117.チームという魔法
翌朝、空は高く澄みわたり、訓練場の上空には薄く雲がたなびいていた。
昨日より少しだけ風が強くて、でもその風も、私にはどこか心地よかった。
私は、少し早めに訓練場へ向かった。
・・・というより、たぶん、待っていたのかもしれない。誰かを。
案の定、広場の端に彼女の姿があった。
シルフィンは、私より先に来ていたらしく、まだ誰もいない石畳の中心で、ひとり小さく炎を灯していた。
「おはよう、シルフィン」
声をかけると、彼女は驚いたように顔を上げ──そして、ふっと笑った。
「・・・早いね、アリア」
「うん。今日は、シルフィンの“火”が見たいと思って」
シルフィンは少し目を伏せ、それから手のひらに浮かべた炎に視線を落とした。
「・・・やっぱり、変だって思われるかもしれないけど、私の火って・・・”静か”なんだ。燃やすよりも、支えるようにって、いつもそう意識してしまう」
「それでいいと思う」
私はリーヴァを握ったまま、彼女の隣に立った。
「力強い炎ばかりじゃ、きっとチームとしてのバランスは崩れる。シルフィンの火が、私たちを“整えてくれる”って、ライドも言ってたよ」
「・・・ライドが?」
「うん。“風を読む火”って。ちゃんと周囲を見て動ける火って、彼、すごく感心してた」
シルフィンは、ぽつりと呟いた。
「・・・そういうこと言ってくれるの、昔から変わらないね」
「昔?」
私が問いかけると、シルフィンは少しだけ遠くを見るような目になった。
「アリア、覚えてる?入学してすぐの頃、私、魔力の暴走を怖がって、実技の授業、ぜんぜん参加できなかった時期・・・」
そういえば、そんな時期があった。
入学して間もないころ、シルフィンは魔力の暴走を恐れ、実技の授業に参加するのを渋っていた。
実際には彼女ではなく、それまで魔力の暴走など考えてもいなかった私のほうがよく暴走していたのだから、皮肉なものだ。
「・・・うん。覚えてる」
「そのとき、最初に声かけてくれたの、アリアだったんだよ。“一緒に火を灯してみよう”って」
私は思わず、目を細めた。
「そんなこと、言ったっけ?」
「言った。あれがあったから・・・今も、こうしてここにいるんだと思う」
シルフィンがそう言って、手のひらの小さな火をすっと空へ放った。
その火は、風に乗って形を変え、ひらりと花弁のように舞いながら消えていった。
「・・・やっぱり、きれいだね」
「ありがと。でも、きれいなだけじゃ意味がない。アリアの隣に立つためには、ちゃんと“戦える火”を目指さないと」
その瞬間──彼女の手から放たれた炎が、低くうねりながら広がった。
静かで、けれど芯のある熱。まるで呼吸するようなリズムで、地面すれすれに揺らめいている。
これは、昨日まで見せてくれなかった“彼女の本当の炎”。
「・・・シルフィン、それ・・・!」
「制御型の接地炎。対象の動きを封じるための低温魔法。火傷はしない。だけど、囲まれたら逃げられないよ」
彼女が、初めて“戦う魔女”の顔を見せた。
そのとき──
「うおっ!?なにこれ、すげぇ!?」
寝ぼけ眼のマシュルがやって来て、足元の火に驚いて跳ねた。
「・・・おれ、今、死んだかと思った」
「マシュル、もうちょっと足元見て歩きなさいよ」
ティナの冷たい声が飛び、続いてノエル、ライドもやってきた。
自然に、いつもの空気が戻ってくる。
でも、私は気づいていた。
今日のこの朝は、いつもとほんの少し違う。
私たちは──もう一段、強くなれる。
リーヴァが静かに脈打ち、私の中の炎がまた一つ形を変える。
そして、隣ではシルフィンの炎が、確かに息づいていた。
──この夏、きっと私たちは、一つになって燃える。
それぞれの“火”を携えて。
それからしばらくして、訓練が始まった。
今日は個々の魔法強化ではなく、戦闘連携の確認。夏の試験に備えて、実戦形式の立ち回りを磨いていく。
「じゃあ、今日はチーム分けして模擬戦ね。アリア、シルフィン、マシュル。対して、ライド、ティナ、ノエルでどう?」
ノエルが提案すると、ライドがにやっと笑って手を挙げた。
「お、いいね。バランスもちょうどいいし、アリアと久々に本気でやれるのは楽しみ!」
「うるさい、ライド。油断したら焼け焦げるわよ」
「そっちこそ雷で感電して泣くなよー」
軽口を交わしながらも、互いに魔力量を調整し、詠唱に入る構えを取る。
「シルフィン、いけそう?」
私は隣に立つ彼女に小声で尋ねる。すると、シルフィンは頷いた。
「うん。今日はちゃんと、“戦う”って決めてきたから」
「・・・ありがとう。じゃあ、頼りにする」
「私も、アリアを信じてる」
私たちは目を合わせて、構えた。
──そして、合図と同時に空気が張り詰めた。
「マシュル、右を任せる!」
「了解!おれが押さえ込む!」
マシュルが土を操り、地面を隆起させてライドの進路を封じる。ライドはそれを読み切って、瞬時に後方へ飛び退くが、すかさずティナがその間を抜けてくる。
「アリア、来るよ!」
「わかってる──!」
私はリーヴァを振るい、空間に円を描くように炎を放った。それはティナの光の結界とぶつかり合い、刹那、霧のような蒸気が広がった。
その隙に、シルフィンの炎が動く。
低く、滑るように地面を這うその火は、ノエルの足元を囲むように広がり、じりじりと“逃げ道”を塞いでいく。
「・・・囲い込み!?ティナ、援護!」
ノエルが動こうとした瞬間、マシュルが拳で地面を叩いた。地響きとともに生まれた水の柱が、ノエルの動きを一瞬封じる。
「アリア、今だ!」
「──撃つ!」
リーヴァが共鳴し、炎が走った。
その火は、以前よりも確実に鋭く、そして穏やかだった。暴れることなく、正確に目標を射抜いていく。
その熱が通り過ぎたあと──
「・・・やられた」
ライドが両手を上げて、降参の意思を示した。
「シルフィンの炎、やっぱりすごい。あの誘導と制圧力、僕たちじゃ抜けられないよ」
「“舞う火”って言ってたけど、本当だったな」
マシュルも、横で腕を組んで頷いている。
「・・・ありがとう」
シルフィンは少し照れくさそうに、でもどこか誇らしげに小さく笑った。
その笑顔を見て、私は思った。
──ようやく、全員がそろった。
それぞれの力が、役割が、そして想いが。 違うけれど、同じ目標に向かって“燃えている”。
私たちは今、ようやく「チーム」として完成したのだ。
夕刻、訓練を終えた私たちは、草の上に寝転がって空を見ていた。 朱に染まる空に、雲がゆっくりと流れていく。
「試験、なんか本番もいけそうな気がしてきたな」
マシュルがぽつりと呟く。
「ね、なんか今日はすごく・・・呼吸が合ってた気がする」
ティナが笑い、ライドがその隣で腕を組む。
「チームの相性って、こういうことなんだなって思った。僕たち、戦いながら、支え合ってた」
ノエルも小さく頷く。
その言葉に、シルフィンがぽつりとつぶやいた。
「・・・私なんだか、初めて自分の炎で“誰かのために戦えた”気がする」
「うん。ちゃんと届いてたよ、私にも、みんなにも」
私はそう言って、リーヴァの柄を握り直す。
「だから、きっと大丈夫。この夏、私たちなら、絶対に超えられる」
誰もが、無言で頷いた。 それぞれの胸に、“試験”という名の大きな壁が浮かんでいた。 でももう、恐れはなかった。
──だって、私たちは“ひとつの火”として、ここにいるから。




