200.首都エルヴァルド
遠く、波の音が聞こえた気がした。
空を見上げると、雲ひとつない青が広がっていた。
転移の光の先にあったのは──見たことのない水の国、ミフィアだった。
私たちが降り立ったのは、首都エルヴァルドの中央広場。
大理石のような白い石で舗装された地面には、淡く青い魔法陣が浮かんでいた。今まさに、私たちを運んできた転移陣の跡だ。
周囲には、青や銀を基調にした建物が並んでいる。
どの屋根にも水を溜める装置のようなものがついていて、いくつかはそこから水が流れ落ちて、小さな水路へと注がれていた。
足元を見下ろすと、透明なガラスの板のような道の中に、淡い光を放つ水が走っている。
まるで、都市全体が“水”で呼吸しているみたいだった。
「・・・すごい・・・」
サラが、呆けたように声を漏らした。
彼女の目は、遠くにそびえる透明な塔に向けられていた。
光を受けてきらきらと輝くその塔は、どうやらこの国の魔法水源の中枢らしく、周囲の水脈すべてがそこから伸びているようだった。
「ここが、ミフィア・・・」
ノエルも、荷物を下ろて見回している。
彼女はわりと情報屋なので、知識はあるらしいけれど、実際に来たのは初めてみたいだった。
「空気が、全然違うね。湿度はあるのに、重くない・・・」
私は思わずそう呟いていた。
水の気配は濃いはずなのに、それが体を包み込むような心地よさになっている。
おそらくこれは、国全体に張り巡らされた水魔法の効果だろう。
至るところに、水を循環させる魔法陣や、空気中の湿度を調整する結界が組み込まれている。
道沿いに並ぶ草花さえ、露を帯びながらも枯れることなく生き生きとしているのがわかる。
これなら、夏場もそこまで暑くないかもしれないな、と思ってしまった。
「ミフィアはね、シェルが“整えた”国なのよ」
隣で母──セリエナが、ふっと微笑んだ。
「“清澄の女帝”って呼ばれているけれど、彼女がしているのは支配じゃない。癒しと調和。水を使って、この国を『生かして』きたの」
その言葉には、どこか懐かしさの滲む響きがあった。
「そういえば・・・母さんはその“女帝”と知り合いだったよね?」
私がそう尋ねると、母は少し目を細めて──それから、短く笑った。
「ええ。彼女は、かつて私と共に戦った水の大魔女で、ゼスメリア時代の後輩でもあるの。私より、二つ年下だったかしら。・・・昔は、よく図書館でお互いの研究ノートを見せ合っていたものよ」
「えっ、そんなに仲良しだったの!?」
思わず驚く私の横で、ノエルが苦笑いする。
「そんな人が作った図書館が、エルヴァルドにもあるってことですね。相当な情報が集まってるんだろうなあ・・・私も楽しみです」
私は、街の空気を胸いっぱいに吸い込んだ。
この国の匂いは、潮と、水の魔力と、何か──懐かしいような、やさしい何かに満ちていた。
いよいよ、旅が始まったのだと実感する。
レフェとは全く違う世界。
見知らぬ土地、見知らぬ人々、でもそこにある確かな“生”。
私は、この足で踏みしめて進んでいく。
何があっても、自分の意志で選んでいくために。
「──行こう。私たちの旅は、ここから本当の意味で始まるんだ」
そう呟いた私の背中に、そっと母の手が触れた。
あたたかくて、強くて、そしてどこか寂しさのある手。
「アリア、何があっても・・・自分を見失わないでね。過去を背負っても、未来はあなたのものだから」
私はうなずいた。
もう、過去だけを見てはいない──ずっと前から、そうなのだが。
前を向いて、進んでいく。
旅の先に待つ、まだ知らない「答え」のために。




