144.闇より来る教師
夏の陽射しが教室の大窓から差し込み、きらきらと机の上を照らしていた。
けれどその暖かさとは裏腹に、ルージュの教室にはどこか妙な緊張感が漂っていた。
「ねえ、聞いた?今日から“特別講師”が来るんだって」
「聞いた聞いた!なんか、ヴィオレと何か関係がある?とかで、すっごく“格”が違うとか・・・」
「ってことは、属性は闇なのかな・・・?」
ざわめく生徒たちの声が交錯する中、私は静かに窓の外に目をやっていた。
空には雲ひとつなく、夏の青さがどこまでも広がっている。
なのに──胸の奥がざわりとざわめいた。
そういえば、今年から授業にある変更があった。
これまでは、生徒が自身の適性属性でない魔法の授業を受けることはあまり推奨されてこなかった。
しかし、今年からはそのような考えが撤廃された。つまり、すべての生徒が魔法の属性への適性に関わらず、好きな授業を受けられるようになったのだ。
それに伴い、特定の属性に特化した「専攻授業」と呼ばれる授業の科目は消滅した。
これにより、これまでいた先生が数人退職し、一方で新たな先生も何人か来ていたのだけど──まさか。
嫌な予感が、頭の隅でずっと鈍く鳴っていた。
そして、そのとき。
「失礼いたします」
教室の扉が、まるで時間を裂くように、音もなく開かれた。
入ってきたのは、黒と紫のドレスを纏ったひとりの女性。背は高く、長く艶やかな黒髪を背に流し、表情には微笑が張りついている。
だが──その笑みはどこか冷たい。
「お静かに。ごきげんよう、ゼスメリアの小さな皆さま」
声は甘やかで優雅。けれどその響きには、底知れぬ“力”と“棘”が含まれていた。
空気がぴり、と震えた気がした。
「私の名は、クラリッサ・アルバート。今学期より“闇魔法概論”を担当させていただきます。以後、お見知りおきを」
教室が一瞬、凍りついたように静まりかえる。
それには、本来の担任であるレシウス先生が来て、新しい先生の紹介をする・・・といういつもの流れにならなかったのもあるだろう。
でも私は、その名前に・・・既視感どころではない、確かな“記憶”を覚えた。
(・・・やっぱり)
私は立ち上がりかけた。
視線が、彼女と真っ直ぐに交差する。
クラリッサは私を見つけると、口元だけで微笑んだ。
「まあ・・・これはこれは。奇遇ですね。アリア・ベルナードさん。あらためて、こうしてお会いできるなんて」
その言葉は、“生徒への挨拶”ではなかった。
数年前の、中庭での出会いを思い出した──
私の母・セリエナを軽蔑の眼差しで語り、ジオルと共に“敵意”を滲ませてきた、あの女。
それが、目の前にいる。
「──お久しぶりです。クラリッサ、先生」
私は、声を震わせないようにだけ注意しながら応じた。
周囲の視線が一斉に私たちに注がれるのを、ひしひしと感じながら。
「ええ、本当に・・・あなたが、どんな“方向”に育ったのか。とても興味がありましたのよ。ふふ、母上に似て、立派なお姿ですこと」
クラリッサは悠然と教壇へ歩み寄り、生徒たちに向き直る。
「さて、皆さん。“闇魔法”と聞いて、怖がる方もいるかもしれません。ですが、闇はただの悪ではありません。光があるから影が生まれるように、世界の真理には両極が必要です。・・・まあ、もはや皆さんには説明不要だったかしら」
それは一見、教育者らしい言葉に聞こえた。
だが私には、そこに別の意味があるのを感じ取っていた。
(──探られている)
私の魔力、感情、すべてを見透かそうとするような眼差し。
それは“教師”という立場ではなく、“敵”の目だ。
そして、彼女は最後にこう続けた。
「・・・本日、私の担当する授業では、生徒の皆さまの“魔力の質”を、簡単な実技を通して拝見いたします。とりわけ、アリアさん──あなたのことは、ぜひ“特別に”拝見したいと存じております」
私は、椅子の下で拳を握りしめた。
──これは、ただの授業なんかじゃない。
私と、母さんの過去が呼び込んだ、新たな試練の幕開けだ。
生徒たちの間に、ひそひそとした空気が流れる。
けれど私は、それに気を払う余裕などなかった。
クラリッサ・アルバート──ジオルの母、そして何より“母の因縁”を抱えた女。
──あの目は、ただの監視じゃない。
私という存在が「敵かどうか」を、値踏みするようか目だ。
この学院に来たのは、偶然なんかじゃない。
(やっぱり・・・私のことを“調べに”来た)
そして、それが単に「母の娘だから」では済まないことも、もう感じ取っていた。
授業が始まり、クラリッサの声が教室を満たしていく。
その語り口は明快で、論理的。知識の深さも圧倒的で、生徒たちは思わず引き込まれていった。
「・・・闇魔法は“奪う”魔法と思われがちですが、真実は異なります。それは、“他者の内側を照らす力”でもあります。その者の恐れ、怒り、欲望、悲しみ──すべてを、影として炙り出す。そのようなものです」
そこで彼女は、ゆっくりとこちらを見た。
「ですから、“闇に染まる”ということは、必ずしも堕落ではありません。──ただし、“受け入れる覚悟”がなければ、喰われるだけです」
その言葉は、まるで私に対する警告のようだった。
(・・・試されてる)
そして授業の終盤、ついに“実技”が始まる。
「さて。あなたたちには、簡単な“闇の視界”の体験をしていただきます。私が提示する魔力の干渉に、どれほど正確に“反応”できるか・・・見させていただきますわ」
生徒たちが順に呼ばれていく中で、私は内心で身構えた。
──そして。
「最後に・・・アリア・ベルナードさん。どうぞ」
その声には、静かだが確かな力が込められていた。
私は席を立ち、教壇の前に出る。
目と目が合う。その瞬間、教室の空気が凍るような感覚があった。
「あなたの内に宿る“炎”──見せていただきますわ。あの方の娘として、どこまで“光”を貫けるか」
私は、ただまっすぐに言い返した。
「見たいと仰るのなら。でも・・・見たものに、責任を持ってくださいね、クラリッサ先生」
その瞬間、私の魔力と、クラリッサの魔力が触れ合った。
これは、授業という名を借りた“開戦”だ。
──母の因縁は、今ここで、私に牙を剥く。




