129.灼き尽くすもの
学院長室の奥、闇に包まれていた空間は、意外なほど整然としていた。
書棚や文書の山、封印された魔道具が秩序立てて並んでいる。
「・・・なんて量の書類なの」
ティナが息を飲み、足早に机の上に積まれた文書へと向かう。
その指先が、いくつものファイルを素早くめくっていくたび、彼女の表情が険しくなっていった。
「これは・・・“適性選抜試験計画案”、それに“儀式候補生の洗い出し”・・・生徒一人ひとりの魔力量、精神的脆弱性、家庭環境まで、全部記録されてる・・・!」
机の奥には、ヴァルグスの直筆と見られるメモが挟まっていた。
『──有望な者ほど、より強い神意に反応する傾向。選抜試験を儀式の前哨とすることで、効率的な素材の抽出が可能』
ティナの顔から血の気が引いた。
「これは・・・完全に黒よ。あの女、やっぱり生徒を“育ててた”んじゃない。”選別してた”のよ、邪神の生贄として、ふさわしいかどうかを・・・!」
「・・・っ!」
ライドが思わず壁を殴りつけた。
石材に小さくひびが入るが、彼の怒りはそれでは収まらない。
「ティナ、これを使って」
私はポーチから取り出した小型の魔法結晶を差し出した。
これは俗に記録機と呼ばれるものの一種で、その場の写真を撮ったり、書類などを中に収納し、保存できる。
前世で言うところのカメラなどに近いか。
まあ、この世界にもカメラはあるのだが。
「ありがとう。これなら、外部に記録を送れるはず・・・!」
ティナはすぐに魔力を集中し、浮かび上がらせた術式を文書の上に展開する。
浮遊する光のレンズが、山積みの書類を次々と記録しはじめた。
──だが、次の瞬間。
「・・・!?おかしい、魔力が・・・逆流して──!」
ティナの術式が歪む。まるで、何かに“呪われて”いるかのように。
「ティナ、下がって!」
ノエルがとっさに土の障壁を展開し、ティナを庇う。だが、文書の山から黒い鎖のような魔力が伸び、レンズごと術式を破壊した。
「記録妨害の封呪・・・!情報を、持ち出すことを封じる魔法が施されてる・・・!」
ティナが歯噛みする。
「なんて周到なの・・・記録機さえ使えないなんて」
私はリーヴァを構えながら言った。
「なら、現物を持ち出すしかない。処分される前に!」
「でも、全部は・・・!」
マシュルが、慌てて周囲を見回す。
「重要そうなものは、何点かこっちで選ぶ!」
ティナがすぐに切り替え、書類の中から重点的な記録を選びはじめる。
そのとき、空間がわずかに揺れた。
微細な魔力の振動──誰かが、こちらに向かっている。
「・・・急ごう。結界を破ったから、向こうにも気づかれたかもしれない」
シルフィンが、静かに言った。
「まだ証拠は足りない。でも、ここまでの記録だけでも、十分告発はできる。あと少し・・・!」
ティナが集中し、選んだファイルを魔導晶に収納する。
そのときだった。部屋の奥、何もなかったはずの空間に、ゆらりと揺れる影が生まれた。
「・・・何か来る!」
その影は、黒い触手のように揺れながら、空中に蠢き始める。
「アリア!止めるわよ!」
母が前に出ようとするが、私は一足先に前に出た。
「ええ・・・言われるまでもないよ、母さん」
誰かの命を喰らうように嗤うその影に、私はリーヴァを向けた。
その黒い影は、ただの魔物ではなかった。
まるで意思を持つように空間を這いまわり、文書の山や魔導具の上を這うたびに、あたりの魔力を濁らせ、腐蝕させていく。
「・・・これ、ただの魔物じゃない・・・!」
ノエルが怯えたように呟く。
その視線の先、黒い影がずるりと壁を這い、歪んだ顔のような“何か”が浮かび上がった。
私は息を呑み、その気配を見つめる。
「──“黒い塵”!」
私が言うと、母もすぐに頷いた。
「ええ、間違いないわ。“黒い塵”・・・邪神の力が、思念として染み出して魔物化したもの」
その言葉に、ティナたちがざわめく。
「邪神の・・・思念体!?そんなの、どうやって・・・!」
「ここの学院長が、それを“飼ってる”のよ。邪神の忠実な下僕、邪なる者として」
母の言葉に、皆が一斉に背筋を正した。
邪神ガラネル、そして邪なる者のことは、この場にいる誰もが知っている。
だが、彼らがこのような存在を使役していることは、私と母以外知らなかっただろう。
「だから記録が妨害されたんだ・・・こいつが、邪魔してたんだ」
私はリーヴァを構え直す。
黒い塵は、気づいたようにこちらへと目を向け──いや、目のような“裂けた穴”を向け、ぞぶり、と音を立てて近づいてきた。
「気をつけて。あれに触れたら、ただでは済まないわ」
母が言い、赤く燃え上がる魔力をその手に灯した。
「なら──燃やそう。焼き尽くそう」
私は同じく、掌に炎を灯す。母の赤と、私の紅が、空中で共鳴するように揺らめいた。
「アリア、合わせましょう」
「うん・・・!」
私と母の魔力が、一点に集中していく。部屋の空気が熱を帯び、黒い塵の動きが鈍る。
「──『紅焔連弾』!」
二人同時に放った炎の奔流が、黒い塵に襲いかかる。
轟音が響き、空間が軋み、灼熱が走る。
黒い塵は悲鳴のような音を立てながら焼かれ、その形を崩していく。
だが──黒い塵は、なおも抗う。
焼かれながらも、触手のような影を伸ばし、母の足元を狙った。
「させない!」
私は即座にリーヴァで薙ぎ払い、残った炎を集中させて叩きつける。
灼熱の斬撃が黒い塵を裂き、中心核を貫いた。
その瞬間、黒い塵は甲高い金属音のような叫び声を残し──崩れ、黒い煤となって床に散った。
しばらくの静寂。
母と私は、火の名残の中で視線を交わす。
「・・・よくやったわ、アリア」
母が微笑みながら、私の肩に手を置いた。
「ありがとう、母さん。でも・・・まだ終わりじゃないよね、本命は、ヴァルグスだもの」
「ええ。あの女を倒さないことには、終わったとは言えないわ」
私たちは改めて前を向く。
まだ、奪われた生徒たちは取り戻せていない。この学院を、そしてこの世界を蝕む“黒い意志”は、まだ根を張っている。
「行こう、みんな。ここからが・・・本当の地獄よ」
そう言って、私は奥の扉──結界の奥の奥へと続く扉に、手をかけた。




