62.夢の向こうで待つ
翌朝、私は寝不足のまま学院へ向かった。
マシュルがすでに、教室で私を待っていた。彼は測定器を抱えていて、私を見るなり真剣な顔で言った。
「おはよう。・・・データ、出たよ」
その声に、私は頷く。
ライドたちはまだ登校しておらず、教室は静かだった。
マシュルがそっと机に装置を置き、記録紙を取り出す。薄いグラフ用紙には、脳波と魔力波の二重の記録が刻まれていた。
「これ・・・通常の睡眠時の魔力波と違う。夢の終盤、急激に濃度が上昇してる。それも・・・この数値は、常識を超えてる」
こういうグラフのことは、私はよくわからない。けど、彼の指がさす赤い線が示しているものが、異常とも言える魔力の急上昇の記録であることはわかった。
「しかもな、ただの魔力量の増大じゃない。精神系の魔法特有の、“位相ゆらぎ”ってのが出てる。つまるところ・・・外部からの精神干渉があった可能性がある」
「外部からの?つまり、夢の中に何かが・・・?」
「そうだな。“誰か”じゃなく、“何か”だ。これは対話じゃない、侵入だよ」
私は息を呑んだ。
記録が、それを裏付けている。・・・私は、夢を見たのではない。夢の“奥”に引き込まれたのだ。
そして、サラも。
「・・・この記録、保存しておいて。今後も同じ装置を使って、夢を観測していきたい」
「もちろん。でも、アリア・・・本気でやるつもりか?」
「うん。あの“扉”が何かはわからない。でも、放っておけば・・・サラは本当に、あの中に飲み込まれてしまう」
私は迷いなく答えた。
マシュルは少しだけ口を引き結んで、それでも頷いてくれた。
「・・・なら、おれも手伝う。正直怖いけど、おまえが嘘を言ってるようには思えないからな」
「ありがとう、マシュル」
それから少しして、シルフィンとライドが登校してきた。私はすぐに呼び止め、昨日の話を簡潔に伝えた。
夢のこと、記録のこと、サラの様子についても。
「・・・精神干渉、か」
ライドが顎に手を当て、難しい顔をした。
「僕は雷属性だから詳しくはないけど・・・炎で精神に触れる魔法って、あんまり聞かないな。しかも“夢”ってのは、記録が難しいっても聞く。危ない橋だぜ、アリア」
「わかってる。でも、見捨てるわけにはいかない」
私はそう言い切る。
シルフィンはしばらく黙って私を見ていたが、やがて小さく頷いた。
「なら、私も協力するよ。っていうか、そうしなかったらサラが危ないだけでしょ」
「・・・!ありがとう!」
とは言ったものの、サラに直接問いただすことはまだできない。
彼女を刺激すれば、あの“扉”をさらに開かせてしまうかもしれないから。
だから私たちは、記録と証明で少しずつ真実に近づいていく他にない。
その日の放課後、マシュルが学院図書館で旧魔導測定の専門書を借りてきてくれた。
ライドは精神干渉に関連した事件記録を調べ、シルフィンはサラの周囲で何か不審な出来事が起きていないか、生徒たちにさりげなく聞いてまわってくれた。
私も、再び夢の中でサラに会う準備を始める。
だが、その夜は夢を見なかった。
眠りは深く、穏やかだったはずなのに、何も現れず、何も感じなかった。
ただひとつ覚えていたのは、静寂の向こうで誰かの声が微かに囁いていたこと。
・・・「ま・・・せ・・・」
それがサラの声だったかどうか、確かめることはできなかった。
次の日も、サラは普段と変わらない顔で教室に現れた。
笑顔を浮かべて「おはようございます」と挨拶し、机に着くと静かにノートを開く。誰とも特別に親しいわけではない彼女のその振る舞いは、いつも通りといえばそれまでだけど──。
私はもう、彼女の“平常”が本物かどうかを信じきれなくなっていた。
昼休み、シルフィンがそっと私に耳打ちした。
「サラの家、鍵が壊れてるらしくて・・・本人は平気みたいだけど、ちょっと心配だよね」
「・・・誰かが、出入りしてるかもしれないってこと?」
「わかんない。でも、昔からそうなんだって。本人は気にしてないみたいだけど」
サラは、自分の異変に気づいていないのか。それとも、気づいていて隠しているのか。
私は放課後、再びマシュルとともに魔力波の測定を試みた。今度は私ではなく、サラに仕掛けを向けるつもりだった。
もちろん、正面からやるわけにはいかない。彼女に不信感を与えないように、ほんの僅かな検出装置を、彼女の机の近くに設置する。
それだけでも、夢を通じた“あの領域”との干渉があれば、何かしらの兆候が現れるはずだった。
そしてその夜、私は夢を見た。
──赤く、どこまでも赤く染まる、燃えさかる空間。
だけどそれは、炎ではなかった。ただの熱でもない。精神を焼き尽くすような“赤”だった。
私は、その中心に立つ少女を見た。
赤い髪。赤い瞳。いや、それは──。
「・・・サラ?」
その子は、私に背を向けたまま、何かを抱えていた。
小さな、黒い箱のようなもの。
いや、違う。“扉”だ。
あのとき夢の中で見た、開きかけた扉。それと同じものが、彼女の腕の中にある。
まるで大事なものを守るように、強く、強く抱きしめている。
私は彼女に駆け寄ろうとした。でも、足が動かない。
何かが私の足を、感情を、記憶を縛っていた。声も、出せなかった。
そしてそのとき、少女がゆっくりと振り向いた。
その顔は、サラではなかった。
いや──サラであって、サラではない、“何か”だった。
それが笑った。
「・・・もうすぐ、開くよ。お前も、来るんだよね?」
私は目を覚ました。冷や汗が背中を濡らしていた。
窓の外はまだ深い夜の色だった。けれど、私は胸騒ぎを覚えた。
──何かが、現実に侵食してきている。
サラの中にある“扉”は、もう夢だけのものじゃない。




