118.リーヴァと影の羽
夏の朝は、いつもより早く空を明るく染める。
今日は、いよいよやってきた試験本番。
ゼスメリアの中央演習場は、まるで一国の祭礼でも始まるかのような熱気に包まれていた。
白い幕で囲まれた広場の奥には、試験官用の高台が設けられ、その周囲には見学に訪れた生徒たちの姿もちらほら見える。
「緊張してるか?」
控え区画のテントで、マシュルが腕を組んで立っていた。だがその口元は少しひきつっている。
「・・・正直、おれ、さっきから三回深呼吸した」
「それで落ち着いたの?」
「まったく。今ので四回目」
思わず私は吹き出しそうになりかけるが、ぐっとこらえた。笑うには、まだ早すぎる。
「アリア、こっち」
シルフィンが呼ぶと、ティナとノエルもすでに集合していた。彼女たちの装備は軽装ながら、各自の属性に合わせた補助結晶が備えられていて、まさに“実戦”の構えだ。
「改めて確認。今回の試験、内容は“複合遺跡における調査と討伐”。時間内に拠点へ到達し、指定魔物を討伐して帰還するのが目標」
ライドが端末を見ながら説明を始める。彼は冷静だ。緊張もあるはずなのに、いつも通りのトーンで話すその姿に、私たちは自然と安心する。
「地図は支給されるけど、魔力干渉のせいで視認は限定的。索敵は僕とティナに任せて。アリアとシルフィンは攻撃担当、ノエルは援護と結界展開だ」
「了解」
それぞれが頷いた。
私の手の中で、リーヴァが微かに震えた。これは恐れじゃない。むしろ、期待──私の中の炎が、扉の向こうで待つ“未知”にうずうずしているのだ。
「あと十分で出発ね」
ティナが時計を確認する。その瞬間、空に鐘の音が鳴り響いた。
試験、開始の合図。
控え区画の幕が開き、陽の光が差し込んだ。蒸した夏の匂い、遠くの鳥の鳴き声、そして観覧席からのざわめき。それらすべてが、現実の重みとして私たちの肩にのしかかる。
「さあ、行こうか。燃やしに行こう、今年の夏」
私がそう言うと、マシュルが大きく手を叩いた。
「いいぞ、アリア!やる気出てきた!よっしゃ、燃やすぞぉぉぉ!!」
「・・・マシュル、それ違う意味になってるわよ」
ノエルがため息をつき、皆が少しだけ笑う。 それでも、その笑顔は確かだった。
恐れではなく、自信。自分の力を信じ、仲間を信じることでしか生まれない、静かな決意。
「じゃ、行こう。これが、私たちの第一歩になる」
私は、仲間たちと共に試験場への扉をくぐった。
眩しい夏の光の向こうに、私たちの答えがある。
演習場の外れにある遺跡エリア──今回の試験の舞台は、過去に別の場所で発掘された「魔力汚染区域」を魔法で再現したエリアだった。
苔むした石壁と、今にも崩れそうな古い塔。そこに漂う、わずかに刺すような魔力の気配。
時間とともに沈殿した“濁り”の中を、私たちは進んでいく。
「空気が重い・・・魔力の流れが乱れてるわね」
ノエルが結界用の水晶を手に、顔をしかめる。
「進行方向、微かに熱反応。魔物の痕跡があるよ」
ティナが索敵用の光結晶をかざすと、淡い光が前方を照らした。
そこに浮かび上がったのは、地に染みついた焦げ跡と、乾いた羽根のような黒い破片。
「・・・火属性の痕跡。最近、誰か戦った?」
シルフィンが私の方を見る。
「わからない。でも、進むしかない」
私たちは、警戒しながら奥へ進んだ。
──やがて、開けた広間に出た。
そこには、濁った魔力の中心があった。
「出るぞ!」
マシュルが叫ぶと同時に、足元の魔方陣が淡く輝き、煙のような影が地面から立ち上る。
それは形を取るごとに、大型の羽虫のような外殻をまとい──まるで“影の羽獣”だった。
「討伐対象──『ワルム・フォッサ』!距離、十五!」
ライドが叫ぶ。即座に全員が展開へと移る。
「ノエル、結界!」
「張った!」
ティナの前に展開された光の盾が、羽獣の衝撃波を受け止める。
その間に、ノエルが土の塊を召喚し、地面から杭を突き出した。
「足止めする──!」
杭が命中し、羽獣の動きが一瞬鈍る。
「今よ、アリア!」
「よし!・・・燃え上がれ!」
私は杖を振り上げ、リーヴァに魔力を集中させる。
炎は直線となり、杭に縛られた羽獣の胸部に一直線に叩き込まれた。
だが──それは難なく跳ね返された。
「っ・・・固い!」
黒い羽がうねり、反撃の風圧が襲いかかる。
ティナが素早く結界で受け止め、次の瞬間──
「アリア、交代!私が行く!」
シルフィンが滑り込む。
彼女の手から放たれたのは、低温で舞う“拘束炎”。
それは足元を円を描くように走り、羽獣の動きを封じていく。
「マシュル、頭を叩ける?」
「やってやるよ!」
マシュルが跳躍し、拳に圧縮した水塊を纏わせる。
そして、羽獣の頭部に一撃。
粉塵が舞い、羽が砕け飛ぶ。
「今度こそ──リーヴァ、行くよ!」
私は全魔力をこめて炎を放った。
今度は、跳ね返されない。砕けた羽の隙間をすり抜け、炎が核心へ届く──!
「──撃破、確認!」
ライドの声と同時に、羽獣は魔力の塊を残して崩れ落ちた。
静寂が戻る。
息を呑んで、私は杖を下ろした。
まだ、鼓動が速い。でも──怖くなかった。
「・・・全員、無事?」
「問題なし。おれはちょっと、腹が減ったけど」
「マシュル、それはいつものことでしょ」
ティナがあきれたように言い、シルフィンが静かに微笑む。
「──でも、うまくいったね」
「うん。誰も欠けずに、勝てた」
その瞬間、持たされていた端末が同時に点滅した。
《試験成功──拠点帰還可能》
「・・・終わった、のか」
ノエルが小さく息をつく。
「いや、始まったんだろ」
ライドが言う。
「ここからが、“次のステージ”だよ」
私たちは顔を見合わせ──そして、笑った。
この夏、私たちは確かにひとつになった。
名前を持った炎、支え合う風、響き合う光、護りの水、揺るがぬ大地。
全ての力が重なり合って、一つの“勝利”を手にした。
──これは、始まりにすぎない。
でもきっと、何年経っても忘れない。
この夏の、輝きだけは。




