな…さらに最悪なことにその場にいた親父まで乗り気になって『名誉なことだ。是非受けろ』と言ってくる始末。
そもそも何で元服するのが嫌なのか?いや月代剃りたくないし、そもそもこんなガキが将軍の偏諱貰って元服なんて嫉妬されるに決まってんじゃん!
まあ、幕府の人からも『流石にお前の式は略式で済ませるので月代は剃らなくて良い』とのことだったんだけどさ…
もっとも、そんな不満はおくびにも出さず
「はっ!有り難き幸せに存じまする!」
と言い、涙まで流して喜んだフリをした。側から見たら感動してる様に見えるだろうけど実際は泣き笑いだよ!悲しみを隠してる方のな!!
しかもこの後義晴、義藤親子との謁見まで控えてるんだよな…
はぁ…本当に憂鬱…




