110.春を越えて
試験当日の朝。空は澄みわたり、まだ冷たい空気が、肌をぴりりと刺した。
学院の演習場には、四年生たちの緊張が張り詰めていた。
それぞれのペアが、指定された番号のエリアに立ち、試験官の先生の合図を待っている。
「次、第六班。アリア・ベルナード、ノエル・ルシリス。前へ」
名前を呼ばれた瞬間、心臓がひとつ大きく跳ねた。
「・・・行こう」
ノエルが、私の横で言った。私はうなずき、ふたり並んで前に進む。
周囲の視線が刺さる。
“灼炎の女皇”の娘の出番とあって、みんなの注目はひとしおだ。
多くの生徒は、私が属性の異なるノエルと組んだことを意外に思っているだろう。シルフィンたちにさえ、最初はそう言われたのだから。
けれど、別にいい。
私たちは、お互いの間にあったわだかまりを超えて、ここに立っているのだから。
「準備が整い次第、始めろ」
試験官の静かな声。
すでに魔力の流れを整えていた私は、ノエルと軽く目を合わせる。
「──行くよ」
「うん、任せて」
演習エリアに、魔物型の試験標的が次々と展開される。鋼の体、素早い脚、簡単な魔法耐性を備えた擬似戦闘体。
まずはノエルが地に手をつけ、即座に地脈を探る。
数秒後、標的の周囲にいくつもの石柱と地盤トラップが出現し、封じと誘導の準備をする。
「アリア、今!」
私は右手を掲げ、魔力を集中させる。
喉の奥が熱を帯び、胸の奥の炎が、静かに燃え始める。
(母さん・・・私は、私の火で進む)
「──『緋葬ノ華』!」
灼熱の炎が、石柱の導線を通じて一気に奔った。
ノエルの作った地脈が、熱の流れを正確に操り、炎はまるで花のように標的を包み込む。
魔物型標的は、逃げる間もなく崩れ落ちた。
続いて現れた第二波、第三波。標的の動きは速く、連携が狂えば突破される。
「後ろ!回り込まれる!」
「任せてっ!」
ノエルが咄嗟に足元を崩し、標的の足を止めた。その瞬間、私は跳躍し、魔力を集中させる。
──熱とともに、心が燃えた。
自分のためでも、誰かを焼くためでもない。
これは、「守る」ための火。
「『焔の槍』!」
炎の槍が、光の尾を引いて標的の胸を貫いた。
地と火の連携。まるで何度も重ねた舞台のように、ふたりの呼吸はぴたりと合っていた。
数分後、最後の標的が崩れ落ち、演習場に静けさが戻る。
「──終了だ」
試験官の声が響いた瞬間、私たちはようやく肩の力を抜いた。
「・・・やった、ね」
ノエルが、小さく息を吐いて笑った。私も、自然と笑みを浮かべる。
観覧席の生徒たちが、ざわついているのが見えた。
これまであまり注目されてこなかった私たちのペアが、ここまでの連携と威力を見せたのだ。当然だろう。
でも、それが誇らしかった。
「第六班──アリア・ベルナード、ノエル・ルシリス。合格。成績、上位通過」
試験官の無機質な声に、数人の教官が頷き、ひそひそと何かを話しているのが見えた。
けれど、そんなことはどうでもよかった。
「ノエル」
「ん?」
「ありがとう。あなたと組めて、よかった」
「・・・ううん、こっちこそ。アリアが、私を信じてくれて・・・本当に、嬉しかったよ」
手を伸ばすと、ノエルがその手を握った。
あの頃と違う。これは、過去から生まれた赦しではなく、いまの私たちが築いた“信頼”だ。
私はもう、“三春”じゃない。
ノエルも、“美紗”ではない。
私たちは──ここから、先へ進む。
夜、私は小さく炎を灯して、その揺らぎを見つめていた。
燃え尽きたわけではない。でも、確かにひとつの区切りを越えた手応えがあった。
──けれど、それだけで終わりではない。
今日やったのは、あくまで一次試験。
二次試験は、個人での実技と筆記、そして魔導理論と応用制御の応答面接。
一次のような派手さはないが、実力と理解の真価が問われる“本当の選抜”だ。
「一緒に勉強しようか」
そう言ってくれたのは、もちろんノエルだった。
図書室の上階、静かな書架の合間にふたりで並び、魔導理論書に向き合った日々。
時に煮詰まり、時に笑い、時に無言でうなずき合う──そんな時間が、以前より自然に感じられるようになっていた。
「意外と地属性の魔力って、“緩やか”なようで、急激な集中点を持つのね」
「うん。炎みたいな爆発系魔法と合わせると、“集中破砕”に向いてるんだって。・・・だからね、あなたの扱う炎魔法とは、本当はすごく相性がいいのよ」
「・・・ふふ、今さら気づいたの?」
「気づかせてくれたの、アリアだから」
そんな言葉を交わせる自分たちを、ふと“あの頃”の自分たちが見たらどう思うだろう──そう思って、私は小さく笑ってしまった。
──そして、試験は過ぎていった。
思っていたより筆記の難易度は高く、実技の制御でも冷や汗をかいた。
それでも私は、逃げなかった。誰のためでもない、自分のために。未来のために。
数日後。
春の風が学院の塔を吹き抜けた朝。
正門の掲示板には、二次試験合格者の名簿が張り出されていた。
いつもより早く登校した学生たちがざわつきながら、その文字を追っていた。
「・・・あった」
思わず声に出していた。
──第六班:アリア・ベルナード、ノエル・ルシリス。
一次・二次試験通過。五年生進級認可。
肩の力が抜けた。その瞬間だった。
「アリア!」
後ろから駆けてきたノエルが、掲示板の自分の名前を見つけた瞬間、ぱっと表情を明るくした。
「やった、やったね!本当に・・・!」
「・・・うん。私たち、五年生になれるんだね」
お互い、目を見合わせて、ただ言葉が出てこなかった。
胸の奥がじんわりと熱くなる。
そして、ふとノエルが腕を広げた。
「・・・抱きしめていい?」
私は一瞬驚いたけれど、すぐに笑って、うなずいた。
「うん」
ノエルがそっと抱きついてきて、私も静かにその背を抱き返した。
苦い過去を越えたその腕は、温かくて、確かな未来をつかむように強かった。
「ありがとう、アリア。あなたが信じてくれたから、私・・・ここにいられる」
「違うよ、ノエル。あなたが、自分でここまで来たの」
私の声は静かだったけれど、心からだった。
「・・・ふたりで、ちゃんと、ここまで来たんだね」
目を閉じると、春の風が、制服の裾をふわりと揺らした。
冬を越えて、私たちは歩き出す。
──もう逃げない。もう過去に引きずられない。
私は、“アリア”として、“灼炎の女皇”の娘として。
そして、“鈴木三春”だったすべても背負って、未来を選んでいく。
隣には、あの日見捨てた美紗ではない、いまを生きる“ノエル・ルシリス”がいる。
ふたりの影が、朝の光の中、静かに並んで伸びていた。




