182.忘却を拒む魂の灯
影が、音もなく迫る。
その数は、増えていく一方だった。
彼らには意志がない。名前もない。
ただ、“存在を否定する”という命令だけが刻まれているようだった。
(こんなものに・・・シルフィンを渡せるものですか!)
私の掌の炎は、音を立てるように膨れ上がる。
だがそれに比例するように、心の奥で鋭い痛みが走った。
まるで魂が削られていくような苦しみ。
“深紅の火”は、使えば使うほど、持ち主の記憶と感情を燃やしていく。
──それは、かつて彼女が、誰かを守るために払った代償。
そして今、私が受け継いだ痛み。
でも──。
「構わない・・・私はもう、怖くない!」
叫びと共に、私は炎を放つ。
火線が奔り、番人たちを貫いた。
無音の空間に、はじめて“拒絶”のような波動が走る。
影の輪郭が、炎に触れて揺らぎ──だが、すぐに再生する。
まるで時間そのものを巻き戻すように、元の姿を取り戻していく。
(効いている・・・でも、足りない)
私は奥歯を噛みしめた。
棺の中のシルフィンは、まだ目を覚まさない。
(もっと・・・もっと、届かせなくちゃ・・・!)
力だけじゃ、届かない。
必要なのは、“想い”。
私は炎に、私自身の記憶を重ねていく。
入学当日出会った時のこと。抱きしめられた温もり。
一緒に笑った午後の光。
「アリアなら、大丈夫だよ」と囁いてくれた、あの声。
私は、その全てを──“深紅の火”に込めた。
「私は・・・忘れない。絶対に!」
叫びが響く。
その声が空間を震わせ、番人たちの影に裂け目を生じさせた。
一体が崩れ──音もなく、消える。
私は思わず、息を呑んだ。
今の一撃。力ではなく、“記憶”で撃ち抜いた。
「そうか・・・これが、“魂の火”・・・!」
ただ、燃やすだけではない。
ただ、破壊するだけでもない。
「想いを灯す」ための炎。
それこそが、フィアが本当に伝えたかった“炎の在り方”。
私は、もう一度炎を掲げた。
涙が滲む。でも、不思議と、笑みがこぼれていた。
「あなたたちが何者でも、私には関係ない。私は──友達を助けに来ただけ!」
その瞬間、炎が変わる。
紅でもない。
金でもない。
澄んだ橙色の、新しい光。
──それは、私だけの“魂の色”。
その炎が灯ったとき、“沈黙の檻”が鳴いた。
番人たちが一斉に震え、後退する。
世界の“修正”が揺らいだ証。
それでも、私は前に出た。
誰もいない。誰も助けてくれない。
でも──私は、ひとりで抗う。
“忘れられた友”を救うために。
“失われる運命”に抗うために。
孤独な戦いの炎は、沈黙の闇を確かに照らしていた。
私は進む。
番人たちは、波のように立ちはだかる。
けれど、もう私は恐れなかった。
この橙の炎は、“私のための力”だと知っている。
私は──“想いを灯す魔女”。
忘れられた存在を、私の記憶で照らすために、ここにいる。
「どいて・・・!」
掌を突き出す。
炎が広がり、静寂を焼き尽くしてゆく。
番人たちは抗うように前へ出る。
けれど、私の炎に触れるたび、その輪郭は曇り、滲み、ひび割れていく。
胸の奥に、響くものがあった。
もっと深く──もっと昔から、私を見ていた何か。
(これは、私だけの力じゃない)
私の“記憶”に共鳴するように、誰かの“祈り”が重なっていく。
(フィア・・・)
──いいえ、違う。彼女だけじゃない。
この世界で、“消された誰か”たちの痛みと願いが、名もなく、声もなく──
私の炎に、集まってきていた。
「・・・そうだよね。私も、あなたたちも・・・誰にも忘れられたくなかったよね」
その言葉に、番人たちの足が止まった。
ひとつ、またひとつ。
静かに、炎に包まれて消えていく。
彼らは、戦っていたのではなかった。
ただ、“役割”を遂行していただけ。
だが、その根源に触れたとき──炎は、破壊ではなく、赦しをもたらした。
(もう・・・いいんだよ)
私の中の炎が、そう語るようだった。
この場所も、番人たちも、“存在を消された者”さえも──
否定するためにあるのではない。
「私は、灯したい。全部、忘れたくない・・・!」
最後の番人が、静かに炎の中に溶けていく。
黒い外套が、空気にほどけて、灰となって消えた。
──そして、“沈黙の檻”が崩れ始めた。
「・・・!」
空間が軋み、回廊が崩れ、記憶の残滓が空の狭間へと吸い込まれていく。
私は、走った。
棺──彼女のもとへ。
光が、眠る彼女を照らしていた。
その顔は穏やかで、色を取り戻しつつあった。
「シルフィン・・・!」
名前を呼ぶ。
震える手で、硝子の面に触れる。
──トクン、と。
私の胸の炎と、彼女の胸の奥にある何かが、重なった。
確かに、鼓動が返ってくる。
(・・・生きてる)
涙があふれそうだった。
「・・・ごめん。遅くなって、ごめんね」
そのとき。
シルフィンのまぶたが、わずかに揺れた。
薄く開いた瞳が、ぼんやりと私を映す。
その瞳に、涙が浮かんでいた気がした。
「・・・アリア・・・?」
「うん・・・私だよ」
私の炎が、彼女の中にも灯る。
もう、世界がどう言おうと関係ない。
私が、彼女を“知っている”。
それだけで、彼女は、ここに“在る”。
──“沈黙の檻”は崩れ去る。
だがその中心には、確かに。
“ふたりの炎”が、静かに、寄り添っていた。




