189.満月に備えて
シルフィンは、占星術の塔から直接、学院長室へと足を運んだ。
私と、後からやってきた二人のうちノエルはその後ろについていったが、サラは沈黙したまま空を見上げていた。
その瞳の奥には、微かな不安が滲んでいた。
彼女もきっと、あの星のことが気になっていたのだろう。
学院長室の扉をノックすると、中から落ち着いた声が返ってきた。
「入りなさい」
重厚な扉を開けると、室内ではソリス学院長が書類をまとめていた。
いつもと変わらぬ威厳をたたえたその表情に、シルフィンはほんの一瞬だけ迷いを見せたように思えた。けれど、すぐにその瞳に迷いはなくなった。
「学院長。お時間をいただいてすみません。急ぎ、お伝えしなければならないことがあります」
学院長は目を細め、椅子に背を預けながら頷いた。
「わかりました。話しなさい、シルフィン」
シルフィンは懐から数枚の文献と、自ら記録した観測ノートを取り出して机の上に並べた。
「今回、王城を襲ったもの──あれは、古い文献に記されている“星霊”と呼ばれる存在である可能性が高いです。そして、星霊は突発的に現れるのではなく、星と月の脈動に応じて周期的に顕現する性質を持っていると考えられます」
学院長の指が、机の上に並べられた文献に触れた。
視線が細かい文字を追い、無言のまま読み進める。その顔に、徐々に緊張の色が走っていくのが分かった。
「・・・なるほど。しかし、それはあくまで推測に過ぎないのでは?」
「ええ、確かに“現代における証明”という意味では、まだ観測例が少なすぎます。ですが──」
シルフィンは、力強く言葉を継いだ。
「文献と、昨日の星の光の波長。そして星霊の出現時間帯、さらに月の位相。これらが完全に一致していました。そして・・・次の満月の日、それらの条件が再び揃います」
静寂が訪れた。
ソリス学院長は、長い沈黙のあとで、再びシルフィンを見た。
「それは、具体的に何日後か分かりますか?」
「はい。ちょうど、七日後──来週の火曜日の夜です」
再び室内が静まり返る。けれど、それは不安からではなく、学院長が深く思考している時間だった。
そして──やがて彼女は静かに立ち上がった。
「・・・分かりました。全校生徒および教員に告知を出し、来週の火曜日を臨時休校とします。生徒たちには、自宅または安全な場所で待機するようにと伝えておきましょう」
「ありがとうございます」
シルフィンだけでなく、私も声を上げていた。
学院長が、いち生徒に過ぎないシルフィンの言葉を「予言」や「冗談」としてではなく、「事実に基づく警告」として受け入れてくれた。
そのことが、私はとても嬉しかった。
「軽々しく決断したわけではありません」
学院長先生は、私たちに背を向けたまま窓の外を見た。
「ゼスメリアに集う生徒たちは、いずれこの国・・・ひいては、大陸を支える存在になる者たちです。だからこそ、その命を賭けさせるような危機には・・・事前に備えなければなりません」
私はその言葉を聞きながら、胸の内が熱くなるのを感じた。
この学院は、決して私たちを“ただの生徒”として扱ってはいない。だからこそ、私たちもまた、“ただの生徒”でいるつもりはなかった。
「シルフィン。・・・ありがとう」
学院長がそう告げたとき、シルフィンの目に一瞬だけ、緊張のほぐれた笑みが浮かんだ。
「とんでもありません。しかし、これはあくまで始まりにすぎません。次に備えるには、もっと正確なデータが必要です。私は、まだまだ調べるつもりです」
「結構です。あなたの目は、私の目には見えぬ“空”を教えてくれますから」
こうして──ゼスメリア魔法学院は、“来たる満月の夜”に備えることを決意した。
学院が、静かに災厄に備え始めた。
それは、星々の囁きに応える第一歩だった。




