174.静かなる灯火たち
季節は冬に入り、学院にも静かな白が降り積もった。
早朝の構内は、吐く息が白く染まるほどの寒さだったが、生徒たちはみな、最後の季節を思い思いに過ごしていた。
雪がやんだ午後、私はノエルとふたりで、校庭の並木道を歩いた。
言葉は交わさなかった。 けれど、不思議とそれが心地よかった。
あのときの夢──前世の記憶から目覚めて以来、私は自分の中にある「何か」が、少しずつ溶けていくのを感じていた。
ノエルの足取りは静かで、けれど確かだった。 私の隣に寄り添うその存在が、「今を生きている」という実感を、そっと胸に灯してくれる。
過去の呪いに縛られていた私は、いま確かに、未来に向かって歩いている。
それだけで、十分だった。
その週末、学院の大広間では、生徒による卒業記念の「魔法公演」が開かれた。
ティナが、その舞台の主役だった。
彼女の光魔法は、決して派手ではなかった。 けれど、あたたかく、やさしく、心の奥にまで届くような煌めきを持っていた。
光の粒が舞い、天井から降る雪のように空間を照らす。 まるで記憶そのものに触れるような、やさしい魔法。
私は、思わず涙をこぼしていた。
とても綺麗で・・・冬の冷たい空気を暖めるような魔法だった。
隣で見ていたノエルが、驚いたように私を見つめた。 でも私はただ微笑み、ゆっくりとティナに近づいた。
「ねえ、ティナ」
「・・・うん?」
「あなたの光、きっと誰かの救いになる。今日、それを見て確信したの」
ティナは驚いた顔をしたあと、少しだけ照れたように笑った。
「・・・ありがとう、アリア。私、自信なかったんだ。けど、あなたがそう言ってくれるなら──信じてみる」
言葉はそれだけだったけど、彼女の魔法は間違いなく、この学院の最後の冬を照らしていた。
それから数日後の午後、私たちだけで小さな“お別れ会”を開こうという話が持ち上がった。
卒業までにはまだ間があるけれど──それでも、ふとした拍子に「いま」しかないような気がして、私は自然と頷いていた。
場所に選んだのは、校舎二階の西にある、今はもう使われなくなった実習室の一角だった。
古びた木製の机を寄せ合い、みんなで持ち寄った布を敷いて、花飾りや果物、焼き菓子を並べていく。
装飾はどこか拙いものだったけれど、それがむしろ心地よかった。
外は雪が降り出していて、窓ガラスの向こうには白い世界が静かに広がっていた。
その中で、サラが両手で小さな包みを抱えて現れた。
「焼きたて・・・ってほどでもないんですけど、ちゃんと冷めないように包んできました」
はにかむように笑いながら、テーブルの真ん中にパイの皿を置くサラ。
その指先は少し赤くなっていて、途中まで手袋をせずに持ってきたのだとわかった。
「うわ・・・いい匂い・・・!」
ティナが目を輝かせる。
「中身は、りんごとナッツです。ちょっとだけシナモンも入れました」
「へえ・・・サラ、すごいじゃない」
私はそう言って微笑むと、ふと、その横顔に目を奪われた。
彼女は目を伏せたまま、どこか照れたように、でも確かに“いま”を見つめていた。
ああ、と思った。
この子は、ほんの少しだけど、前を向こうとしている。
「・・・私、こんなの初めてです」
ぽつりと、サラが呟いた。
「“楽しい時間”って、夢みたいな気がして・・・でも、こうして・・・笑えるんですね。私も」
その声はちょっと震えていたけど、しっかりと自分の足で立とうとする意志があった。
私は、ノエルと視線を交わした。
言葉はなかったが、彼女もまた同じ思いを抱いていることが伝わってきた。
──悪夢の中にいた少女が、いま、笑っている。
それは奇跡なんかじゃない。 時間をかけて、少しずつ積み上げてきた信頼とぬくもりの積層だ。
私たちは確かに彼女を知り、手を伸ばし、共にここまで歩いてきた。
そのすべてが、今日この場所で結ばれている。
私はそっと、手を胸にあてた。
この子を守る・・・何があっても。
たとえどんな困難が待ち受けていようと──この笑顔を、二度と曇らせたりはしない。
ノエルもまた、同じ誓いを胸に抱いているのだと、私は信じていた。
窓の外は、雪。
静かな白が降り積もっていく。
温かい部屋の中、仲間たちの声が響く。
笑い声と、ちょっとしたおしゃべり。紅茶の湯気。手作りの味。
どれもが、いつか過ぎ去ってしまう一瞬のものなのかもしれない。
けれど──それでもいい。
この冬、この時間、この空間は、私の中で永遠になるだろう。
旅立ちの日は、もうすぐだ。
でも、私には帰る場所がある。
進む勇気をくれる記憶がある。
──雪のように静かで、光のように優しい、そんな“学院最後の冬”。
それが、私の支えになる。
これからの旅の、道標になる。




