120.小さな約束
試験が終わって数日。学院は、短いけれど確かな「夏休み」に入った。
ゼスメリア魔法学院には寮がないから、生徒たちは皆、各自の家に戻ることになる。
でも──私たちは、どうしてもこの節目を“みんなで”過ごしたかった。
行き先に選ばれたのは、学院から少し離れた森の外れにある、リラエル湖。
木々に囲まれたその場所は、夏でも水が透き通っていて、小鳥のさえずりと涼しい風が心地よい。
「アリア、のんびりしすぎー!先に行くよ!」
湖の浅瀬から、ティナが元気に手を振っている。
私はというと、まだ水際で足を止めていた。
「・・・うーん、やっぱり泳ぎって、ちょっと苦手かも」
水着の肩紐をぎゅっと引き上げながら、独り言をこぼす。
前世──鈴木三春だったころも、あまり泳げなかった。
顔をつけるのすらちょっと怖くて、プールの授業が嫌いだったのをよく覚えてる。
「無理しなくていいよ、アリア。水に足をつけてるだけでも、気持ちいいし」
隣にいたシルフィンが、柔らかく笑った。
白い水着の上から羽織った薄布が風に揺れていて、なんだか大人っぽい。
「もし怖かったら、僕が浮かせ魔法かけてあげようか?」
ライドが浮き輪の代わりに、簡易の魔導浮遊石を差し出してくれた。
水の上にふわりと浮かぶ、魔法で編まれた安全帯。
「おれはもう行くぞー!」
マシュルが水辺を走って、そのままバシャーン!と飛び込んだ。
大きなしぶきに、ティナがきゃっと悲鳴を上げる。
「マシュル! 水、かけすぎ!」
「へへっ、夏はこうじゃないと!」
そんな賑やかな声を聞きながら、私はそっと湖に足を入れてみた。
ひんやりしてて、でも・・・悪くない。
「ね、アリア。ほら、手。行こっ?」
ティナがいつの間にか戻ってきて、私に手を差し伸べていた。
ためらっていた気持ちが、するりと溶けていく。
「うん・・・ちょっとだけ、ね」
私は頷いて、その手を取った。
リーヴァは今日は持ってきていない。母さんと一緒に、再調整のために魔力工房へ預けてきた。
あの杖──私と一緒に、生まれ変わってくれたリーヴァ。
きっと今も、静かに私の魔力を感じてくれている。
「ふふっ、なんかアリア、ちょっと嬉しそう」
「・・・うん。たぶん、嬉しいんだと思う」
前世では、こういう時間ってあまりなかった。
遊びの最中も、どこか“正しくいなきゃ”って思ってた。
でも今は──そうじゃない。
「アリアー、こっちまでおいでよー!」
先に泳ぎ出したシルフィンが、湖の真ん中あたりで手を振っていた。
「・・・よしっ」
私は小さく息を吐いて、一歩、また一歩と湖の中へ入っていく。
水の中は冷たくて、でもそれ以上に、心の奥がじんわりあたたかかった。
湖の向こうには青い空が広がっていて、雲が少しだけ、秋を感じさせる形をしていた。
ひとしきり遊んだあとは、みんな湖畔の木陰に集まって、それぞれ思い思いにくつろいでいた。昼寝したり、持ち寄った果物をかじったり、夏の空気をのんびりと楽しんでいる。
私はそっとその輪を抜け出し、湖の反対側にある小さな岩場に腰を下ろした。
水面は夕陽を映して、金と青が混ざりあったように揺れている。足をそっと水に浸すと、冷たさが心地よかった。
「アリア、ここにいたんだ」
振り返ると、シルフィンがタオルを肩にかけたまま歩いてきた。濡れた髪を無造作に後ろで束ね直して、私の隣に腰を下ろす。
「うん。ちょっと静かにしてたくなって」
「分かる。ここ、風の音と水の音が心に優しいから」
二人並んで湖を見つめていると、不思議なくらい言葉が自然に浮かぶ。
「今日、すごく楽しかったね」
「うん。・・・こういうの、ずっと続いてくれたらいいのにって思っちゃう」
そう言って、シルフィンが小さく笑った。風が白い羽織を揺らし、彼女の横顔をやわらかく照らしていた。
「・・・ねえ、アリア」
「ん?」
「私ね、将来は魔法薬剤師になりたいの」
その声は湖のさざ波よりも静かで、でも芯の通った響きを持っていた。
「薬草を育てたり、調合したりするのがずっと好きだったんだ。小さい頃に母からもらった占星盤で星の流れを見るようになって・・・それが今でも続いてる」
「占星術と薬草って、なんか似合うね。シルフィンらしい」
「ふふ、ありがとう。どっちも、魔力の流れや人の気持ちとつながってるから好きなの。薬ってね、ただ効くだけじゃないんだ。使う人の心に寄り添えるものを作りたいって思ってる」
「・・・それ、すごくいいね」
私は頷いた。
彼女の魔法は、時折誰かにやさしく届いているような気がしていたが、その理由がようやく分かった気がした。
「アリアは・・・どうしたいの?」
その問いに、私は少しだけ黙った。
母さんと過ごした時間。試験の日に交わした想い。壊れかけたリーヴァが、もう一度応えてくれたこと。
「まだはっきりとは言えないけど・・・でも、守れる人になりたい。誰かの『大事なもの』を、失わせない力がほしいって思う」
シルフィンがそっと微笑んだ。
「・・・アリアらしい」
「そうかな」
「うん。ね、もし私が薬を調合して、どこか遠くへ届ける仕事をしてたら──」
「うん?」
「そのとき、アリアが護衛になってくれたら安心かも。すっごく、頼りになるし」
私は思わず吹き出した。
「そっかぁ。じゃあ、契約料は高めに設定しておこうかな?」
「ええっ、値引きなし? 友達割とか・・・」
「ふふ、気が向いたら考えるよ」
二人で笑いあった。
日差しは少しずつ傾いて、湖面がきらきらと黄金色に染まっていく。
遠くからティナの笑い声と、マシュルの「焚き火できたぞー!」という声が届いた。
「・・・そろそろ戻ろっか」
「うん。ありがとう、アリア。今日、一緒にいてくれて」
「こちらこそ。楽しかった」
二人で立ち上がり、濡れた足をタオルでぬぐいながら、シルフィンがふとつぶやいた。
「未来って、たぶんこういうふうにできていくんだろうね。誰かと話して、少しずつ、気持ちを重ねて」
「うん。そう思う」
そよ風が私たちの髪をやさしく撫でる。 その手触りは、あの日リーヴァが揺れた時と同じ──静かで、でも確かに“今”に繋がっているものだった。




