171.旅路を選ぶ時
それから数日が過ぎた。
学院は、徐々にいつもの喧騒を取り戻しつつあった。倒壊した西棟の修復も進み、授業も再開された。
生徒たちの間では、あの魔物の襲撃は、学院を包む結界に何らかの理由で異常が起きたことによるもの・・・すなわち偶然の『事故』と説明され、事件の真相を知る者はごく限られている。
──そして私は今、自宅の窓辺で一人、夜の空を見上げていた。
星々の瞬きが、どこか遠くの呼び声のように感じられる。
サラは、既に眠っているだろう。それとも、今日も遅くまで訓練をしているのだろうか。
私は胸の奥で、ある“決意”をかたちにしようとしていた。
──卒業まで、あと半年。
学院での日々は、思えばあっという間だった。 最初はただ、母に言われるがまま通い、言われるがままに魔法を学んでいた。
だけど、いまの私は違う。
私はこの学院で、前世から続く因縁を断ち切り、“鍵”と出会い、“封印”と“扉”の存在を知り、“選ぶ者”として歩き始めた。
「・・・卒業したら、旅に出ようかな」
つぶやいた声は小さかったけれど、自分の中では、もうずっと前から決まっていたことだった。
この学院では得られないものが、外の世界にはある。
母すら知らない、八つの“封印”の在処。
そして“主”──目覚めを待つ、災厄の邪神。
私はそれを、自分の足で探したい。
他でもない、自分の意志で。
炎の魔力が私に訴えかけているように感じる。
私の中に眠る「深紅の焔」が、もう静かにしていられない、と言っているように。
「終わり」は、静かに迫っているのではなく、むしろこちらに向かって呼びかけてくる。
だけど、それでも私は・・・“選ぶ”。
私の未来を、私自身で。
それは、決して抗えない運命への反抗ではない。運命に“飲み込まれない”という意思。
そして、運命に“抗うのではなく寄り添う”という選択だ。
翌朝・・・私は決意した。卒業までの残り半年、この学院で学べることはすべて学び尽くそうと。
魔法も、歴史も、そして“生き方”も。
そして学院を卒業したら、旅に出る。
世界のどこかにある、封印の痕跡を探して。
その時は、サラと・・・できれば母さんも連れて行きたい。
それが、この“扉”としての役目ならば──私はそれを、使命としてではなく、“希望”として背負いたいと思った。
静かな秋の風が、校舎の窓を揺らしている。
あの日、記録庫で戦った魔物が残した言葉。
──目覚めは始まっている。
でも、それと同時に──私たちの旅も、もう始まっているのかもしれない。
だから私は、焦らない。泣かない。
そして、迷わない。
すべては、未来を“選ぶ”ために。
週明けの昼休み、私は三人を中庭のテーブルに呼び出した。
陽射しは柔らかく、木漏れ日がテーブルを斑に照らしている。
この場所も、私たちにとっては思い出の一つだ。
シルフィン、ライド、マシュル。
いずれもこの学院で出会い、ともに魔法を学び、ともに戦った仲間たち。
──だからこそ、今、話しておきたかった。
「・・・卒業したら、私、旅に出るつもりなの」
そう言った瞬間、三人の手が止まった。
スープのスプーンを握ったままのマシュルが、目を瞬く。
「旅・・・って、封印の?」
私は頷いた。
「うん。記録庫の本には、はっきりとは場所は書かれてなかったけど・・・世界のどこかに、八つの“邪神の封印”が隠されてる。その封印の痕跡を探してみたいの」
「・・・きっと命がけになるぞ、それ」
ライドが、眉を寄せながらも真っ直ぐに言った。
だけど、否定ではなかった。むしろ、真剣に向き合ってくれている証だった。
私は三人の顔を順に見た。
「だから・・・もし、よかったら、一緒に来てほしいって、思って。でも・・・」
シルフィンが、先に静かに口を開いた。
「ごめん、アリア。私・・・卒業したら、魔法薬剤師になるために地方の錬金術院に進む予定なの。今、先生に推薦の話ももらってて」
彼女はどこか申し訳なさそうに目を伏せたが、私は首を振った。
「ううん、謝らないで。シルフィンらしいって思った。魔法薬の研究がしたいって、前から言ってたもんね」
そうだ、彼女は昔から魔法薬や薬草、占星術が好きで、将来的は魔法薬剤師になりたいと言っていた。
その夢を、今も追い続けているんだろう。
「・・・ありがとう」
続いて、ライドがうなずく。
「僕もね、シルフィンの助手をやることにした。彼女の研究は、僕の魔法とも相性がいいと思う。・・・何より、支えたいって思ったから」
「・・・そうなんだ。うん、ライドも“選んだ”んだね」
最後にマシュルが、苦笑交じりに肩をすくめた。
「おれは、王都の魔法大学に行くよ。水魔法をもっと研究してみたいんだ。・・・アリアの旅には、きっと直接役に立てないと思う」
「そうか・・・ううん、違うよ。立派に“役に立ってる”。私にこうして、進む勇気をくれたのは、みんななんだから」
私は、はっきりと言った。
少しの沈黙があった後──シルフィンが静かに言った。
「・・・アリア。私たちは一緒には行けないけど、応援してる。あなたの選んだ道が、どんなに険しくても、必ず意味があるって、そう信じてる」
「うん、ありがとう」
私は笑った。そして、心のどこかで覚悟していた“別れ”を、少しだけ受け入れた。
──そして、放課後。
私は、裏庭の訓練場で杖を振るうサラのもとへ向かった。
彼女は、汗に濡れた前髪をかき上げながら、こちらに気づくと小さく手を振った。
「アリアさん。どうかしたんですか?」
「ううん。ちょっと、話があって」
私は傍に腰を下ろし、しばらく無言で風の音を聞いていた。
サラも、何も言わずにそれに寄り添ってくれた。
やがて、私はぽつりとつぶやく。
「・・・卒業したら、旅に出ようと思う。邪神の封印を探す旅。まだ何があるかも分からないけど、行かなきゃいけないって、思ってる」
サラは、ゆっくりとこちらに向き直った。
「・・・一人で、行くんですか?」
「本当は、みんなと行きたかった。でも、それぞれにやりたいことがあって・・・」
私は静かに笑う。
「だから、最後に・・・サラにも、聞いておきたいと思ったの」
一息つき、意を決して・・・告白するように言う。
「──私と一緒に、来てくれる?」
風が、ふたりの間を吹き抜けた。
サラは、少し驚いたように目を瞬き、そして目を閉じた。
やがて、小さく頷いた。
「・・・はい。私も、行きます。だって、私も“鍵”として生まれたから。きっと、それには意味があるはずだから」
私は、思わず彼女の手を取っていた。
「・・・アリアさんがどこへ行こうと、私はついていきます。だって・・・私はあなたを信じてますから」
「ありがとう、サラ。私、あなたが一緒なら、きっとどこまでも行ける気がする」
「・・・はい。私も、そう思います」
夕焼けが、訓練場を赤く染めていた。
深紅の空が、私たちの決意を照らしていた。
──旅立ちの日は、静かに近づいている。
でも、もう怖くない。
“ひとりじゃない”と、思えるから。
遠くで瞬く星々が、私たちの旅を導くように輝いている。
それは、誰かが呼んでいる声。
私たちは、その声に応えるように歩き出す。




